「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

6、蜻蛉日記  ②

2021年07月04日 08時24分49秒 | 「蜻蛉日記」田辺聖子訳










・山を下りようかどうしようかと迷っていると、
先払いの声も仰々しく兼家一行がやってきました。

「さあ、一緒に帰ろう。
いやまあ、怖ろしいことをしているじゃないか。
これほど本式とは思わなんだ」

蜻蛉はもう出家したかの有り様、
線香をくゆらし、数珠を下げ、経本を何十冊と積み上げ、
行いすましています。

「道綱、こんな暮らし、どう思う?」

蜻蛉には直接言わず父と子だけでしゃべる。
道綱は父と言い合わせていたのか、
その辺のものを全部袋に入れて片づけ始める。

それにしても蜻蛉は強情に坐ったまま動かない。
いつの間にか暗くなって、兼家はしびれを切らして、

「もう勝手にしなさい。あとはお前に任せるよ」

と言って出ていってしまい、
道綱は泣く泣く蜻蛉の手を取って、

「お願いだから帰って」

と頼む。
蜻蛉は子供にせかされてよろよろと迎えの車に乗る。

その頃、丁度おこもりしていた蜻蛉の妹も、
暗いからいいでしょう、というので四人同じ車に乗って帰って来た。

京へ帰る道すがら兼家はずうっと冗談ばかり言って、
笑わせようとしている。

蜻蛉は決して笑うまいと頑張っているが、
あまりにも面白いことを言うので、
妹の方が吹きだしてしまって受け答えをしている。

妹の方も、この姉のやり方はどうかしら?
と思っている。

長いこと留守にしていた家に着いた。
きれいに掃除されて門は開けられ灯があかあかと灯されている。

気分も悪いし疲れたので几帳をひきまわして横になっていると、
留守を守っていた女が、

「お留守の間に撫子を枯らしてしまいました。
呉竹の一本が倒れたので手入れさせました」

と報告する。
それをめざとく聞きつけて兼家が言う。

「あんなに世を捨てるだの、仏道にいそしむだの、
煩悩を断つだの言う人が撫子や呉竹に気を遣うのは、
どういうわけなんだ?」

侍女たちはたまらなくなってどっと笑ってしまう。
蜻蛉も笑いたかったんだけれど歯をくいしばって頑張っている。

それ以後、蜻蛉につけられたあだ名は「あまがえる」
これは兼家がつけたあだ名でして、
尼になろうとして還俗したというので「あまがえる」


~~~


・西山ごもりでは蜻蛉の三十五才の時、
疾風怒濤の時代でした。

現代の私たちから見ると、
兼家という男は兼家なりのやり方で、
大変、蜻蛉を愛していたようです。

でもその後、四十代にさしかかって、
自分がどういう風に自分と夫の間の距離を測定するか、
人生の距離を測るかという地点に到達する。

「私はこれからどうなるのかしら?」

という静かな省察が出来てくる。
自分の姿を客観的にながめられるゆとりも出てきました。

父が初瀬へ参るということを聞きまして、
一緒に参ることになりました。

初瀬へは三年前にお参りしたけれど、
その時は帰りに宇治まで夫の兼家が迎えに来てくれました。

この前はお忍びの形だったけれど、
今度は父と一緒に地方官の一行ということで、
美々しい行列でたくさんの供を連れての旅でした。

蜻蛉はゆっくりと安らかな旅を楽しんだ、と日記にあります。

丁度真夏のころで宇治川は鵜飼いをしています。
鵜飼いは大変古くからある漁法で「古事記」にも載っています。

無事お参りも済ませ、帰りもまた宇治川で泊って、
またゆっくりと鵜飼いを見る。
たくさんの鮎がとれてお土産に持って帰る。

やっと父邸に帰ってきました。
そのまま父の邸で泊って寝ておりますと、
翌朝兼家から手紙が来て、

「すぐ行くから自分の邸に帰りなさい」

侍女たちも、早く帰りましょう、と言うので、
ばたばたして帰りました。
その晩は兼家と大変楽しく昔の話をして過ごした。


~~~


・全体としては兼家はやっぱりまめに来なくて、
二十日くらい間をおいてやっと来る。

今度は兼家の方が比叡山の横川へおこもりすることになった。

正真正銘のおこもりですから、
蜻蛉も浮気の心配はないと安心して、
手紙も出さないでいると兼家の方から手紙が来て、

「山ごもりというのは淋しいもんだ。
どうして一度も手紙をくれないんだね」

ちゃんと真面目に応えればいいのですが、

「私がいかに日ごろ淋しい思いをしているか、
これでわかったでしょう」

なんて返事を出す。

この年の後半は平穏に過ぎて行くが、
だんだん兼家の心が離れていくという気が絶えず、
蜻蛉から退かなくてそのあきらめの代わりに、
自然の美しさで心をなぐさめるようになっていく。

自然の中に身をおいて、
自分の人生を重ね合わせて考えている。

蜻蛉の自然描写を読むと大変奥深い。

「長月のつごもり  九月の終り
なが月のつごもり、いとあはれなる空のけしきなり。
まして、きのうけふ、風いとさむく、
時雨うちしつつ、いみじくもものあはれにおぼへたり。
遠山をながめやれば、紺青を塗りつけたるかやいふやうにして、
あられ降るらしとも見えたり。」


(九月もそんなに夫は来なかったという気分と、
山の色が紺青色になったというあわれが重なった)

九月、十月と過ぎていく。

「さながら、明け暮れて、二十日になりたり。
明くれば起き、暮るれば臥すを事にしてあるぞ、
いとあやしくおぼゆれど、今朝もいかがはせむ」


ある朝、初霜が下りてあたり一面真っ白になっている。

こんな風に兼家が来ないのを蜻蛉が苦しんだり悲しんだり悩んだり、
するというのは、経済的不安もあるのかもしれない。

この時代は男の気持ち一つにかかっているので、
このまま別れてしまうと兵糧攻めになります。

父がいるけれど老いた父を当てにできない。






          


(次回へ)

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