「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

14、関屋 ②

2023年10月24日 08時42分02秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏が石山寺に数日こもって去る日、
空蝉の弟、衛門の佐(すけ)が迎えに参上した。

この青年が昔、小君といったころ、
源氏にたいそう可愛がられて、
五位に叙せられるまでは、
源氏の恩恵をこうむっていた。

その後の源氏の不遇時代、
彼は権門ににらまれるのを恐れて、
姉の夫について常陸へ下ってしまった。

源氏はそれを面白くなく思っていたが、
顔にも出さない。

昔のようにはいかないが、
今でも親しい家来の中に入れていた。

紀伊の守(空蝉の継子)も、
今は河内の守に過ぎなかった。

その弟は職を解任されて、
須磨へ供したので、
源氏は格別に引き立てていた。

衛門の佐も河内の守も今では、

(何であのとき、
軽々しく時勢に媚びたのだろう)

と後悔していた。

しかし源氏は屈託なく、
衛門の佐にいう。

「お前の姉に便りをことづけたい。
相変わらずの色好み、
と憎まれるかもしれないが」

普通の男ならもう忘れていそうな古い恋を、
まだ捨てないでいる源氏に、
衛門の佐は感動していた。

彼は姉のところへ手紙を届け、

「ともかくお返事をさしあげて下さい。
殿は私に疎々しくなさるだろう、
と思っていましたのに、
おやさしく扱って下さいます。
それをありがたくて、
お文の取り次ぎはよくないと思ったのですが、
とてもご辞退できなかったのです」

年も重ね、月日も経った今は、
よけいにためらわれたが、
さすがになつかしさに堪えきれず、
空蝉は源氏の手紙を読んだ。

「あの日のめぐり合いは、
やはり目に見えぬ縁の糸で、
私たちはつながれていたからでしょう。
その名も逢坂の関、
せっかくあなたに逢いながら、
言葉すらかけられなかった。
あなたのそばで、
あなたを守っている関守が、
私にはどんなにうらやましく、
憎かったことか」

空蝉は返事を書かずにいられなかった。

「逢坂の関は、
嘆きに逢う関でした。
すべて夢のようでございます。
あのめぐり合いも、
やがては遠い昔の夢に、
なってゆくのでございましょう」

しかし、源氏の方は空蝉を、
まだ思い切っていない。

空蝉の心を動かそうとするのだった。

さて空蝉の夫の常陸の介は、
年老い、病いがちで心細くなったのか、
息子たちに、

「何ごとにつけても、
この人の心任せにしておくれ。
私が亡くなっても私がいた時と同じように、
大切にしておくれ」

と空蝉のことをくれぐれも頼んで、
若い後妻を残してゆくのが、
気がかりのようだったが、
ついにはかなくみまかった。

先妻の息子たちが空蝉を大事にしたのは、
ほんの少しの間で、だんだん空蝉に、
辛く当たるようになった。

息子たちの中で、
河内の守だけは空蝉に野心があり、
親切を装ってしきりに近づく。

空蝉は継子のよこしまな恋もわずらわしく、
世の中もうっとうしく、
人にも知らせないで、
ひっそりと尼になってしまった。






          


(了)


写真の紅葉は、
京都西山、光明寺へ行った時のものです。
しばらく続けさせて頂きます。

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