・八日間ばかりニューヨークにいた。
なんでニューヨークを選んだか、理由ははっきりわからない。
ただ、パリへ行く、ということとは違うということ。
パリであれば、見るもの買うもの食べるもの、すべて想像できるが、
ニューヨークは何があるかわからない。
それでいて、何かあるに違いない。
そう思わせるところがある。
一種のかぐわしいものといってよい。
日本にはないもの、きっと鎖国時代の人々は、
舶来のギヤマンの壷や珍陀の酒、ビロードなどを見た時、
日本人の発想にはないものを感じて昂ったかもしれない。
ロンドンやパリ、サンフランシスコなんかをひっくるめたより、
もっと混沌とした未知がありそうな気がする。
むろん、これは私のロマンチックな想像に過ぎないかもしれないが、
そして現にそうだったのだが、私はアメリカはハワイ以外は初めて。
丁度、雑誌「マダム」編集部が、
アメリカ商務省の観光局から航空券がもらえるという話を、
もたらして下さった。
これはアメリカ政府が親善外交の一端として、
いくばくかの人数を招待するらしい。
別に私が名指しで招待されたわけではない。
私は取材の上からもファーストクラスとやらに乗ってみたい。
商務省のご好意に甘え、割り当ててもらうことにする。
同行するのは、カモカのおっちゃん。
私もおっちゃんも戦前育ち、英語が出来ないので、
英語が堪能な中年男、ヨーちゃんについて行ってもらうことにした。
ヨーちゃんはニューヨークにしばらく住み、
三年前に帰国したので、通訳とガイドを兼ねてもらえる。
モウさんという画家も加わることになった。
割当ては航空券だけで、宿代、食事代、飲んだり遊んだりのお金は、
私が一括して出すことになった。
平均年齢、五十五才。
私が最年少という中年四人組パーティで出発した。
アメリカのくれる航空券だから、むろんパンナム。
・出発の伊丹空港でゴタゴタした。
ファーストクラスは満員でキャンセル待ち、
大体がタダの券だから、今さらお金を出すといっても、
関係ないのである。
以後、ヒコーキに乗る度、キャンセル待ち、
最後まで乗れるか乗れないか分からない始末。
しかし、パンナムのファーストクラスの食事はかなりご馳走である。
前菜からコーヒーまでのフルコース。
ローストビーフ、チキンのカレー煮、舌平目のムニエル、
このうちから一つを選ぶ。酒は欲しいだけもらえる。
かのエコノミークラスのプラスチック皿を配られるのとは大違い。
といって、エコノミークラスの皿で食べても、
私は一向にいやではない。
何といってもパックの旅は気楽でよろしく、
うまく活用できればそれにこしたことはない。
宿を決める、荷物運び、空港での手続きなどは、
慣れた人には何でもないだろうが、普通の人間には苦痛である。
ヨーちゃんがみなやってくれたが、
平均年齢五十五才というモタモタで、
おっちゃんといいモウさんといい、
たくましく乱世を生きのびた世代ではないので、
おっとりしたお殿さまであるのだ。
私自身、何も出来ないが気だけはイライラしている。
これで、一人、達者で旅慣れた若者の心利いた友人がいればなあ、
と、旅の間中、私は思った。男の子でも女の子でもよい。
つまり、足軽というか、使い勝手のいい子である。
他の人がみな足軽で、自分一人「お殿さま」という旅が理想である。
・ニューヨーク滞在一週間のうち、前半は天気がよく、美しい日々。
中年お殿さまたちとの旅もそれなりに楽しい。
プラザホテルはセントラルパークの側で高級である。
暖炉つきの寝室に応接間があり、ブルーと白を基調にしたインテリア、
いろんなホテルに泊まったけれど、シャンデリアのあるホテルは初めて。
セントラルパークは観光馬車が辻待ちしている。
公園が広大で緑が多く、馬車はその緑によく合って、
いい風情なのだが、馬糞の異臭が秋空にただよう。
それらが鼻をかすめるのも旅情があっていい。
公園にはジョギングをしている人が多い。
広い公園なのだが、リスがいっぱいいて、
人を恐れる風もなく、木の実を食べていた。
パークの前には露店がいっぱい出て、
自分で作ったものを並べて売っているのだが、
絵が最も多い。みなどこかで見たような絵。
針金細工や機械の切れっぱしを集めて額に入れているの、
石膏に画を描いたもの、陶器の人形。
「アメリカ人て、金気のもの、金属的なものが好きなのかも」
と思った。何かいいものは、とかなり丹念に探したが、
見当たらなかった。
(②へ続く)