むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

3、姥日和  ②

2021年09月03日 08時09分04秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・次男の嫁のお袋、
この人の息子夫婦がこの近くへ引っ越したというので、

「お近くにまいっておりますのに、
ご挨拶に上がりませんでは、失礼に当たりますから」と言う。

べつに失礼ではない。
用もないのにやって来て、
他人の時間を奪うほうがよっぽど失礼である。
しかし、さすがにそうも言えない。

この夫人は背が低くよく太り、甘いもの好きで、
丁寧な長口上の合間によく召し上る。
紙問屋の会社の社長夫人で、家は帝塚山である。

娘自慢(私には嫁である)孫自慢、海外旅行自慢、住居自慢・・・
自慢話が広がる。

「まあ、長いことお邪魔して・・・」が出てから更に一時間、
私はとうとう顔が強張り、

「実は今から出かけるところがありまして」

とにこやかに言ってやったら、夫人は大仰に驚いて、

「あらまっ・・・」

(早く帰れ、帰れ)私は心中言っている。
夫人はそれとも知らず、更に長々と続ける。

(何べん言うとんねん、アホちゃうか!)

それからやっと押し出して、
私はエレベーターへ送って行った。

エレベーターを待つ間も夫人はしゃべり続けている。
お花仲間の竹下夫人同様、どうしてこんなに老婦人は、
私を退屈させるのであろう。


~~~


・そこへくると、男は年寄りになっても、
カラッとして面白い人が多い。

この間、
私は元番頭の前沢を奈良の老人ホームへ見舞いに行った。

私よりずっと若いのだが、十年前奥さんを亡くし、
一人息子は東京暮らし、今は有料老人ホームに入っている。
私はこの番頭に退職金もうんと弾んだ。

二上山が見えるのんびりした奈良の郊外で、
景色の良いホームに暮らし、

「命が伸びた気ぃがします」と喜んでいた。

息子は、年に一度会いに来るという。

私と前沢番頭は戦友同士であって、今は退役仲間である。
なつかしい。

そういうわけで、
私はうんざりするこの夫人をエレベーターにやっと乗せ、
お辞儀はしたものの、内心は足で蹴りこむ思いであった。

ホッとして私は部屋にもどった。

エレベーターまでだと思って、私はわざとロックしなかった。
ドアを開けてすぐ玄関に、オトナのスニーカーを見つけた。

それはかなり履きくたびれた水色のスニーカーである。
私はすぐ(コソ泥っ!)と直感した。
なぜか大物ではない、吹けば飛ぶような小物、という感じ。

これが地下足袋ででもあれば、ギョッとするかもしれないが、
無断で乱入して来る曲者なら、
いちいち玄関で脱いだりしないであろう。

外へ助けを求めようか?
助けを求めに行ってる間に何か取って逃げるかもしれない。
そんなことが許されてよいものか、生意気やないか。

私はムカシ人間だから、
搾取、着服、などという根性に腹が立つ。

出来るだけそおっとドアを閉め、奥へ進む。
案の定、若い男が桐のタンスの引き出しを開けて物色している。

長髪で薄汚れた白い毛糸のとっくりセーターを着ている。
私はカッとした。

若者を見ると反射的にカッとするのは、
普段、孫を叱りつけているから。

また私は息子ばかり三人育ててきた女である。






          


(次回へ)

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