・次男の嫁のお袋、
この人の息子夫婦がこの近くへ引っ越したというので、
「お近くにまいっておりますのに、
ご挨拶に上がりませんでは、失礼に当たりますから」と言う。
べつに失礼ではない。
用もないのにやって来て、
他人の時間を奪うほうがよっぽど失礼である。
しかし、さすがにそうも言えない。
この夫人は背が低くよく太り、甘いもの好きで、
丁寧な長口上の合間によく召し上る。
紙問屋の会社の社長夫人で、家は帝塚山である。
娘自慢(私には嫁である)孫自慢、海外旅行自慢、住居自慢・・・
自慢話が広がる。
「まあ、長いことお邪魔して・・・」が出てから更に一時間、
私はとうとう顔が強張り、
「実は今から出かけるところがありまして」
とにこやかに言ってやったら、夫人は大仰に驚いて、
「あらまっ・・・」
(早く帰れ、帰れ)私は心中言っている。
夫人はそれとも知らず、更に長々と続ける。
(何べん言うとんねん、アホちゃうか!)
それからやっと押し出して、
私はエレベーターへ送って行った。
エレベーターを待つ間も夫人はしゃべり続けている。
お花仲間の竹下夫人同様、どうしてこんなに老婦人は、
私を退屈させるのであろう。
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・そこへくると、男は年寄りになっても、
カラッとして面白い人が多い。
この間、
私は元番頭の前沢を奈良の老人ホームへ見舞いに行った。
私よりずっと若いのだが、十年前奥さんを亡くし、
一人息子は東京暮らし、今は有料老人ホームに入っている。
私はこの番頭に退職金もうんと弾んだ。
二上山が見えるのんびりした奈良の郊外で、
景色の良いホームに暮らし、
「命が伸びた気ぃがします」と喜んでいた。
息子は、年に一度会いに来るという。
私と前沢番頭は戦友同士であって、今は退役仲間である。
なつかしい。
そういうわけで、
私はうんざりするこの夫人をエレベーターにやっと乗せ、
お辞儀はしたものの、内心は足で蹴りこむ思いであった。
ホッとして私は部屋にもどった。
エレベーターまでだと思って、私はわざとロックしなかった。
ドアを開けてすぐ玄関に、オトナのスニーカーを見つけた。
それはかなり履きくたびれた水色のスニーカーである。
私はすぐ(コソ泥っ!)と直感した。
なぜか大物ではない、吹けば飛ぶような小物、という感じ。
これが地下足袋ででもあれば、ギョッとするかもしれないが、
無断で乱入して来る曲者なら、
いちいち玄関で脱いだりしないであろう。
外へ助けを求めようか?
助けを求めに行ってる間に何か取って逃げるかもしれない。
そんなことが許されてよいものか、生意気やないか。
私はムカシ人間だから、
搾取、着服、などという根性に腹が立つ。
出来るだけそおっとドアを閉め、奥へ進む。
案の定、若い男が桐のタンスの引き出しを開けて物色している。
長髪で薄汚れた白い毛糸のとっくりセーターを着ている。
私はカッとした。
若者を見ると反射的にカッとするのは、
普段、孫を叱りつけているから。
また私は息子ばかり三人育ててきた女である。
(次回へ)