むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

27、姥ちっち  ④

2021年11月20日 08時54分09秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・おトキどんの話題は、一年がいかに早いかという感慨になった。

同居の息子夫婦は共働きなので、二人の孫の世話をしているが、
この子らの成長は遅々として行く末遠く思われるのに、
一年の経つのは早いこと。

「この間、お正月したと思いまんのに、
もうお精霊(しょうらい)さんでおますがな」

お精霊さんというのは、うら盆に迎える死者の霊魂である。

京の大文字をテレビで見たけれど、あの五山の送り火、
大文字、妙法、舟形、左大文字、鳥居の火が次々消えて、
闇に沈んでいく。

それと共に、
お精霊さんは十万億土の彼方へ去(い)んでいかはるのである。

遅昼の食事が、美しく清らかに調えられた。

しそ入りごはん、
青唐(ししとう)の焼いたもの、
しぎ焼きなすび、

以上、おトキどんの作物である。

一塩もんのカマス、
ずいきの炊いたんもんに冷やしみそ汁。

私のお気に入りのバカラのデカンタや、
ロイヤル・ドルトンの陶磁器人形が飾られてる、
サイドボードの上の壁に、
元三大師の黒角大師のお神符(ふだ)が貼ってある。

バッタのような細長い手足の黒鬼のお神符が、
おトキどんの手によって貼られても別に眉をひそめることはない。

私は腰痛とドクダミ風呂で人生観も変っている。
それにしても、船場風のお昼ごはんのおいしいこと。

「おトキどん、おいしいわあ、おおきに」

「ワテらは昔からある食べもん食べて、
ドクダミやオオバコをクスリにしてたら、
病気なんかかかるこっちゃごあへん」

このおトキどんがお政どんと違うところは、
愚痴が交じるところである。

息子の嫁は遠方の小学校の先生をしており、
毎朝、早くから車で家を出、帰りは息子より遅い由。

ごはんの世話、家事一切、引き受けているおトキどんは、
亭主が三人そろったようなもん。

おトキどんが息子の嫁に抱く不平は、
娘へのふびんからくるものらしい。

娘は結婚して東京暮らし。
同居した先方の両親が難しい上に、毎日が修羅場らしい。

娘が高年出産をしたときも、姑は遊んでいるくせに、
一向に手伝ってくれなかったというのに、
息子の嫁は、休日になると、子供二人を車に積んで、
夫婦でどこかへ遊びに行く。

「何というたかて、
『知らん間にお迎えが来た』いうのがいちばん幸せやで」

「そうでござりまっしゃろけど、
娘の不幸せと嫁の幸せを比べたら、
ワタエの胸がきやきや、するんでごあんがな」

「両方不幸せより、ええやないかいな」

「それは、まあ~」

「あんまり胸をきやきや、さしたらあきまへんで。体にわるい。
なんで、女もんや子供もんの着物、脇の下を縫わんと開けとくか、
身八つ口いうもんは、陽気さかんなもんは縫い詰めてしまうと、
逆上(のぼ)せるんやそうや」

「ははあ」

「女は元々、陰のもんやけど、胸がきやきやすると、
陽気があたまへ上ってくらくらする。
それを発散するために身八つ口開けたぁるそうな・・・
おトキどんも、どこか身八つ口開けて、逆上せを発散しなはれ」

「はあ、なるほど、ようわかりました」

おトキどんはドクダミ茶を淹れてくれて、
その辺を片づけ、私をベッドへ追い返し、
ゆっくりお休みやす、といい、
孫がプールから帰ってくる時間ということで、
嬉しそうにそそくさと帰っていった。

嫁への不満はたらたらあるが、孫たちは別のようであった。


~~~


・そういえばもう三時。

ベッドで休んでいると痛みはなくなったが、
ドアホンが鳴ったので起き上がると、やっぱり痛んだ。

誰やいな?今ごろ・・・

「わたし、早苗でございます」

早苗は、二、三年前、元高校教師の先生と意気投合して結婚した。
久しぶりの来訪である。

早苗は青磁色のサマースーツに白いブラウス。

「今日はぜひ、奥さまに聞いていただきたいことが、ございますの」

早苗は上がり込んでくる。
腰の具合が・・・などというひまもなかった。

「実は奥さま、私、悔しくて」

おやおや、いっとき、晴れ晴れと明るかった早苗の顔が、
またもや、眉間にタテじわ、陰気になっている。

私は腰をかばいつつ、イスに坐る。

早苗は勝手知ったる台所で紅茶を淹れ、
レイノーの紅茶茶碗に注いで私にすすめ、
自分が買ってきたショートケーキを添える。

「子供のことですわ・・・
主人の方の子供たちですわ、死んだ先妻さんの・・・
娘二人に息子一人」

早苗の話によると、
式を挙げて早苗も山村早苗を名乗っていた。

二人暮らしの日々、申し分なく幸せであったが、
二、三年経ち、籍の問題をちゃんとしようと思い、夫に言うと、
夫に異存はなかったが、子供たちが反対した。

子供たちが早苗の入籍に待った、をかけたと言う。
財産の取り分が減るのが我慢ならぬらしい。

遺産放棄、という一札を入れればと言うらしい。
夫は早苗と子供たちの間に立って悩んでいる。






          


(次回へ)

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