・おトキどんの話題は、一年がいかに早いかという感慨になった。
同居の息子夫婦は共働きなので、二人の孫の世話をしているが、
この子らの成長は遅々として行く末遠く思われるのに、
一年の経つのは早いこと。
「この間、お正月したと思いまんのに、
もうお精霊(しょうらい)さんでおますがな」
お精霊さんというのは、うら盆に迎える死者の霊魂である。
京の大文字をテレビで見たけれど、あの五山の送り火、
大文字、妙法、舟形、左大文字、鳥居の火が次々消えて、
闇に沈んでいく。
それと共に、
お精霊さんは十万億土の彼方へ去(い)んでいかはるのである。
遅昼の食事が、美しく清らかに調えられた。
しそ入りごはん、
青唐(ししとう)の焼いたもの、
しぎ焼きなすび、
以上、おトキどんの作物である。
一塩もんのカマス、
ずいきの炊いたんもんに冷やしみそ汁。
私のお気に入りのバカラのデカンタや、
ロイヤル・ドルトンの陶磁器人形が飾られてる、
サイドボードの上の壁に、
元三大師の黒角大師のお神符(ふだ)が貼ってある。
バッタのような細長い手足の黒鬼のお神符が、
おトキどんの手によって貼られても別に眉をひそめることはない。
私は腰痛とドクダミ風呂で人生観も変っている。
それにしても、船場風のお昼ごはんのおいしいこと。
「おトキどん、おいしいわあ、おおきに」
「ワテらは昔からある食べもん食べて、
ドクダミやオオバコをクスリにしてたら、
病気なんかかかるこっちゃごあへん」
このおトキどんがお政どんと違うところは、
愚痴が交じるところである。
息子の嫁は遠方の小学校の先生をしており、
毎朝、早くから車で家を出、帰りは息子より遅い由。
ごはんの世話、家事一切、引き受けているおトキどんは、
亭主が三人そろったようなもん。
おトキどんが息子の嫁に抱く不平は、
娘へのふびんからくるものらしい。
娘は結婚して東京暮らし。
同居した先方の両親が難しい上に、毎日が修羅場らしい。
娘が高年出産をしたときも、姑は遊んでいるくせに、
一向に手伝ってくれなかったというのに、
息子の嫁は、休日になると、子供二人を車に積んで、
夫婦でどこかへ遊びに行く。
「何というたかて、
『知らん間にお迎えが来た』いうのがいちばん幸せやで」
「そうでござりまっしゃろけど、
娘の不幸せと嫁の幸せを比べたら、
ワタエの胸がきやきや、するんでごあんがな」
「両方不幸せより、ええやないかいな」
「それは、まあ~」
「あんまり胸をきやきや、さしたらあきまへんで。体にわるい。
なんで、女もんや子供もんの着物、脇の下を縫わんと開けとくか、
身八つ口いうもんは、陽気さかんなもんは縫い詰めてしまうと、
逆上(のぼ)せるんやそうや」
「ははあ」
「女は元々、陰のもんやけど、胸がきやきやすると、
陽気があたまへ上ってくらくらする。
それを発散するために身八つ口開けたぁるそうな・・・
おトキどんも、どこか身八つ口開けて、逆上せを発散しなはれ」
「はあ、なるほど、ようわかりました」
おトキどんはドクダミ茶を淹れてくれて、
その辺を片づけ、私をベッドへ追い返し、
ゆっくりお休みやす、といい、
孫がプールから帰ってくる時間ということで、
嬉しそうにそそくさと帰っていった。
嫁への不満はたらたらあるが、孫たちは別のようであった。
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・そういえばもう三時。
ベッドで休んでいると痛みはなくなったが、
ドアホンが鳴ったので起き上がると、やっぱり痛んだ。
誰やいな?今ごろ・・・
「わたし、早苗でございます」
早苗は、二、三年前、元高校教師の先生と意気投合して結婚した。
久しぶりの来訪である。
早苗は青磁色のサマースーツに白いブラウス。
「今日はぜひ、奥さまに聞いていただきたいことが、ございますの」
早苗は上がり込んでくる。
腰の具合が・・・などというひまもなかった。
「実は奥さま、私、悔しくて」
おやおや、いっとき、晴れ晴れと明るかった早苗の顔が、
またもや、眉間にタテじわ、陰気になっている。
私は腰をかばいつつ、イスに坐る。
早苗は勝手知ったる台所で紅茶を淹れ、
レイノーの紅茶茶碗に注いで私にすすめ、
自分が買ってきたショートケーキを添える。
「子供のことですわ・・・
主人の方の子供たちですわ、死んだ先妻さんの・・・
娘二人に息子一人」
早苗の話によると、
式を挙げて早苗も山村早苗を名乗っていた。
二人暮らしの日々、申し分なく幸せであったが、
二、三年経ち、籍の問題をちゃんとしようと思い、夫に言うと、
夫に異存はなかったが、子供たちが反対した。
子供たちが早苗の入籍に待った、をかけたと言う。
財産の取り分が減るのが我慢ならぬらしい。
遺産放棄、という一札を入れればと言うらしい。
夫は早苗と子供たちの間に立って悩んでいる。
(次回へ)