むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

最終章 姥勝手  ①

2021年11月28日 08時30分41秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・「何しとんねん、いま」  西宮の長男の電話、
いまはほとんど毎夜のようにかけてくる。

「八十のお袋、一人で住まして、
どないしとるかわからん、では具合わるいやないか」

私だってすることはいっぱいある。
油絵、お花のサークル、英会話、古典の勉強、
それに私が教えるお習字教室のお手本を書くこと。
五十七の息子につき合っていられない。

「おもろないやろ、一人で居って」

一人でというか、
さっきまで私はお花のグループと食事して帰ってきたばかり。

春寒というのかしら、私は煖房を弱にして、
町着のオレンジ色のスーツを脱ぐ。

やわらかいシルクウールの室内着。
香りは今夜はジャン・パトゥのオードトワレより、
京都の松栄堂の「芳輪」にしよう。

「一人で何考えとんねん」

長男はせかせかと言う。
そこはかとなく漂うお香のいい匂い。

室内着は甘い水色。
白レースが胸と袖口にたたまれているブラウスとロングスカート。
ボタンは銀色のハート型。

春の服をまとってお習字をしているが、
八十になって字が衰えはせぬかと気になる。

栄枯盛衰は世の習い。
市の文化教室からは、今年もよろしく、というばかりであるが、
適当な折を見て引退せねば。

それに自分で自分のことはわからぬ、という心配もある。
目の前で、「ヘタになったねえ」という人はいないのだから。
心せねば。

才能もさりながら、五感もそう。
私は今まで自分の味覚を信じていた。

週に二度来てもらう家政婦さんに、
私好みの味を教えていたのに、この頃やたら薄味に思われ、
はっとして思い当たった。

この人はお料理上手な人で、
これは私の舌がばかになったんじゃないか。

時は移り、人は変る。
肉体の衰えはどうしようもなく、鈍化している。

味覚にまずそれがきているのかもしれない。
辛いものしか認められなくなったのかもしれない。

なので「お袋の味」というのもいい加減なものであろう。
若いうちのお袋さんの味ならともかく、
年寄って舌が鈍くなったお袋さんの味は信用がおけない。

お袋が作れば男たちは有難がるが、
彼らの女房たちに言わせてみれば、
(なにさ、ただ、ダダッ辛いというだけじゃないのさ)
と笑っているかもしれない。

思えば人間の才気も健康も、
神さま(モヤモヤさん)からの預かりものであろう。

私としては、
才気や健康なしに寿命だけ延ばしてもらっても仕方ない。
つまり、そういうことを考えつつ、手習いをやっている。

「一人で何考えとんねん」と言われたって、

「いろいろ考えごとしてますのや。
ひとくちで言われへんし、言うても他人にはわからへん」

「可愛げないな。
何も楽しみないやろ思て、この間から、
シルバー・ハイクラス・ツァーに行けへんか、言うたのに」

長男が言うのは、五十代以上のヨーロッパぜいたく旅行を、
プレゼントしようと提案してくれたことだ。
私は断った。

ほんとの話、爺さん婆さんとは行きたくない。
中年や若者が混じる旅行こそ面白い。

いくら医者、ナースつき、一流ホテル泊りといったって、
シルバー世代ばっかりが、なんで楽しかろう。

・・・とも言えず、

「私ゃ、この頃海外がおっくうでねえ、飽きましたわいな」

「しゃけど、習字ばっかりしててもおもろないやろ。
そんなことより、何ぞ自分で体動かすこと、考えなはれ。
体操でもしたらどないですねん」

「体操なんかしたら、寿命縮めるがな。
戸外走るなんて、荒々しい、むくつけきこと出来まへんデ。
私ゃ、スポーツは健康の敵や、思てまっせ」






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 28、姥あらくれ  ④ | トップ | 最終章 姥勝手  ② »
最新の画像もっと見る

「姥ざかり」田辺聖子作」カテゴリの最新記事