・今年は、正月のお煮しめとお節料理の手伝いに、
西条サナエが来てくれた。
黒豆は私が煮き、思うように出来た。
いっぺん三男の嫁が、
「あたし黒豆が得意なんですよ」というので私は頼んだ。
嫁は大得意で車を運転して持ってきた。
三人の嫁の中でこの子だけが運転できる。
他の二人の嫁、まだ四十代なのに、家に車はあるくせに習おうとしない。
なんという欲のなさであろう。
三男の嫁は大学出のヘリクツ言いで、
カチンとくることをぬかす奴であるが、車もチャンと運転する。
「これからの女は、車の運転ぐらい出来なあきませんな。
それだけでも取得や」
と私がほめたら、
「それしか取得がなくて悪うございましたね」
とむくれ、赤信号なのに突っ走って、交差点のど真ん中で急停車。
私はカクンと前につんのめり、
「やれ怖や。しっかり頼みまっせ」
といったら、
「そういう時のために、シートベルトがあるんです!」
と言い返し、
「ゴメンナサイ」という言葉はどこを押しても出て来ぬ女である。
強情嫁め!
この女はいつだか、私が頼んだ贈り物の送り先を間違い、
私はえらい目にあったが、そういう時ですら、
「人間だから間違いもありますわ」
とうそぶいた。
私は舌戦にかけては四十くらいの嫁に負けはしないが、
あたまのいい人間と舌戦を戦わすのは知的リクレーションであるが、
あたまの悪い人間と言い合いするのは、
エネルギーの消耗である。
昔なら、私がこんなことを姑にいおうものなら、
「よろし。あんたもう去になはれ」
のひと言で実家へ戻されてしまう。
そういう時、亡夫、慶太郎はおろおろするばかりで、
私の味方について姑にたてつくということはしなかった。
いまの時代であると、三男は嫁の味方につき、
「なあ、もうええやんか。お母ちゃんはひと言多いよって」
と私をたしなめる。
ま、その方が私は気楽。
これがお袋側につき、嫁をたしなめる息子であれば、
私はゾッとするであろう。
息子と嫁さえ仲良くしていてくれれば、
こっちは安心して言いたい放題言えるから嬉しい。
世間には息子が嫁のワルクチを言ったり、
嫁を叱ったりしているのを嬉しがる姑がいるようだが、
どういう気持ちかしら?
嫁と不仲になって、
こっちへ寄りかかられたら目も当てられない。
嫁をもらったら、親のことをかえりみないのが、
息子のあらまほしい姿であろう。
それも程度問題で、
まるきり姥捨てになっても困るけど。
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・ところがこの黒豆、嫁の自慢にもかかわらず、いただけない。
嫁というより、これは嫁の母親のやり方であろう。
フニャフニャと軟らかく、
皮はシワ一つなく、たるみきり、ふやけてやけに甘い。
私は黒豆の心得を説いて聞かそうとしたが、
「お姑さんにとって、黒豆とは何ですか?」
とやられそうなので、やめた。
その黒豆は、正月に来た前沢元番頭が、
「歯ァが悪おますので、こういうのが一番おいしゅうござりま」
と言ったので持って帰らせた。
何より大事なことは、黒々と美しく輝き、
皮にしわが寄らなければならない。
「シワは寄っても、マメなよに」
という心でお節料理に入れるのである。
この私のやり方を長男の嫁も次男の嫁も覚えようとしない。
みな、それぞれの母親を見習う。
それにこの頃はデパートであつらえるらしい。
正月にはそれなりに客が来るから、
つい自分で作る。
英会話仲間、油絵仲間、昔の人たちが挨拶に来る。
昔、船場にいたころ、奉公していた女中衆(おなごし)の、
お政、おトキ、(二人共上女中で姑たちが親代わりになり嫁入りさせた)
番頭だった前沢も来る。
お政どんは、頭のはげた五十二の長男をつかまえて、
「大坊ンちゃん(おおぼんちゃん)」と呼ぶ。
次男は「中坊ンちゃん(なかぼんちゃん)」
三男は「小坊ンちゃん(こぼんちゃん)」
長男も小さいときのままに「おまさン」と呼ぶ。
そういう人たちが私のところへ来るので、
一応の正月支度はしなければならない。
(次回へ)