「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「18」 ④

2024年11月20日 08時49分12秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・数日後、
夜遅く門を叩く者がある

無礼といっていいほど、
荒々しい

小さい邸なのに、
何だってまあ、
誰だろうと思った

舎人の男が、
起きだしていく

門のところで声がする

その話し声も深夜の訪問、
というのに配慮を欠いている

そういう礼儀知らずの、
使者をよこすあるじの顔を見たい
と私は怒りの虫がおきだしてくる

「滝口のお侍でしたよ」

小雪が手紙を持ってきた

則光からである

「宰相の中将の斉信さまが、
内裏に宿直していられてね、
これが、
妹のありかをいえ、
ときびしいお催促で、
おれは大弱りだよ
とても隠しおおせないよ
教えてもいいか
おれはもう、
ごまかしきれない
お前の言う通りにする
返事をくれ」

というものだった

斉信卿が来られたら、
すぐほかの男も訪れるように、
なってしまう

そんなことになれば、
左大臣派(道長公)が、
どうのこうのと、
うるさい取沙汰をされるのは、
目に見えている

私は返事を書かなかった

その次、
則光が来たときとき、
いたく不機嫌だった

「お前はおれのいうことに、
そうねえ、
といったことがあるか
反省したことがあるか」

よほど虫のいどころが悪いのか、
私に大声を浴びせる

狭い邸なので、
でも、
私はだまっていられなかった

「なんで反省なんか、
する必要があるの、
あたしはあんたの妻でも、
何でもないんだから
あんたをここへ来させるのは、
あたしの好意からなのよ、
ここを借りているのもあたし、
三条の邸もあたしのもの
あんたはお客にすぎないのよ
そこのところを忘れないでよ
なんであたしに指図をするの」

則光は身支度をして、
出て行こうとする

「もうたくさんだ
もうお前の生意気さに、
飽き飽きした
よし、客は退散する
二度と来ない」

なんでこんなことになったのか
へんな具合に展開してしまった

やたら怒鳴れば、
女は怖がって屈服する、
と思っている

私は則光に腹を立てた

則光が、

「二度と来ない」

などと毒づいたこの邸、
急に興ざて私もいやになった

「結構よ、
あたしもここを引き払って、
三条へ帰るわ
あたしもそろそろ、
中宮さまからご催促を、
頂いているんだから、
もう、出なくちゃ」

則光は答えないで、
大声で従者を呼ぶ

「馬をひいて来い
ぐずぐずするな、
出るぞ!」

と従者を叱りつけ、
門を開けさせ、
疾風のように去っていった

私は顔色も白む思いでいる
なんであんなに怒り狂うのやら

「ふん、勝手にするがいいわ・・・」

私は毒づいてみたが、
声に力がなかった

則光が、
二度と来ないといったことに、
妙にこだわっている

まさかあいつが、
ほんとに私と会わなくなる、
とは思えない

則光め、
何やかやいいながら、
私と気が合うらしい

私の邸へ来て、
私としゃべり、
私にやりこめられて、
にやにやしていたではないか

私といるときが、
いちばんくつろぐ、
という顔でいたではないか

則光は私の邸へ来ると、
当然のように、
食事をしたり、
私を抱いたりする

それは彼の当然の権利ではなく、
私の好意からなのだ、
とわからせようとしても、
彼は、

「まあ、まあ」

と図々しくなだめて、
私を黙らせ勝手知った風に、
心安げに私を扱う

つい妥協しているうちに、
私も心の均衡を取り戻して、
精神が安まる

でも、それは、
則光を愛しているからではない

馴れからくる安心感、
それに則光に施しをして、
やっているような優越と満足感、
そういうものだと思っていた

それだから、
則光がもう来ない、
といったって、
どうということはないはずなのに、
私はなぜか心弾まなかった

面白くなく、
うつうつと楽しまない思いで、
横になったが眠れない

次第に則光に腹が立ってくる

(あのバカ、
本気で怒ることないじゃないの
あんなバカは私に対して、
いつも顔色をうかがって、
いるべきなのだ
私のほうがあいつの顔色を、
見ることはないのだわ)

急に、
この隠れ家にいるのも、
つまらなくなり、
私は夜が明けるとすぐ、
この邸を引き払うことにした






          


(了)

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「18」 ③

2024年11月19日 08時51分39秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・ところで経房の君が、
この隠れ家へ来られたのは、
中宮側の情報をもたらして下さる、
ためである

「今日、
御前に参るといい風情だったなあ
女房の装束は秋にふさわしく、
少しの乱れもありませんでした」

「御簾の内へお入りになったの?
どなたかの」

「ちがいますよ
こちらから見えたのです
御簾の端っこのあいた所から
寸分のすきもない、
装束をきちんとつけて、
静かに居並んでお仕えしている、
内裏にいられたころより、
いっそう礼儀正しくしていらっしゃる、
皆さんです」

そんな話の好きな経房の君は、
心地よげだった

「それから何やかやと、
話をしているうちに、
誰からともなく、
あなたの噂になりましてね」

「どうせ悪口でしょう」

「おやおや、
聞こえていたんですか」

と経房の君は笑われて、

「いや、それは嘘
ほんとうはあなたのことを、
みんななつかしがっていましたよ
宿下りが長すぎるって
早く会いたいって」

「本心かどうですか」

「おやおや、
この頃どうなすったんです、
拗ねてしまわれて
あなたが早く出仕しないと、
中宮さまもお淋しそうだし、
何よりこんなご境遇で、
侘び住まいしていられる、
中宮さまのお側を、
あなたが離れていられるはずがない、
あんまりつれなく長い宿下りを、
していられるのが、
中宮さまも物足りないと・・・」

「どなたですの
そんなことをいうなんて、
白々しいわ」

「ま、誰だっていいじゃないですか、
ともかく、
口々にそういっていられました
あれはきっと、
私の口からあなたに伝えてほしい、
ということなんでしょうね
皆さんがたは多分、
私があなたの隠れ家を知っていると、
にらんでいられるのですよ」

「だからこそ、
そんなことをいうんです
あなたがお帰りになったあと、
また悪口いってますわよ」

「まあまあ」

経房の君は、
私のように怒りっぽくないので、
やさしい笑みを浮かべられる

中宮のお使いは、
実をいうと三条の留守宅へ、
しばしばそっと来ていた

中宮のご直筆ではないけれど、

「早く参るように」

という勿体ない仰せである

でも私は邸にいないように見せて、
ただ留守番の者に、

「承りました」

とだけ言わせていた

私は朋輩のうっとうしい感情に、
もみくちゃにされるよりは、
経房の君のような、
男友達とつきあっているほうが、
いまのところはよかった

それに私はこのごろ、
やっと書き出している

あの「春はあけぼの草子」である

右衛門の君は、
「あの日のこと」は、
一切口外すまいと言い合った、
と自慢らしくいったけれど、
私の書く「春はあけぼの草子」だって、
悲しいこと辛いことは書いていない

いや、
私の書くものを読んでもらえば、
悲しいことも辛いことも忘れ、
「かがやく日の宮」としての、
中宮のおん姿ばかり、
印象にとどめられる、
それだけの力はあるはずだ

いや、
そうなっていなければ、
いけない

でも一つ、
心にかかること

それは中宮のお気持ちを、
押し測って私がひそかに、
苦しんでいること

それは、
主上に新しい女御が入内された、
ということだった

「ねえ、
弘徽殿の新女御は、
どういう方ですか・・・
主上のおぼえめでたくて、
いらっしゃるの」

という時、
私は女御に嫉妬していた
中宮になりかわって

「こんど顕光の大臣の姫も、
お入りになりますよ
これは承香殿の女御と、
もうしあげるらしい」

「やっぱり・・・」

「しかし主上はおとなでいらっしゃる
弘徽殿の女御も、
ひととおりお扱いになって、
うとうとしくなく、
というところでいらっしゃるようです
母君、東三条女院は、
どなたでもいい、
御子をもうけられた方に、
肩入れいたしましょう、
と仰せられていると、
噂に聞いています
でも、主上は、
新しい女御がたが、
入内されるにつけても、
中宮を恋しくお思いになるらしい、

主上づきの女房から聞きました
ほら、あの右近が、
そっと教えてくれたんですよ」

「そうでししょうとも」

私は心が明るんで嬉しかった

「中宮さまは、
それをご存じかしら?」

「きっと主上と中宮の間には、
人知れずお文のやりとりが、
あるにちがいないですよ」

「そうね、
私たちが心配することは、
ないかもしれない」

私は経房の君が帰られても、
心の弾みが失せやらず、
ついおそくまで灯をともして、
筆を走らせるのだった

この隠れ家を訪れる、
もう一人の男は、
ここを見つけてくれた則光である

この男は三条の邸と同じように、
ここへ来るとくつろぎ、
かつ、今も私を、
妻のように扱う

「めしはあるか、
酒は?」

などいって、
女童の小雪をあわてさせる

則光には、
私の居所を誰にも、
知らせないで、と、
かたくいってあるのだが、

「宰相の中将が参内されてね、
昨日のことだよ」

宰相の中将とは、
斉信卿のことである

参議に昇進なさったので、
以前、頭の中将でいらした、
ときのように毎日、
内裏にはいらっしゃらない

斉信卿とも仲がよかったのに、
もうずいぶん長くお会いしていない

「斉信卿が言われるんだ

『則光、お前はお兄さまだろ、
妹のいる所を知らぬわけは、
あるまい
言えよ』

としつこく言われるのには、
参ったよ」

「それで言ったの、
ここを」

「いわないよ、
口止めされているもの」

則光は口をとがらせていう

「ところがしつこく問われるんで、
困っちまった、おれ
うそがつけないところへ持ってきて、
身におぼえあることを、
知らぬ顔で通すには、
ずいぶん心苦しいことだよ」

「絶対、ここのこと、
いっちゃだめよ」






          


(次回へ)

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「18」 ②

2024年11月18日 08時53分57秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳









・それにしても私は、
女同士の陰湿なひめごと、
耳打ち話、
しみったれた思惑に、
くさくさしてしまった

二条のお邸は、
焼失した北宮より手狭だという

そんなところへ、
女房たちの耳打ちや目くばせを、
気にしないふりをして、
出ていくのもうんざりする

女ばかりの世界は、
私には向いていないのだ

やっぱり後宮で、
ときめいていらした頃の、
中宮定子の君のつくられる、
陽気な楽しい暮らし、
男たちが入れ代わり、
立ち代わり来て、
頓才や機智を挑み合う、
あの生活がなつかしい

私は、

「体調がすぐれませんので、
しばらく宿下りを・・・」

と願い出たわけだった

三条の自邸にいては、
ここを知っている殿上人たちが、
訪れその中には左大臣派(道長公)の、
人もいることだから、
またどんな誤解を招くとも限らない

私は則光に頼んで、
適当な隠れ家をさがしてもらった

そしたら、
五条の辺に、
ちょっと手狭ではあるが、
住み勝手のよさそうな邸を、
見つけてくれた

ここは、
一家が仕えるあるじに従って、
越前へ赴任したばかりで、
借り料を払えば、
任国から帰るまでいてもいい、
というのだった

今年の春の除目で、
越前守になったのは、
藤原為時という学者である

この人はもともと、
淡路守になったのであるが、
長い不遇暮らしの末、
やっと役にありついたと思ったら、
貧しい下国の淡路を引き当てたので、
大いに嘆き悲しんだ、
とうことである

そこで学者らしく、
一文を草して、
主上つきの女房に托した

「苦学の寒夜、
紅涙、袖をうるほし、
除目の春朝、
蒼天、眼にあり」

という切々たる、
悲嘆をこめた文章で、
主上いたく御感あって、
こんなに才能ある人物を、
自分は適所に用いることが、
出来なかったと悲しまれた

道長の君は、
主上のおん心持ちを、
おもんばかって急いで、
除目のやりなおしをされた

為時を大国の越前守に据え、
越前守に決定していた、
源国盛を淡路守になさった

国盛はあべこべに落胆し、
悲しんだという

私は為時という、
爺さん学者は見たこともないが、
儒者として一流で、
大した学者だと聞いていた

私はもともと学者は、
あんまり好きではなく、
なんとなく好感が、
持てないのであるが、
自分の守備範囲の文章で、
主上のお心を動かすというのは、
物質的わいろを送るより、
ずっと立派じゃないか、
と思った

そして為時という、
ぱっとしない不遇の学者役人に、
好感と共感を寄せた

そうそう、
経房の君は、
秋の除目で順調に昇進し、
近衛中将になっていられる

私はこの隠れ邸の場所を、
経房の君だけに教えておいた

このちゃきちゃきの左大臣派、
それも道長の君に可愛がられて、
息子分の扱いを受けていられる、
経房どのに私が仲良くしている、
ということが、
中宮側近の女房たちには、
目ざわりで猜疑心を生むもとに、
なっているのであろうけれど

でも、経房の君は、
大切な人である

恋人でもなく、
姉弟というのでもない、
ふしぎに近しい心情の人で、
まぎれもなく異性である

私は女友達よりも、
男友達とよくわかりあえ、
心ゆるしあえる人間である

女友達といったら、
畏れ多いけれど、
それに値するのは、
中宮お一方だけ

経房の君は、
私の隠れ家に早速、
やって来られて、

「わかりにくい所ですね
小さいが風情があっていい、
越前へ行った為時ゆかりの者の、
家だって?」

ということから、
為時の話になった

「為時どのといえば、
たしか、娘さんが、
おありと聞きましたわね」

あれは陸奥へ下った実方の君が、
噂していた

「『めぐりあひて
見しやそれともわかぬ間に
雲がくれにし夜半の月かげ』
という歌を詠んだ娘さんですわ」

と私は、
その歌をおぼえていて、
いった

「その娘さんは、
もう結婚したのでしょうか
あの頃からみても、
もうはたちは過ぎたでしょうから」

私は歌人で有名な実方の君が、
その歌をほめたので、
張り合う気から、
その娘のことが気になっていた

「そういえば、
一人だか二人だか、
娘を越前に連れて行った、
と聞きました
為時どのは、
妻を亡くして久しいやもめ暮らし、
ですから身の周りの世話に、
娘さんを連れて行ったのでしょう
でもそれならまだ、
婿取りはしていない、
ということになりますね
ほう、そんな歌を詠んだのですか
父親似で文才があるのかも、
しれませんねえ」

経房の君は、
そういわれたが、
にやりと笑われて、

「しかし、あの為時どのに、
似ているとすれば、
さして美人ではないわけだ
ただ息子に惟規(のぶのり)、
というのがいますが、
これは女によくもてているようです」

私はふと、
ずっと遠い昔、
父に連れられて周防の国へ、
下った少女のころを思い出した

為時の娘もまた、
詩人で学者の父と、
越前へ旅していったのだろうか

周防は暖かかったけれど、
今の時節から冬に向かう越前は、
雪に埋もれてどんなに物寂しい、
ことだろう

娘の身には、
さぞ都恋しいにちがいない
私の場合はまだ、
ほんの子供だったから、
好奇心が強くて、
よその国に馴染んだけれども

為時の娘は、
都を離れて行くとき、
もしかしたら、
伊周(これちか)の君の、
配流騒ぎを見ながら、
逢坂山に向かっていたのかも、
などと私は考える

私は文才があるというその娘に、
張り合う気持ちを持ちながらも、
一方では共感と連帯感を、
おぼえずにはいられなかった






          


(次回へ)

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「18」 ①

2024年11月17日 08時41分22秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私はもう長いこと、
里下りをしている

しかもいま居る邸は、
世間には隠している

中宮の御前にも、

「知るべのもとへ・・・」

とだけ啓上して頂いている

式部の君や右衛門の君にも、

「しばらくお寺へ籠ったり、
知人の邸に身を寄せているから」

と言いつくろって、
私はひっそりと人知れぬ、
小さい邸に仮住まいしている

中宮はいま、
叔父君・明順(あきのぶ)どのの、
小二条邸にお身を寄せられている

あの騒動のあと、
奇っ怪なことに、
半月ばかりして、
中宮のおわす二条北宮が、
焼失してしまった

いつぞや、
あの宮で右衛門の君と、
寝ているところへ来た、
童女が、

「お邸が火事になるかもしれないって、
みんな噂して怖がっています」

と口走ったが、
危惧は的中し、
夏の一夜、二条北宮は、
不審火で焼け落ちてしまった

ご兄弟の災厄に、
追い打ちされるように、
火難に見舞われなすった中宮の、
お心持ちはどうだったであろう

中宮と母君・貴子の上を守って、
女房達は火の粉を浴びつつ、
命からがら近くの、
小二条邸へ逃げたとか

なぜ、都落ちした流人の留守宅は、
原因のわからぬ火災をおこすので、
あろうか

朝廷からは、
中宮に対して、
さまざまのお見舞い品が、
贈られたそうであるが、
火難よりも中宮のお心を、
曇らせたのは七月に、
大納言・公季(きんすえ)卿の、
姫君・義子姫が入内されて、
弘徽殿女御となられたことでは、
あるまいか

主上ははじめて、
定子中宮のほかの女御を、
納れられたわけである

その知らせを、
中宮はどうお聞きになっただろうか

伊周(これちか)内大臣どのらが、
失脚され流人となられるが早いか、
早くも後宮に新しい花が、
咲いたわけである

でも、私は一人じっと、
人知れぬところに籠り、
中宮のお側には、
近づかないでいる

あの後、
二条邸へ出仕すると、
女房たちの私に対する反応が、
異常だった

中宮はお具合が悪くて、
お臥せりになっていたし、
お目にかかれずじまい

中納言の君は当惑したように、
目をそらし、
宰相の君の私に挨拶しようと、
しない

小左京の君は、
物陰でそっと、

「わるいけどあなたと話すと、
誤解を受けるかもしれないので
私はあなたのことを、
決して左大臣(道長)派の方、
とは思っていないけれど・・・」

とばかはばかなりに、
正直である

道長の君は、
とうとう一の人になられ、
伊周の君たちの没落をよそに、
道長の君は栄えてゆかれる

私が道長の君の俊敏さを、
認めているのは事実だけれど、
しかしそちらに通じて、
中宮なり伊周の君を、
売るとか裏切るとか、
いったことは全くない

この薄幸なご一家に対する、
私の真情は神かけて、
うそ偽りのないものである

それなのに、
中宮の側近の女房たちは、
私を白い目で見る

「それはあなたが、
長徳二年五月一日の、
二条北宮に、
いなかったせいじゃない?」

と右衛門の君はいう

「あのとき、
あの場に居合わせなかった人と、
居合わせた人の間には、
もう永久に埋められない、
裂け目が出来たのよね
あなたはその場にいなかった、
それが致命傷ね」

右衛門の君は、
意地わるくいい、
なに、それは、
ただの意地わるなのである

私だってあの日、
偶然の運命で、
中宮のお側にいられなかっただけだ

「あのとき、
内大臣さまのお車は西南へ、
中納言さまのお車は西北へ、
追われていらっしゃる
邸中の泣き声はかしましいさまで、
高まったところへ、
中宮がお手ずから、
御髪を下ろされたときは、
みんな動転していったのね
このときのことは、
決して口外しますまい、
死ぬまで誰にも洩らしますまい
とかたい約束をしたの」

右衛門の君は、
勝ち誇ったようにいい、

「だからその場に、
いなかった人といた人とは、
どうしても気持ちが溶け合わないのは、
当然じゃないかしら」

それはつまり、
中宮のご寵愛も、
やがてはそれらの人々と、
部外者たる私は、
分け隔てがあられるだろうし、
そうなるのが当然、
という口ぶりだった






          


(次回へ)

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「17」 ②

2024年11月16日 08時41分36秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・筑紫へ、出雲へ、
と出立した罪びとのもとから、
中宮へしきりにお便りが寄せられる

詩人才人のご一家なので、
こうした時にさえ、
そのお歌や消息は、
世間に洩れ散って、
人々の同情と共感をあつめる

母・貴子の上が、
内大臣どのにとりすがり、
そのまま出発されたこと、
内大臣どのが、
宣命が下りているのに、
あきらめきれずに逡巡して、
いさぎよく罪に伏されないこと、
などを、

「未練がましい、
身勝手な進退」

と非難する人もあるが、
しかしそれ以上に、

「ご尤もなこと
母・貴子の上のお心は、
さもあろうと、
帥どのも妹宮と母上を見捨てては、
いさぎよく出立できかねたであろう、
なんという人間らしい、
お心持ちであられることか、
目のあたりにその嘆きを見た、
検非違使たちもさすが人の子、
心動かされて、
よう手を下して、
強行出来なかったのであろう、
その場にいたら、
どんな人も共感するはず
朝廷のご命令は、
情け容赦もないものであったが、
あれは実際に愁嘆場を見なんだゆえ、
ああも気強く出られるのであろう」

という同情の声が多い

憎まれて孤立していると、
思われた関白家であったが、
それも、ここまで追いつめられると、
にわかに同情に変じたようである

「それに、
宮はただいまご懐妊中、
果たして第一皇子でも、
ご誕生になったら、
たちまち形勢は逆転します
世間はそのへんのところも、
にらみ合せております」

私にそういうのは、
棟世だった

棟世は、
こんどは山城守になっている

九州の商人がもたらしたばかりの、
珍しい唐綾の反物を土産に、
邸へ久しぶりに顔を見せた

棟世はいつも、
夜に入ったころに来る

「夜の方が、
見苦しさもかくれて、
いいかと思いましてな
色めいた心でおたずねするのでは、
ありませんよ」

棟世はおっとりというが、
夜の乏しい灯りのもとで、
逢う人は容貌よりも、
気配りのいい人が好もしい

もののいいぶり、
身じろぎ、
しぐさ・・・
それらがかえって昼間より、
はっきりとわかり、
夜というのは面白い

美しい男や女は、
昼間のもの
美貌だけが自慢で、
気配りの劣る男女は、
夜には逢えないものである

「あなたのことなら、
何でも耳に入っております
しかし、草子はまだ、
拝見しておりません
いちどお貸しください」

「もう長いこと、
打ち捨てています
まして今日このごろの、
宮さまのおん有様ですもの
おいたわしくて、
考えるだけで胸ふさがって、
食事もとれない気持ちです」

と私がいったものだから、
棟世は、

「世間の同情は、
いま、にわかに、
伊周(これちか)の君のご一家に、
集っている、
まして宮がご懐妊中であるのを、
誰も無視できないでいる」

と慰めてくれた

「それじゃ、
帥どのは許されて、
お帰りになるかしら?」

「すぐに、
ということは無理でしょうが、
左大臣・道長公も、
天下の人心をじっくりと、
見通して事を運ばなければ、
なりますまい」

棟世にそういわれると、
私も心がやや落ち着く

中宮が世を捨てられた、
という衝撃で私はここ何日か、
何も手につかず、
いら立つばかりで、
そういう混乱が、
棟世のおかげで少し、
立ち直る気がする

則光などは、
内大臣ご一家が罪状決定した日に、
殿上人たちが、

「いい気味だ、天罰だ」

といっていた、
などということを聞かせ、
私を腐らせた

しかし棟世は、

「人々がこっそり同情している、
その人心を左大臣どのも、
無視なさることは出来ない」

と慰めてくれる

また更に、

「主上がとうてい、
宮さまをお手放しには、
なりますまい
とてもおむつまじい仲とか、
下々にまで聞こえています」

といって、
嬉しがらせてくれる

棟世はしかし、
いつも短い時間で帰ってしまう

棟世のいっていた同情論が、
かたちをあらわしたように、
内大臣どのも中納言どのも、
配流先がずっと近くに変更された

内大臣どのは、
山崎の関で発病なさったので、
播磨の国に落ち着き先が変り、
中納言どのは但馬に、
とどめおかれることになった

母・貴子の上は、
それに安堵して、
やっと山崎から帰られたという

中宮は悲しい中にも、
ほっと安心して、
嬉しく思われたのだった

播磨でも但馬でも、
国守たちは配流の貴公子に、
同情しねんごろにお仕えして、
いるという

私も心から嬉しかった
中宮がお心丈夫に、
思われることだろうと、
自分も心はずむのだった

やっと、という感じで、
世の中が落ち着いたので、
私は二条北宮へ参上した

少なくとも、
お邸の内の様子は、
三月に来たときより、
ずっと平静と秩序を、
取り戻していた

男あるじのいない邸であるが、
中宮のご存在を柱にして、
どことなく活気が、
よみがえっていた

(よかった・・・)

私は局に向かうまでに、
中納言の君に挨拶にいった

中納言の君は、
どことなくよそよそしかった

そういえば、
そのほかの若い人たちも、
年配の人たちも、
私を見る目がどことなく変である

女房たちが集まっている所へ、
私が顔を出すと、

「・・・」

人々は話をやめてしまう

「左大臣家(道長公)と、
つながりのある人の前では、
用心して口を利かないと・・・」

などとうなずきあう

私のことか






          


(了)

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