むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「20」 ④

2024年11月29日 09時16分39秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私は、

「いつ出発なの?」

という手紙を使いに持たせた

そして、
こんな手紙を書かねばならない、
状態を作った則光に怒っていた

私が、待っている、
とひと言ほのめかせば、
取るものも取りあえず、
あたふたとかけつけるべきなのだ

来るといって、
すっぽかすなど、
言語道断である

すっぽかすとは、
怪しからんではないか

私が重ねてやった手紙の、
返事がやっと来た

「すまん
ごたごたしているんだ
薄情な奴と思わないでくれ
薄情はお前にならった、
といってもいいかな
元気でいてくれ
すぐまた帰るんだ、
その時に会おう」

実に実務的というか、
そっけないというか、
立ちながら走り書きしたとしか、
思えない

世間並みな男なら、
離別という事態に立ち入ったら、
それこそ情を尽くして、
やさしい言葉をつづり、
女心をなぐさめ、
いたわってくれるでろうが、
この走り書きには、
味もそっけもない

私はくやしくて、
きりきりと腹を立て、
手紙をねめつける

その手紙に、

(お前のことどころじゃ、
ないんだよ、
こっちは忙しい、
というより嬉しくて)

という気持ちが抑えきれず、
浮かび上がっているのが許せない

則光はいつか、

(全く都と変ったところがいいな
都びとと全く違う型の人間と、
親しんだり一緒に仕事をしたい)

といったことがあったが、
彼は今、
そういう新しい人生への、
期待で心弾み、
何も手につかないのかも、
しれなかった

私とは別の地点で、
心弾みしている彼が、
(しゃらくさい)
という気でもあるのだ

私は歌を書いてやった

<よしさらば
つらさは我にならひけり
たのめて来ぬは誰が教へし>

(薄情をあたしにならった、
というのなら、
それはそれでいいわ
じゃ、来ると約束して、
来ないのは誰に教わったの?)

というような意味

すると思いがけなく、
夜に入って使いが彼の返事を、
もたらした

「歌なんか詠むな
といったろ?
歌、と聞いてだけで、
おれは頭痛がする
歌が書いてあると見る気もしない
それより、
お前のことをおれは、
心配しているんだよ
(おにいさま)(いもうと)
という情愛だけでもいいじゃないか
元気でいろよ」

これがまた私を怒らせた

「おにいさま」「妹」
という立場でごまかされた、
と感じたのだ

ちゃんとした挨拶もなく、
「妹」分扱いに、
うやむやにしてしまうなんて、
許せない

私はまた歌を書いて返した

<崩れよる妹背の
山の中なれば
さらに吉野の川とだに見し>

(おにいさま、いもうと、
なんて約束も崩れてしまったのよ
そんな情愛なんてまっぴらよ
何が心配?
あたしの何を心配するの
もうあんたのことなんか
これっぽちも関係ないわ)


そういう意味だと、
わかったかどうか

いや、
歌だと知って、
見もしないで、
うち捨ててしまったのかも、
しれない

とうとう返事は来ずになり、
そのまま、
則光一行は遠江の国へ、
赴任してしまったらしかった

則光は行ってしまった

彼が都にいる間は、
会わなくても気にならなかった

呼べば飛んで来ると思ったから

そういう彼が、
私に会いもせず、
都を出ていくなんて

遠江には大きな湖がある、
というけれど、
そういうところで則光は、
土の匂いを嗅ぎ、
川の水をすくって飲んで、
いるのかしら

私は則光を愛していた、
というのではないのに、
彼が都にいない、
というだけで、
何だか何を見ても、
うつろな気持ちだった

そうして則光に腹を立て、
彼を任じたお役所に腹を立て、
手づるを与えた兄・致信にも、
腹を立てた

しばらく出仕もできない、
状態だった

そのころ、
故粟田殿(道兼の君)の姫君が、
あらたに入内された

お年は十五でいらっしゃる

もっとも七日関白といわれ、
政権を手にして七日も、
たたぬうちに病にたおれられた、
道兼の君が、

「女の子が欲しい、
欲しい・・・」

と神仏に願をかけ、
やっと北の方が懐妊されて、
狂喜していらした

あの時のお子ではない

だってあれは三年前のこと

あのときのお子は、
願い通りに姫君だったが、
そのお顔を見ることなく逝かれた

こんど入内されたのは、
主上の御乳母の一人の、
藤三位という人と、
道兼の君との間に、
生まれられた姫君である

愛人の藤三位の姫君は、
別に可愛がっても、
いらっしゃらなかったらしい

藤三位は主上の御乳母として、
時めいている人だが、
道兼の君亡きあとは、
中納言惟仲と再婚している

惟仲がなかなかの野心家で、
道兼公の姫君を、
そのままおいておかず、
「御くしげ殿別当」として
入内させたという噂だった

いずれは女御に格上げするよう、
ひそかに運動しているという噂

さあ、定子中宮のほか、
承香殿、弘徽殿の女御がたに、
対抗して主上のご寵愛を、
ことさらお受けになろうとは、
思えない

承香殿の女御が、
ご懐妊とさわいで、
おなかからおびただしく水が出、
いっぺんにぺしゃんこになられた
と世間の嗤い者になっていらしたが、
主上はそれを、
おやさしいお心から、
深く憐れまれたらしい

傷心の女御に、
やさしいお便りがあって、
さきごろ女御はまた、
内裏へ戻られたという

そんなわけで、
私はもっぱら、
自分一人のむしゃくしゃにかまけて
出仕もしないでいた






          


(次回へ)

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