・後宮はのどかに見えるが、
しかし、それはうわべのこと、
政治的な情勢は刻々に、
変ってゆく
おそらく内大臣・伊周(これちか)
の君の立場は右大臣となった、
道長の君に刻々、気押されて、
いっているにちがいない
三十歳の老練な道長の君に、
二十二歳の伊周の君では、
貫禄もちがう
それに伊周の君は、
宮中では孤立していられるらしい
この間、中納言になられた、
弟君の隆家の君のほかは、
お味方になるものといえば、
母方の一族の高階一家ばかり、
それも、
「高二位の爺さんが、
あやしげな呪詛をしているので、
日一日と人望がなくなってゆく」
という元夫の則光の話である
「あの高階一家は、
爺さんばかりではない
定子中宮の乳母で、
爺さんの娘の命婦も、
呪詛しているらしい」
「まあ、あの命婦の乳母が」
私は「高二位の爺さん」に、
よく似た小太りの乳母を、
思い浮かべた
中宮の乳母は、
母君・貴子の上の妹に当られ、
中宮は叔母を乳母として育たれ、
そこからみても、
高階一家と密接にかかわりあって、
育っていらしたのだった
それにしても、
なぜかくも、
人は高階一家のことを、
まがまがしい噂でまみれさせ、
吐き捨てるようにいうのだろうか
定子中宮にしろ、
伊周の君にしろ、
その美貌と冴えわたる才気、
明るくのびのびしたお気だては、
何の曇りもゆがみもおありにならない
なのに人は、
暗いイメージを重ねるのか
中宮の母君、貴子の上など、
漢学の素養の深い方でいらっしゃる上、
歌人としても名高い方だった
<わすれじの行末まではかたければ
今日をかぎりの命ともがな>
という歌は、
道隆公が通いそめられたころ、
つまり貴子の上が、
円融帝に仕える女房で、
高内侍(こうのないし)と、
呼ばれていられたころの歌である
道隆公との恋のはじめころの歌で、
いまもこの歌を秀歌という人は多い
そういうやさしいご一族が、
何だってまあ、
人々に嫌われ、
孤立してゆかれるのだろう
右大臣・道長の君の力が、
強くなりまさっているのは、
有国の復活によっても、
見てとれた
藤原有国は、
平惟仲と共に兼家公に仕え、
左右の目として、
重用される能吏だったが、
一の人(関白)の位を、
誰に譲るべきかを、
兼家大臣が二人に計らわれた際、
有国は、
「道兼の君に
道兼の君は花山院をすかして、
退位させられた一番の手柄が、
おありです」
といい、惟仲は、
「しかし道兼の君は、
次男でいられる
やはりここは長男の道隆の君に」
と主張した
道隆の君は政権を執られたとき、
惟仲を重用され、
有国を追放された
それも徹底的ないじめ方を、
なさった
有国の官位を、
剥奪されたばかりか、
子の官位まで取り上げられた
世間はあまりに苛酷ななされ方、
と思ったが一の人に何がいえよう
そうして道隆の君亡きあと、
いよいよ道兼の君の世になり、
有国は喜んだが、
それもつかの間、
七日関白で終わってしまった
有国は当然のこととして、
道長の君に忠誠を誓ったのであろう
有国は太宰大弐として、
九州へ栄転し、
めざましい復活をとげた
有国の妻は、
主上の乳母だった人である
なかなかの策士だという評判で、
主上に取り入って、
その方面からも有国の復権に、
尽力した
北の方として、
九州へ下る華々しさは、
世間に評判になった
そしてそれは、
世間の人々の共感を呼んだ
有国の兼家公の寵愛を知っていた、
世間はそれに反して、
ひどい仕打ちを加えられた道隆の君に、
反感を抱いていたのであろう
私はというと・・・
主上の乳母とはいえ、
この人はいつも威張り散らす人なので、
好感は持っていなかったのだけれど
ある日、局(つぼね~部屋)にいると、
則光がやってきて、
そっといった
「聞いたか?」
「どうしたの?
何も知らない」
「右大臣(道長の君)と、
内大臣(伊周の君)が、
今日、ものすごいケンカをした
罵声入り乱れて、
あやうくつかみかからんばかり」
「まさか、
そんな、はしたない・・・」
「ほんとうだよ
おれも声を聞いたが、
何を争っていたのかは聞こえない」
「・・・どうなるんでしょう
この先・・・」
「いずれ大事件が、
もちあがらずにはいるまいよ
このまま両者が仲良くということは、
ないんだから」
「でも、
中宮さまがいらっしゃる限りは、
内大臣さまの勝ちだわ・・・」
「わかるもんか
中宮が親王でもお生みになって、
その方が立太子でもなされば、
状勢は変るが、
右大臣の顕光どの、
大納言の公季どのやらが、
それぞれ姫君を入内させようと、
もくろんでいられるという話、
まだ知らないのか」
「知らない」
後宮は奇妙なところだった
ある情報は、
やたらに詳しく、
ある話はぴたりと、
伝わらなかった
中宮側に知らせるまい、
という誰かの意識が感じられる
「道隆の君が生きていられる間は、
みんなはばかっていられたが、
亡くなられたからには、
遠慮はない
それに、道長の君の彰子姫は、
まだ童女だから、
一人前になるまで少々時間がかかる
このひまに、
というところだろう」
「でも、
主上と中宮は、
とても愛し合っていらっしゃるわ
お二人の仲を裂くことは、
できないわ
主上が女御のご入内を、
お拒みになるかもしれない」
「主上は、
そんなことおできになれない
それに、
後宮にお一人しかいられない、
という方が異例だ
今までが異例だった
これからは二人、三人、四人・・・
と増えていかれるだろう
お前は中宮さまの味方だから、
辛いだろうが、
これは仕方がないことさ」
「男って、
いくつも愛情を分けられるものなの?」
「分けるんじゃない、
ふえていくのさ
何人女がいようと、
どの女も可愛い、
というのが男の真実だよ」
「自分のことをいって」
「男はみなおんなじだ」
(次回へ)
・定子中宮は宵に入って、
やや立ちはじめた涼風に、
ほっとくつろいでおられる
宰相の君に物語を読ませられ、
聞きいっていられるところだった
私が参上したのを、
中宮はめざとくご覧になって、
「この物語はつまらないわ
みな、どこかで聞いたような、
場面ばかりですもの・・・
少納言、あなたのおしゃべりは、
面白いのだから即興に思いつくまま、
作り話をしてごらんなさい」
と思いかけぬことを、
仰せられる
「とんでもございません、
とても、そんな・・・」
「いいえ、あなたの話はいつも、
描写力があって、聞いていて、
ほんとに・・・
と思いあたることが多いのですもの」
「まあ、どうでございましょうか
わたくし自身では気が付かないので、
ございますが・・・」
と私がいうと、
右衛門の君は意地悪くいう
「ほらほら、
少納言さんはその気になって、
顔がほころびていますよ」
みんな笑って、
中宮さまも面白がられて、
「いつも、
『宇津保』や『竹取』の、
評釈ばかりではつまらないのだもの
『草は』『虫は』『遊びは』
の『ものはづけ』も、
しつくした気がするわ
さあ、何でもいいから・・・」
「いいえ、
物語など、とてもそんな」
そこへ、
主上がお渡りになります、
の声
主上(一条帝)は、
お見上げするたびにりりしく、
けだかくなりまさっていられる
おん年十六歳
日々、お背もたかくなられ、
お体つきもしっかりしていかれる
はじめてお目通りを許されたころの、
美少年にみまほしい、
やさしげなお姿のおもかげは、
もうない
しかしご表情が、
落ち着いてやわらかく、
やさしげでいられながら、
威厳がおありになるのは、
いまも同じだった
中宮は故父関白のおんために、
毎月、忌日の十日に法要を、
いとなまれる
九月十日のご供養は、
職の御曹司で行われた
上達部や殿上人が、
おびただしく参集した
法要が果て、
宴となる
酒がめぐって、
詩を誦する者が出てきた時、
頭の中将の斉信の君が、
すばらしい詩を、
はりつめた美声で朗誦された
「彼の金谷に花に酔ひし地
花春毎に匂うて主帰らず
南楼に月を弄びし人
月、秋と期して身、
何くにか去る」
し~んとするほどの感激で、
私は涙を拭き拭き、
人々をかきわけ、
中宮のお側へ近寄ろうとした
「身、何くにか去る」
人はどこへ消えていくのか、
故関白どののあの笑顔、
やりばのない悲しみが、
斉信の君の朗詠で、
快い情感に溶け、
こういうのをこそ、
陶酔というのであろうと、
中宮に申し上げたいのだった
中宮は膝をすすめていられ、
私の近寄るのを、
期待していられるさまだった
「きっと、
少納言が感激する、
と思ったわ」
とまずいわれる
いちいち申しあげないけれど、
私はふとした折々の、
面白いという感懐を、
再び草子に書きとどめはじめた
それは中宮に、
お見せしようという心で、
熱が入ってゆくのだった
いつか中宮も仰せられた
「書くのよ
そんなはかない折々の思い出は、
書きとめておかないと、
すぐ忘れてよ」
と
人の美しさ
自然の美しさ
このおもしろさを、
中宮でなくて、
誰にわかって頂けようかと、
私は草子に書きつぐ・・・
心の中で訴えつづける・・・
(了)
・六月の晦日には、
大祓という大切な神事がある
中宮は喪中でいられるので、
神事をはばかって、
内裏から退出されなければ、
ならない
太政官庁の朝所に、
お渡りになる
この建物は上級役人たちが、
朝食をとるところである
暑い夜だったので、
とりあえず眠ってしまったが、
朝早く起きると、
ずいぶん変わった建物だった
見なれた檜皮葺きではなく、
唐めいた瓦葺きの屋根で、
格子もなく、
ぐるりを御簾だけめぐらせてある
「あら、珍しい」
と私たちは喜んだ
若い女房たちと庭に下りたが、
前栽に忘れな草をたくさん植えてあり、
房になって咲いていた
こういう、
官庁などの庭には、
似つかわしく見える
それはともかく、
「中宮さまの女房たち」
は手に追えぬやんちゃだ、
という評判が立ってしまった
道隆公のご薨去から、
二ヵ月しかたっていないのに、
とにがにがしく思う、
頭のかたい人々も多いが、
かんじんの中宮は、
女房達のはしゃぎぶりを、
聞かれても笑われるだけである
私には中宮が、
(明るく・・・
明るく・・・
考えても仕方のないことは、
考えないようにしよう・・・)
と思っていられるようにみえる
上達部や殿上人は、
私たちが太政官にいるのを、
興深く思うのか、
よく訪ねてくる
この建物の暑さときたら!
夏の盛りなので、
ただでさえ暑いのに、
建物が唐風だから瓦葺きである
いつもいる内裏の御殿は、
こんもりした檜皮葺き、
しかも床が高く風は通り、
檜皮葺きの屋根は暑熱をさえぎって、
ひんやりと涼しいが、
瓦葺きのここでは、
昼間のカンカン照りの熱気が、
夜に入っても去らず、
いつまでも火照って蒸されそう、
私たちはたまらなくなって、
御簾の外へ出、
ごろごろと寝ている
と、古い家なので、
天井や壁から、
ムカデやヤスデが落ちてきたりし、
軒のついそこ、
頭の当たりそうな所に、
蜂が大きい巣を作っていたりして、
恐ろしいのだった
そんなところへ、
殿上人たちは毎日、
私たちを訪ねて来て、
内裏の梅壺にいるころと、
同じに賑わしい話やら、
他愛ない遊びに夜更かしした
暦の上では秋が立っているのだが、
暑さはまっさかり、
それでも内裏ではないので、
虫の声が聞こえるのも、
趣があっていい
明日は七夕、
七月七日であった
八日には内裏へお還りになるので、
この珍しい太政官住まいも、
あと二夜かぎりである
頭の中将・斉信の君など、
壮年の貴公子が連れだって、
お見えになる
女房達は端近に出て、
お相手をしていて、
明日の七夕のことなど話していた
この斉信の君も、
やりてだけに、
出世が早いだろうという噂
私の情報源である、
経房の君の話によると、
(まず、来年春は、
参議になられるでしょう
あの方は中の関白家にも、
道長右大臣どのにも、
関係ないから、
かえって出世が早い
聡明な方だから、
道長の君にも、
可愛がられていらっしゃる)
とのことである
斉信の君が参議になられると、
もう表の方の、
男社会だけの人になってしまわれる
蔵人頭というのは、
天皇のご側近に奉仕しているだけに、
後宮と密接につながり、
私たちとも馴染みになるが、
参議は後宮へ来る用はないわけ
斉信卿のあの巧みな、
美しい朗々とした詩吟を、
聞く折もなくなってしまう
内裏へ中宮が戻られて、
何日かたった暑い暑い午後、
私のもとへ便りがもたらされた
真紅の薄様を、
赤い唐撫子の花の、
びっしり咲いた枝につけて来た
その日の暑さときたら・・・
氷水を手にひたしては、
咽喉にあてたり、
こめかみにあてたり、
扇でひまなく煽いでは、
乾いた口中へ氷をふくんだり、
体をどう扱おうか、
とあえぐようなうだる暑さだった
そこへ燃えるように赤い手紙が、
赤い花につけられて、
もたらされたのである
(なんてしゃれた感覚かしら)
と私は嬉しくなった
まさに毒をもって毒を制す、
暑さをもって暑さを制す、
というところ
かえって汗もひきこみそうな、
さわやかな気の張りが生まれて、
面白かった
「誰からだろう?」
とゆかしく見ていると、
「・・・棟世」
とあるではないか
「いつかお目にかかって、
と思う心は、
からくれないの唐撫子のように、
燃えるのですが、
よい便りを待つうちに、
今年の夏もすぎました
暑さに負けずお過ごしください
海松子(みるこ)さまへ
棟世」
という老獪な文面で、
それもむしろ涼し気でいい
無茶苦茶迫るのでもなく、
坊さんのように色気離れた、
というのでもなく、
こういうちょっかいを楽しんでいる、
というだけの手紙、
こんな赤い手紙を、
真夏の日ざかりに送ってくるなんて
(おぬし、やるな)
という感じだった
早速、
中宮のもとへ参上したとき、
ご披露しようと思った
・「女院さまにおいて、
この世に滅多にないものは、
姑にかわいがられるお嫁さん」
と私はいった
経房の君は笑い、
「それ、面白いよ、少納言
『この世に滅多にないもの』
という一章で草子に書いてくれよ
舅にほめられる婿、
というのも珍しい」
「毛がよく抜ける毛抜き」
と私はいった
経房の君は乗って、
「主人の悪口を言わない従者」
「男と女、
でなくても、
女同士でも仲よしが、
最後まで変わらずいる人」
私はいった
「いや、
それは書かないでください、
私とあなたは仲よしじゃないか
この仲よしは終生続くよ
あなたが心変わりしても、
私はこっちを向かせる」
そういうことを言い合う男友達は、
楽しかった
私は思わず笑い声をたて、
そのことで、
人々の誤解を買ってしまったことを、
あとで知った
少納言は、
道長の君に宣旨が下って、
やれ嬉しやと高笑いした
というのである
出どころがどこか、
わからない
それを教えてくれたのは、
右衛門の君であるが、
右衛門の君自身、
そう言いふらしているのかも、
しれない
少納言は、
道長の君の方人らしい
あちらのお邸といつも、
連絡を取りあって、
ツーツーだ
という噂もあり、
これは兵部の君と知り合いだ、
という話を座談にしたまでである
女房の中には、
道長の君の北の方・鷹司どのの、
女房と昵懇な人もあって、
あながち私だけではないのに、
人々の心はささくれ立っている
二条の中宮のお里での生活は、
息苦しかった
ここにいると、
去年二月の積善寺の供養を、
思い出さずにはいられない
故関白どのがご機嫌よく、
わずか一年あまりで、
こんなに世の中が移ってしまうとは
まさか思いもよらぬことであった
人々は押し黙り、
邸内から笑い声が絶えた
互いに猜疑の目を向け合って、
中宮の御前でも口少なになる
いつも御読経に精進していられる、
中宮がお笑いになるはずは、
ないことであったが
梅雨が明け、
たちまち猛暑となると、
疫病はまた勢いを盛り返した
あわれなのは、
大納言・道頼の君であった
この方は二十五という若さで、
疫病にたおれられた
伊周(これちか)の君の、
異母兄にあたり、
祖父の兼家公が可愛がられて、
ご自分の養子になさり、
引き取られていたが、
権家公亡きあとは、
伊周の君より下に置かれていた
ただ、たいそう人々に好かれる、
受けのいい方で、
関白ご一家の中では、
いちばん評判がよかった
「蜻蛉日記」を書いた、
兼家公の北の方も亡くなられた
お年はいくつばかりであったろう
今日は誰が、
昨日は誰が、
という話ばかり
故道隆公の、
四十九日もすんで、
ふた月たっている
中宮はいよいよ、
内裏へお戻りになる
鈍色のお衣ながら、
ようやくもとの艶な風情が、
お身のあたりにただようように、
思われる
「少納言」
と私を呼ばれて、
「どうしたの?
近ごろは
あなたまでしょんぼりしていては、
だめじゃないの」
「は、はい」
「少納言こそ、
こんな時にまっ先に、
元気づけてくれなければ」
昔の愛くるしさに加え、
人の世の苦労をなめられて、
より深い味をたたえられた表情が、
私にはまぶしく美しく見える
「元気を出しましょう
楽しいことをいっぱい、
心に思い描いて、
負けないでいましょうね
少納言、
支えてくれるわね、
わたくしを」
「勿体ない・・・」
私は袖に顔を押し当て、
どんな時だって泣かない私が、
中宮のひと言で涙もろくなる
中宮が内裏へ参内された、
六月十九日は、
道長の君が右大臣になられた、
日でもあった
道長の君の慶びを申し、
儀式に続く宴のどよめきが、
深夜までつづいた
主上はそのため、
夜半、やっと中宮とお会いになった
主上とのご日常のみは、
復して後宮はまた、
笑い声が聞こえるようになった
日一日とお顔に、
血の色がもどってくる
主上との間に、
新婚生活のむつまじさが、
よみがえっていられるらしかった
それが中宮のお心を弾ませ、
お目を明るくするのであろう
伊周の君が、
時折お見えになる
この頃は少しお顔に、
険が見えるが、
それがかえってこの方を、
りりしく見せている
中宮も昔と変わらず、
伊周の君をあたたかく、
いたわられておやさしい妹君
御妹の淑景舎の君も、
東宮のもとへ参内されたが、
こちらへはお手紙をお出しになり、
頼もしい姉君であった
つまり道隆公が、
お亡くなりになったあと、
一家の柱は、
いまは中宮でいらっしゃる
道隆の大臣が、
お亡くなりになろうと、
伊周の君が、
一の人から蹴落とされなさろうと、
何たってただいま、
後宮の女あるじは、
「定子中宮」
おひとりなんだもの
主上とは相思相愛の、
むつまじいおん仲
毛ほどの障りもないのだ
伊周の君たちが、
たとえ政争に敗れようと、
中宮おひとりの存在を、
おたのみ申して、
気強くしていられるのは、
当然である
(次回へ)
・関白の宣旨が、
道長の君に下りたことは、
私は経房の君に聞いた
主上(一条帝)は、
道長の君に宣旨を下されることは、
中宮のおんためを考えられて、
渋られたらしい
さきに父大臣を亡くされ、
今、道長の君の天下になれば、
中宮のお立場はどんなに苦しく、
なろうかと思われ、
ためらわれていたという
といって、
中宮の兄君・伊周(これちか)、
の君に下そうとすれば、
母后の詮子女院のご機嫌がお悪い
「なぜ、
ああいう人望のない、
稚児のような人を選ばれるのですか
関白といえば天下を統べ、
百官をひきいる力量のある、
人でなくてはなりません
あの伊周ごときに、
その器量があるとは、
義理にもいいにくい
それは主上もよくご存じのはず」
と面と向かっていさめられる
父帝の円融帝とは縁うすく、
母后と密着して育たれた主上は、
いまも母后のいわれることに、
抗えない性質でいらっしゃる
何といっても、
伊周の君やそのご兄弟とは、
中宮の縁につながって、
主上はむつんでこられた
若々しい兄妹と楽しく暮らされた、
数年は孤独な年少の帝には、
かけがえのない思い出だった
とくに伊周の君は、
主上の学問の師でもあり、
趣味を同じくする友人でもあった
しかしそれと、
政治実務は別の次元だと、
主上は心得ていられる
伊周の君では、
宮中はじめ天下の人々が、
ついてこないのではないか、
というご判断があって、
それが主上のご躊躇の原因に、
なっている
主上は柔軟な考えの方だった
といって、
すぐ道長の君を用いることは、
中宮に心苦しい、
そういうお気持ちであろう
ついに女院は、
ご自身で御局に押しかけて、
こられた
主上が寝室の御殿に入られると、
ついて入ってつきまとい、
泣く泣く説得された
「どうして道長に、
宣旨を下すのを、
お渋りになります
伊周があの若さで、
道長を越えて内大臣になったとき、
私は道長が可哀そうで、
なりませなんだ
でもそれは、
その頃まだ生きていた道隆が、
無理やり取り計らったこと
そのため、
道隆は世の中の秩序を乱し、
人望を失いました
でも、今は違います
今こそ道理にしたがって、
ご叡慮をお示しなさいませ
道兼の大臣に関白を、
命じられた以上、
道長にもお下しにならなければ、
本人が気の毒というより、
主上のおんために、
かんばしからぬ評判が立ち、
世の人も承服いたしかねる、
ことと存じます」
このとき、
道長の君は参内して、
上の御局に控えていらした、
という
むろん、
女院がもたらされる吉報を、
待つためである
しかし女院は一刻たっても、
出て来られない
吉か?
狂か?
道長の君は不安で、
胸つぶれる思いで、
いられる
長い長い時間であった
御局の妻戸がさっと開き、
女院が姿をあらわされた
お顔は赤らみ、
涙で目は腫れていらっしゃるが、
お口元には快心の笑みが、
浮かんでいた
「ああ!
やっと宣旨が下りましたよ
道長どの、おめでとう!」
道長の君はものもいえず
床に額をすりつけていらしたという
「お礼の申しあげようも、
ありませぬ
道長、今日のご恩は一生、
一生、忘れません・・・」
と嬉し涙で声もつまる、
道長の君のお手をとられて、
女院はご満足この上なく、
「いいえ、
私の配慮など、
物の数ではありません
主上のご英断と、
前世の宿縁です
こうなるべき運命に、
あなたが生まれついていられた、
というだけのこと」
と、お気に入りの末弟を、
いとしそうにながめていられた
「久しぶりに私も今夜は、
ゆっくり眠れそうな気が、
いたします」
と女院は嬉しそうにいわれたとか
「道長の君は?」
と聞くと、
経房の君は、
「年上の方に、
可愛がられる方でね
北の方・倫子の上の母君から、
お気に入りの婿として、
大事にされるし、
女院からは可愛い弟のためなら、
と肩入れされるし、
おとくな方でいらっしゃる
そこへくると、
伊周の君は中宮の縁続きで、
損をなさった
主上のご寵愛が、
あまりにもあついため、
中宮は女院に嫉妬されて、
そのはね返りが伊周の君にも、
かかったというところ」
経房の君は、
明快に分析する
「少納言はどう思う?
嫁と姑として見れば、
女院が息子の嫁に嫉妬なさる、
ということもあるだろ?
いくらやんごとない、
雲の上人でも、
人情は変らないだろうし」
「変わらないかしら?
上つ方はそういう下々とは、
同じ気持ちでいらっしゃらない、
と思っていたわ」
と私はいった
伊周の君に、
宣旨が下りないだろうことは、
私にも勘でわかっていた
女院は前世の宿縁、
といわれたそうだが、
世の中は水の流れみたいに、
低いところへ流れてゆく、
何かがあって、
それは昨日今日のことが、
その原因を作っているのではなく、
かなり長い時間をかけて、
そうなった、
という気がする
伊周の君お一人の、
責任ではなく、
父君の道隆公の経歴、
一生の事蹟、
それに母君の縁者に、
高階一族を持たれたこと、
それらがみな裏目になって、
出てしまった
高二位たちは、
いよいよ秘儀や祈祷に精だし、
「七日で死んだ人もいるのだ
今度だってどうなるかわからぬ
老法師がいる限り、
頼もしく思ってください」
と伊周の君にいっているそうだ
私は伊周の君に、
好意をささげ心寄せしながら、
しかし、運命をみすかす目は、
別の目である
一方、
経房の君も、
道長の君の義弟で、
しかも道長の君に愛され、
猶子となっている立場なのに、
道長の君を見る目は、
醒めていられる
醒めていながら、
道長の君を愛していられる
そういうところが、
私たちは似ていて、
互いにわかっているのかも、
しれない
(次回へ)