「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「16」 ⑥

2024年11月10日 08時24分47秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私の元へ、
経房の君から、
忍びに忍んだ手紙がきた

使者は、

「お返事は要りません、
との仰せです」

と人目を恐れつつ帰ってしまう

手紙には署名はなく、
見覚えのある経房の君の筆跡で、
ただ一行、こうある

「里下りなさるべし」

中宮のおそばにいないほうがいい、
というのだろうか

いいえ、
どんな事態になっても私は、
中宮と運命を共にするのだ

だって中宮がいらっしゃらない所で、
身の安全を計ったとて、
何になろう

それにしても、
この意味はどういうことであろう

中宮のお身にまさか、
さし障りがあるというのでは、
あるまい

私は中宮のお供をして、
職の御曹司には参らず、
梅壺に残っていた

則光に相談するつもりだったが、
そこへ頭の中将、斉信の君の使いが、
来た

「殿がお話があります、
とおっしゃっています」

ということである

私は「御前でお待ちします」
と梅壺の東面にいた

斉信卿が来られた

私は蔀をあけて、

「こちらでございます」

というと、
斉信卿はすばらしいお姿で、
歩んでこられた

「ほかの方々は、
職へ行かれましたか」

「ええ、
みな宮の御前に
わたくしはちょっと局で、
休ませて頂いていたものですから」

斉信卿は声を低められて、

「女院のご病気はご存じですね」

東三条の詮子女院(帝の生母)の、
お具合が悪いことは、
前々から聞いていた

「それも呪詛によるものだ、
という専らの噂です
女院のおられる寝殿の床下から、
いまわしいまじないの、
人がたが掘り出されたとか」

斉信卿がおだやかな表情で、
いわれるので、
遠見の人々は、
私たちが世間話を、
のんびり交わしていると、
見えたであろう

「そんなことが・・・」

私は息を詰めて聞き入る

「まだあるのです
左大臣のお手元には、
密告の動かぬ証拠が、
握られています
伊周(これちか)卿が、
大元師法を行わせられた、
というものです
これは花山院に矢を射かけたより、
重大問題です」

その密教の修法は、
たいそうな秘法で、
国家と主上だけが行うべきもの、
ということは私も聞いている

それを臣下が行ったとすれば、
主上と国家を、
ないがしろにしたことで、
もし、その証拠を握られている、
とすれば、もはや、
伊周の君に弁解の余地も、
残されていない

私は明るい午後の陽光が、
かげってゆくように思われる

「いずれ早かれおそかれ、
罪状の宣命は発せられます」

斉信卿は冷静である
卿がどんなお気持ちを、
伊周ご兄弟に抱いていられるかは、
私には汲めなかった

「少納言
あなたはねえ、
里へ下っていなさい
その方が中宮のおんためでもある」

「どうして・・・」

「もめごとが起きたとき、
中宮さまを外から支える、
お役目の者もいたほうがいい
あまりにもみながみな、
中宮をお守りする空気が強くなると、
むしろあらぬ嫌疑や不幸を、
招きやすい
中宮のおんためには、
わざと距離をとった方が、
反対側の勢力との摩擦を、
やわらげ均衡がとれて、
いいのじゃないかと思う
少納言、
あなたはほかの女房たちより、
男たちとの付き合いが多いのだし、
顔も利くのだから、
あなたでないと、
この役目はできませんよ」

「中宮のおそばから、
距離をとって・・・
その方が中宮のおんため・・・」

私はつぶやいた

斉信卿の言葉は、
わかるようなわからぬような、
しかしそれにしても、
経房の君といい、
斉信卿といい、

「里下りしろ」

と口裏を合わせたように、
いわれるのは、
どういうことであろうか、
よっぽどなにか、
まがまがしいことでも、
起きるというのであろうか

「軽い罪でおさまるはずは、
ないと思いますからね、
それは・・・」

たぶん斉信卿は、
前もってくわしい情報を、
手に入れているに違いない

「あなたのことだから、
まちがいはないと思うが、
進退は慎重になさって下さい
あなたには中立の形を、
とって頂きたい
私は中宮に、
ご同情申し上げています
そのためあなたにあえて、
中立の立場でいて頂きたい
これは純粋に、
政治の次元です」

その夜、
暮れてから私は職の御曹司へ行き、
御前にうかがった

殿上人たちもたくさん詰めており、
女房たちもぎっしり、
御曹司の古い建物のあちこちに、
灯は明るくともされ、
まるで何ごともなく、
故殿ご在世のころそのままの、
花やかさである






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「16」 ⑤

2024年11月09日 08時40分59秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私がその事件を知ったのは、
則光からだけれど、
今度の話は人より早く知り、
また信憑性もあった

なぜなら花山院が、
もめごとの中心になっていられたから

則光は昔から、
花山院派の人間である

私たちが興じていた、
十五日の小正月のあくる日の夜、
十六日に事件は起きた

故太政大臣、為光公の姫君が、
その原因である

その姫君、三の君は、
寝殿の上と申しあげて、
絶世の美女という評判

父大臣が亡くなられてのち、
内大臣の伊周(これちか)の君が、
寝殿の上に通っておられた

ところが、
花山院がその妹姫の四の君に、
執着されて申し込まれたが、
四の君は承知しなかった

何しろ花山院といえば、
女ぐせのお悪いことで有名で、
出家なさってしばらくは、
ご修行されたが、
やがてそれにも飽きて、
放埓無頼なご日常を、
くり返されるようになった

荒法師を手下に、
争いごとを好まれるやら、
女房の母娘ともども愛されて、
どちらにもお子ができ、
しかたないので、
父院の皇子になさるやら、
世間はその逸脱ぶりに、
はらはらしている

則光に言わせれば、

「何しろあの院が、
退位なさったおかげで、
故関白以下、
栄えてきたんだから、
その弱みがあるので、
誰も院をお止めすることなど、
できない
院ももう怖いものなど、
おありにならない」

花山院をだましてすかして、
無理やり退位させた、
故兼家の大臣のことを、
いっている

花山院の求婚に、
四の君側は困っていられた

これを内大臣・伊周の君が、
誤解なさって、

「四の君ではあるまい
あの癖の悪い院のことだ
きっと三の君を、
ねらっていられるらしい
どうしたらよかろう?」

と弟君の隆家の君に、
相談なさった

隆家中納言は、

「まかして下さい」

と引き受けられて、
腕の立つ侍を引き連れ、
花山院のお帰りを待ち伏せした

院は馬で四の君のもとから、
帰られるところであった

月の明るい晩で、
侍はてだれの者であったらしく、
射かけた矢は、
院のお袖を打ち抜いたという

院は肝をつぶされて、
お邸へやっとたどりつかれると、
しばらく放心状態になって、
おられた

単に威嚇のつもりであったろうが、
院の衝撃とお怒りは大きい

何しろ原因が原因だけに、
あまり名誉なことではないので、
院側も沈黙していられる、
ということである

「しかし、
翌日には道長の殿のお耳に、
入ったようだ
何しろ殿の情報源は、
すごいからな」

と則光はいう

私は信じられない

太上天皇に、
矢を射かけるなんて、
田舎侍のような・・・

それは事件の翌日に聞いた

と、もうそのあくる日は、
かなりの人が知り、
やがて急激に噂は広まってゆき、
収拾がつかなくなった

内大臣どのも中納言どのも、
いまは参内なさらない

中宮のお耳にも、
乳母の君がお入れしたのでは、
なかろうか

しかし中宮は、
つとめて何ごともなく、
振る舞っていらっしゃる

私は七日、八日と経つのに、
右大臣の道長の君が、
動かれる様子もないのが、
不気味である

何の動きも見えぬまま、
噂ばかり都じゅう、
跳梁していた

二十五日の除目の会議に、
伊周の君のお席は、
すでに取り払われていて、
なかったという

二月に入ると、
京の町じゅうに、
やたら武士たちが、
目につくようになった

里下りする道々、
騎馬武者たちが駆けてゆくので、
往来を止められることがある

そのあとを野次馬たちが、
追ってゆく

聞けば、
内大臣家の従者の家に、
兵馬が集められているというので、
検非違使が追捕に向かったそうな

都じゅう不安感がたれこめ、
誰も彼も落ち着かない

宙に浮いた伊周の君たちの、
処遇を固唾をのんで待っている

道長公は、
どうなさるおつもりなのか

殿上人や上達部の口は固い

経房の君も、
進退に慎重に、
なっていらっしゃるのか、
梅壺の周辺にすら、
足を向けられない

こうしてみると、
伊周の君たちは、
ほんとうに孤立していられる、
というのがわかった

こういう窮地を救うべく、
道長の君との間に立って、
斡旋調停して下さる方は、
いないのであろうか

上卿たちは、
口をふさいで目を閉じて、
沈黙していられる

則光に言わせれば、

「憎まれてきた一家だから、
自業自得と思っている人々が、
多いんじゃないか」

ということだ

それでもまだ、
最終的な決着は出ていないので、
私たちは望みをつないでいたが、
二十一日に勅命が出たという

内大臣・伊周、
中納言・隆家の罪科を、
決定せよというもので、
あるらしい

その勅命が伝えられたとき、
一座の公卿たちは思わず、

「おお・・・」

と感慨の声を発しられた、
ということだ

とうとうここまで、
追い詰められてしまわれなすった

道隆公薨去一年にして・・・

明法博士が、
罪を勘案しているというが、
結論はまだ出ない

誰か主上と道長の君に、
お取りなしをして下さる方は、
いないのであろうか

中宮は主上に、
そういう政治向きのお話は、
なさらないのであろうか

二月二十五日、
中宮は職の御曹司を、
退出なさった

神事があるため、
服喪中の中宮は遠慮して、
避けられるわけである

今年は疫病こそ、
下火になったけれど、
物の値が上がり、
飢饉がまた襲うのではないか、
といい話はちっともない

その上に、
内大臣どのらは、
どうなるのであろうかという、
不安で人々は何も手につかない

一の人争いに、
いずれ決着がつくだろうとは、
故道隆公が亡くなられたときからの、
予想であったが、
こんな形でそれがもたらされるとは、
思っても見ぬことであった






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「16」 ④

2024年11月08日 08時36分46秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・正月の内裏は忙しい

人の出入りも多く、
経房の君に会おうと思えば、
機会はあるのだが、
私は巧みに動いて、
なるべく顔を合わさないようにする

あんなに繁々、
梅壺の局に顔を見せていらした、
経房の君が、
ぱったり来られなくなり、
式部のおもとも、

「どうなさったのかしら?
弟御の君は」

というくらいだった

経房の君が、
私の弟だというのは、
よく知られたあだなである

それでも、
この頃の除目の騒ぎに紛れて、
日が経ってゆく

まさかこのまま、
とは思えないけれど、
あんなに親密に、

「こんな噂があります」

と教えてくれていた、
情報源の友人を失ったのは、
淋しかった

私を表の男社会につないでくれる、
太い管が径房の君だった

今年の除目には、
この女房の局に来る人々は、
めっきり減った

故道頼公のおいでになったころ、
いつもこの局は、
正月過ぎると、
官を得たいと運動する人々が、
引きもきらずやってきた

今年は一人、二人のぞいて、
取り次ぎを乞うているだけ

といって、
猟官運動が下火になった、
というのではなく、
どうやら人々は、
右大臣・道長どのの方へ、
どっと押しかけて、
官職を乞うているらしい

内大臣・伊周(これちか)の君や、
中納言・隆家の君に、
官職の斡旋をたのむ人々は、
減っている

それが中宮の後宮にも、
ひびいている

そのことについて、
いつもなら経房の君が、
情勢分析してくれたりして、
それを私がそれとなく、
中宮にお伝えする、
そんなことも今は出来なくなった

それより私は、
趣味の合う、
感覚の似た得難い友人を、
失ったことが惜しまれて、
ならなかった

売り言葉に買い言葉を並べた、
自分が憎らしくなる

いや、やはり憎いのは、
経房の君である

私がそう言ったって、
どうせ冗談とわかるだろうに

なんだってまあ、
まともに取られたのかしら

すると小正月の節句、
十五日も近づいたころ、
経房の君から、
手紙が久しぶりにきた

「今日までも
在るがあやしさ忘られし
日こそ命の限りなりしか

・・・辛抱くらべに負けました」

というのである

(今日まで生きているのが、
不思議ですよ
あなたに忘れられた日が、
私の命終わる最後の日、
だったのだろうか)

というような意味であろうか

私は思わず笑えてきた
会心の笑み、
というやつである

私、嫌われたんじゃなかった
私は返事を書いた

「我ながら
わが心も知らずして
または逢はじといひてけるかな」

(自分で自分の気持ちが、
わからなかったんですわ
二度と会わないなんて、
言ったりして、
ごめんなさい)

という意味である

手紙を若い女房に、
持たせてやるが早いか、
経房の君自身が、
飛ぶようにやって来られた

満面に笑みをたたえて、

「嬉しかった
あなたに会えないと、
もう、毎日がつまらなくて
あれもこれも話したい、
あなたがどういう反応を、
示すだろうと、
毎日そればかり考えていました」

「同じですわ
よかった、仲直りできて」

と私もたまらず、
筋肉がゆるむ

経房の君は、

「とはいうものの、
仲直りを申し出るのは、
私の方からなんですね
あなたからは待てど暮らせど、
仲直りをほのめかす意思表示すら、
ない」

「あたくしも待っていましたのよ」

「どっちが気弱かという、
気弱くらべです」

よかった・・・
経房の君が、
先に折れて下さったのは、
嬉しかった

気持ちの素直な方で、
その男の可愛げが、
私を幸福にする

それに続く小正月、
この日は内裏でも乱りがわしい

今日ばかりは無礼講で、
後宮に派手やかな女の笑い声が、
ひびきわたる

今日は女の正月である

小豆粥をたいた薪を削り、
「粥杖」というのを作る

これで女のお尻を打つと、
男の子をみごもるといわれている

中宮は、
今年おん年二十歳になられ、
皇子ご誕生のことがあっても、
よいころである

勿体ないことだけれど、
女房たちは粥杖で、
中宮のお尻を打とうと、
身構えているが、
中宮も警戒していられて、
隙をお見せにならない

そして女房同士が、
打ち合うのを笑ってご覧に、
なっている

まだ故父君の服喪中で、
中宮はじめ女房たちは、
薄鈍色の裳服を着ている

それなのにこの騒がしさは、
と驚く殿上人もある

かの中宮の妹姫、東宮妃の、
宣耀殿の女御も同じく、
服喪中でいられるが、
その御殿はしんとして、
身のひきしまるような奥ゆかしさ

こちらの御殿では、
互いに粥杖を袖にかくし、
そっと忍び寄り、
うまく打って走って逃げたりする

打たれた女房はくやしがって、
自分も負けじと粥杖を振り上げる

中宮がつとお体をねじられて、
女房たちのしぐさに、
お心を奪われたすきに、
すばしこい若い女房が、
そ~っと忍んで、
中宮さまのおん座近くにうかがい、
静かにお杖をお腰の辺にお当てして、

「はい、
首尾よくお打ち申し上げました!」

と元気よくいう

はっと気づかれた中宮が、
みるみる白いおん頬を、
薄紅に染められ、
みんな大喜びでどっとはやす

一日、浮き立つ騒ぎに暮れ、
それをお聞きになった主上も、
笑われたとか

この時は、
内大臣・伊周の君も、
隆家中納言もお見えになっている

昔の関白家の団欒が、
よみがえったとしか、
思えないめでたさだったが、
あとで思うと、
そのころに、
悶着の種は蒔かれたらしい

そのあくる晩に、
事件は起こった






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「16」 ③

2024年11月07日 08時30分02秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・下男はいう

「ほんのちょっと留守の間に、
焼けまして、
まぐさ小屋とは垣一つ、
へだてただけでございますから、
もう、すっかり焼けてしまいました
何一つ取り出す間も、
ございませなんだ
私は留守、
妻は寝入りばなで、
すんでのことに、
焼け死ぬところでございました
命からがら逃げ出しまして、
何一つ持ちだせないので、
ございます」

男はとうとう泣き出して、

「今はやどかりのように、
人の家に尻をさし入れております
すっかり焼けまして・・・」

と同じことを何度もいい、
しゃくりあげる

尻をさし入れて、
というのがおかしくて、
私たちは笑ってしまった

みくしげ殿までお笑いになる

私はおかしいままに、
紙に、

<御まぐさを
もやすばかりの春のひに
よどのさへなど
残らざるらん>

と書いて、
女房たちに渡すと、
女房たちは争って読んで、
げらげら笑い、
回し読みしたりしている

まぐさを燃やすぐらいのぼやで、
なんで夜殿まで焼けたのかしら、
という意味と、
草を萌やすほどの、
春の日に淀野が焼けるなんて、
という双方かけた言葉遊び、
見る人が見たら、
面白いと笑い出すようなもの

女房たちは笑い、
下男に渡して、

「さ、お取り、
ここにいらっしゃる方が、
あんたをふびんにお思いになって、
これをあげるとおっしゃってる」

下男はひろげて見て、

「これは何の書きつけで、
ございましょう
どれほどのものが、
頂けますんで」

「ま、読みなさいよ」

「私めは片目さえ、
明かないんでございます」

「それじゃ、
人に読んでおもらい
そんなすばらしいもの頂いて、
もう、くよくよすること、
ないんじゃないの」

といって、
みんな笑いながら、
中宮の御前に上がった

僧都の乳母が、
中宮の御前でこのことを披露する

口ぶりが下男のそれに似ているので、
女房たちはまた笑いこける

中宮は、

「どうしてそう、
おかしがっているの、
哀れな話じゃないの」

とおっしゃりながらも、
乳母の話しぶりのおかしさに、
口元をほころばせられる

どうせあの歌の面白みは、
学のない下男には、
わかるはずもないけれど

ところでこの話をうっかり、
則光にしてしまった

則光は歌の話を聞くだけで、
頭が痛い、という男だ

「その男にしてみたら、
一首の歌よりも、
一すじの布のほうが、
嬉しかったんだよな」

と真面目にいう

「あんたならそういうと思った
私たちが笑ったのは、
下々の人間って、
何て貧弱な精神なんだろう、
と思ったからよ
我々なら丸焼けになったって、
そんな歌を考えて、
興に入っていたろう、
と思うわ
自分で自分をおかしがって笑う、
ということがあたしたちには、
できるのよ」

「生意気いうな!
人間は仏の前ではみな同じで、
そう変るもんじゃない
困った境遇に落とされれば、
泣き惑うのは大臣も下男も同じさ
おれだって丸焼けになれば、
泣いているよ
たいていの男はそうさ
しかし、
泣きにいく相手がないからね
その下男はなんだってまあ、
一ばん薄情なところへ、
行ったんだろうな
かわいそうに」

なんで男ってものは、
女がいうと、

(お前の言う通り)

といわないのだ?
決して女に同調しないのだから
必ず反対する

私は期待をこめ、
経房の君にこの話をして、
則光の話も言い添えた

私はわけのわかる人に、
あの歌の機智をほめて、

「でかした!」

とほめて欲しいのだ

実際、朋輩の女房たちに話すと、
歌のところへきて、
みんな腹をかかえて笑い、
うまくおとしばなしになる

そして私も、
話術がだんだん上達していた

あちこちで人に、

「少納言さん、
あのまぐさ小屋の話をしてよ
この人、
まだ聞いていらっしゃらないの」

などとすすめられたりする

経房の君もきっとそうだ、
と思っていたら、

「よどの、ねえ・・・」

とつまらなさそう

「則光のいうのが尤もです」

と笑いもせず言われて、
なんでこう男と女はちがうのやら、

「ねえ、
この話、面白くない?」

「面白くないといったら、
叱られますからね
面白い・・・
といいましょうか
そこらの西も東もわからぬ連中に、
いったって可哀そうなだけです
からかうなら、
手応えのある人を選んでやりなさい」

「そんな説教をされては、
ミもフタもありませんわ
そんなたぐいの話と違いますわ
こういうこと拍子がずれたら、
もうダメです
わっと笑って面白い、
といって下さらなければ」

「わはは・・・
面白い面白い」

「バカにしていらっしゃる」

私がつんとしたものだから、
経房の君は、

「なんでこうも女って、
気むずかしいんですか」

「男の方が無神経だからですわ」

「よろしい
じゃ、私はもう、
本当のことはいいませんよ
いつもうわべだけを飾って、
社交辞令を並べることにします」

「あ、そう」

私は退くに退けなくなってしまう

「そんな社交辞令の仲なら、
べつにおつきあいして頂く意味、
ございませんわ
これきり、
お目にかからないことに、
しましょうよ」

「おや、
そういう風なところへ、
石をお置きになるとは、
思いませんでした」

経房の君は興ざめしてしまわれる

「男としては、ですね、
あなたがそうまで、
おっしゃっているのに、
懇願するのもどうかと思います
では、長々のご友情、
感謝します
ありがとうございました
これでおさらばです」

なんでこんなことに、
なったのやら、
ぷいと経房の君は、
局から出ていってしまわれた

私は腹が立ったが、
どうしようもない

女にも意地があることを、
思い知らせてやろうと思った

私は経房の君に、
手紙も出さず、
会わないことにした






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「16」 ②

2024年11月06日 09時00分45秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・いまも則光は、
三条の私の邸へ来る

道長の君と伊周(これちか)の君が、
言い争われた数日後、
通りで今度は道長・隆家お二人の、
従者同士の衝突があった

四、五日して、
隆家の君(伊周の君の弟)の従者が、
道長公の随身を殺したという噂が、
伝えられた

兄の致信(むねのぶ)などは、

「いくさだ、いくさだ」

とふるい立っているという

実際、争闘のあった七条大路は、
いくさのようだったという

血が流れて歩けないほどだった、
という

とうとう血が流されてしまった

正月は牛車のひびきさえ、
常と異なって聞かれる

明ければ長徳二年(996)、
よく晴れて暖かな新春

今年こそいいことがあるかしら

私自身でいいこと、
といえば経房の君と、
いよいよ仲良くなり、
蔵人頭・斉信卿とも、
以前に増して親しくなった

それに逢っていないけれど、
いつも手紙や贈り物をしてくれる、
棟世だとか、
則光にいわせれば、

「お前は男友達が、
たくさんいるからな」

という

則光はそれを、
半分妬ましげな拗ねたような、
語調でいう

「何さ、
あんただって、
家にはいちばん若い妻を持ち、
外にもう一軒、
いるじゃないの
あたしにそんな怨み言、
いうことないじゃない」

「男と女は違うことよ
お前のぽんぽんはねつけて、
物をいうところがかなわんのだ
おれがいなくなったら、
こいつ、
どうやって暮らすんだろう、
というようなはかない、
頼りない女がいじらしいんだよ
男友達に囲まれて、
女王のように君臨している女、
なんてのは他人なら、
阿呆めが、
と思えばいいが、
他人じゃないから、
怨めしくなるんだよ」

「あたしはあんたの妻、
っていう関係じゃありませんよ、
まちがわないでよ」

「だから怨めしいんだよ
おれの本当の妻なら、
腹を立てりゃ別れる、
ということもあるが、
おれたちもう別れているんだものな
そしてお前は中宮からお手当てを、
頂いて自立しているんだから、
やりにくいんだ
おれとしては指図も出来ないし、
お前が男友達にもてるのが、
おれは怨めしいんだよ」

「だから、
怨めしくないような女だけ、
相手にしてりゃいいでしょ」

則光が「怨めしい」といったのは、
すこし私の耳に残った

私に対して支配力も、
影響力も持たない男になった、
則光であるが、
「怨めしい」というのは、
彼の本心の声に思えて、
そこに惹かれたのは事実である

私は則光の、
そんなところを気に入っている

男の本音を聞かせてくれる

ほかのどの男も持っていない、
ズバッと本心を口にする才能、
則光の取り柄は全くそれだけ

そしてそれは男として、
たいそう魅力的な資質であり、
それが私を則光に結びつけている

「正直なことをいう才能」

を可愛いと思い、
そこを信じて則光と、
特別な仲になっている

則光は、
経房の君や斉惟卿と私が、
特別な関係を、
持っているんじゃないか、
と疑うことがあるが、

「これから先はわからないけど、
今まで及び今のところはないわ」

と私はいっている

それを則光は信じているようだ

私がウソをつかない、
ということを則光は知っている

つまり、
ウソをつかねばならぬほど、
私は則光を重視していないことを、
残念ながら則光も知っている

私は何にも縛られない

もし事態が転んでいけば、
経房の君とも斉信卿とも、
寝るかもしれないが、
しかし男女の友情というのは、
そうなってもいいような仲でいて、
そうならないでいる、
そのあやふやな際どいところが、
いちばん楽しいのである

最も好もしい男友達は、
そういうものである

恋人にしてしまったら、
友人としてのよさは、
色褪せてしまう

といって、
はなからそういう気も、
起こさない男とは、
通りいっぺんのつきあいで、
友情が起きるはずなんか、
ない

ところで経房の君も、
可愛げがある

今年の正月そうそう、
私は経房の君と、
口ゲンカになってしまった

ことの起りは、
正月すぎまぐさ小屋で、
火事があったが、
それに類焼した下男の話である

内裏の梅壺に、
中宮とみくしげ殿がいらっしゃるので、
私はみくしげ殿のお局に、
遊びにいっていた

このみくしげ殿は、
中宮のいちばん末の妹姫で、
中宮にはお三方の妹姫が、
いらっしゃる

すぐ下が、
東宮女御の淑景舎の君、
その下の妹・三の君は、
帥宮・敦道親王妃でいらしたが、
常人でないところが、
おありになって、
故道隆公がお心を痛めていられた

当然、
親王とのお仲もよろしくなくて、
この頃はずっと、
お里に帰っていられる

ご病気が昂じられて、
人にも会われないということだ

才がぬきんでたご一家だけに、
三の君が目立つのはお気の毒である

この帥宮は冷泉院の第四皇子で、
その兄君の為尊(ためたか)親王と、
色目かしいと評判され、
かなり放埓・軽率な貴公子として、
有名な方なのだが、
その方でさえ、
三の君に手を焼かれた、と
いう噂だった

そんなわけで、
三の君は帥宮との御仲も、
すぐ絶え、社交界にも顔出し、
なさらなくなってしまった

ご実家の母君・貴子の上や、
兄君たちが庇って世に出さぬように、
してしまわれたからである

中宮のおんためにも、
面伏せなことであった

その下の四の君は、
いまおん年十四ばかり、
お美しくてしとやかで、
ご利発なこと

この方が大姫君の中宮に、
いちばんよく似ていらっしゃる

ただいま宮中にお仕えされ、
みくしげ殿として、
中宮と同じ梅壺にいらっしゃる

このみくしげ殿も、
中宮と同じく文芸趣味がおありで、
私に親しんで下さる

ある日、
そこでおしゃべりしていると、
下男が縁側へやってきて、
泣かぬばかりに訴える

どうしたのかと聞けば、
まぐさ小屋の火事で、
住居が類焼したというのだ






          


(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする