「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「25」 ②

2024年12月26日 09時14分03秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・生昌が言うには、
兄、惟仲中納言が私をほめていた、
という

私はいぶかしいばかり

「ほんとうの話?」

別に疑ってやしないが、
惟仲にほめられるようなことも、
していないつもり

「兄はめったに、
人をほめぬ男でございますが、
あなたさまのことを、
ほめました
この間の干公の話、
あれを兄に話しましたところ、
たいそう感心いたしまして、

『ぜひいつか適当な折に、
お目にかかってお話を伺いたい
男も及ばぬ才気ある方だ』

とほめておりました」

「それはどうも
で、ご用は?」

「いや、
兄の言葉を伝えたくて」

「あ、そう
それはどうもご苦労さま」

狐につままれたような気持

(ずれとるなあ)

といいたいのは、
こういうとき

どうってことないのに、
なんでわざわざいいに来るのか

門の話より、
色男ぶって忍んできたときの、
ことをばらして、
惟仲のおっさんがどういうか、
聞きたいもの、
と思ったが、生昌は、

「ま、いちどゆっくり、
お部屋へ伺わせて下さい」

と一人はしゃいで帰ってゆく

中宮の御前に出ると、

「何だったの?」

と待っていらした

で、こうこうと、
申し上げると、
女房たちはまた笑いころげる

「わざわざ呼び出すほどの、
ことでもないじゃありませんか
ついでのときに、
いえばいいことなのに」

「男も及ばぬ、
というのが生意気だわ
少納言さんの才気には、
並大抵の男は太刀打ち、
出来やしないのに、
惟仲と生昌、
兄弟そろって女性蔑視のオジン」

などとかしましい

「まあ、そう、
おとしめないでおやりなさい」

と中宮は弁護なさる

「生昌はよほど、
兄の惟仲を尊敬しているのね
これでいよいよ、
少納言の値打ちも上がるってもの、
そういじめちゃだめよ」

生昌のおかげで、
話題と笑い声に事欠かず、
考えてみると、
生昌邸に身を寄せ、
生昌に世話されながら、
笑い者にするなんて、
ずいぶんひどい話だけれど、
そのうち知らず知らずのうちに、
生昌に好感を寄せるように、
なっていく自分を発見する

もちろん、
女房たちのほとんどは、
芯から生昌を見くびり、
さげすんだりしているのだが、
何たって生昌のおっさん、
かいがいしく中宮のおんために、
奔走しているのである

職務上だけではなく、
美しく若き后の宮に、
骨身を惜しまず尽くそう、
という意気込みが感じられて、
中宮もそれに、
気付いていられるらしい

すぐさま感応されるところが、
中宮の鋭い、素直な、
生まれながらの高貴な感受性、
というべく、
私はまた私で、
棟世のいった、

「真面目誠実をうまく使いこなす」

言葉にひそかに感嘆する

生昌は、真面目誠実に、

「ハイ、シーッ、
恐れながら申し上げます、
実は・・・」

と密告し、

また真面目誠実に、

「私どもの陋屋に、
お迎えできてまことに光栄・・・」

とお仕えしているにちがいない

この生昌の三条邸は、
手狭である上に、
このごろは左大臣家の、
彰子姫入内の準備で、
誰も彼も夢中なのか、
訪れる殿方はいない

ただ、主上のお使いが来るばかり

それもあわただしく、
世を忍ぶ様子で、
そそくさと主上のお文を、
中宮にお届けする

何もかも天下すべて、
左大臣どのの気息を、
うかがっているらしい様子

そういう中、
経房の君が久しぶりに、
やってこられて、
私たちは珍しくて取り囲む

ひとしきり話が弾んだあと、
経房の君は私の局に来られる

「いやもう、
この邸に来るのに、
抵抗があってね
あなたがたに関係ないものの、
どうもちょっと・・・」

といわれるのは、
ご身分がら、
身分低き生昌邸へは、
足を踏み入れるのは筋ちがい、
というような意味であろうか

「ただた、
お姉さまに会いたくて」

といわれるが、
それではこんなお邸にしか、
居られない中宮のお身の上は、
どうして下さろう、
というのだ

でも経房の君の、
もたらされる情報は、
久しぶりに目新しかった

彰子姫の入内は、
十一月一日に決まったそう、
しかしその日に、
土御門のお邸から行列が出るのは、
方角が悪いそうで、
西の京の連雅の邸へ一度渡られ、
そこから入内なさるそうな

例の四尺の屏風、
当代歌人とうたわれる、
名士たちが詠んだ歌を、
名筆家の行成の君が、
書かれた屏風も出来上がるという

行成の君は、
蔵人の頭でいられるから、
内裏と左大臣家の折衝に、
当られる直接の責任者では、
あるものの、
役目上だけでなく、
個人的にも左大臣どのと、
意気投合されて、
彰子姫入内には一方ならず、
奔走されていられるそうな

それは私にもよくわかる

あの行成の君の、
聡明でおちついた人となりを、
よく知ったいまは、
豪放で魅力ある左大臣どのと、
あんがい、しっくりいっている、
と察しはつく

「中宮のおめでたは、
いつごろのご予定ですか?」

と経房の君はいわれる

「十一月のはじめ、
ではないでしょうか」

「では、
左大臣家の姫君のご入内前後、
というところですか
世の中はますます忙しいことだ
内裏も花やかになることでしょう
中宮に女御あまた
しかし、中宮はご運が強い方だ
次々と若宮を儲けられるのは、
女御はたくさんいられても、
中宮お一人なんだから」

経房の君は、
皮肉な方ではあるものの、
中宮にかかわるかぎり、
皮肉はおっしゃらない

「みな淋しがっていますよ、
男たちは
中宮がいらっしゃらない内裏では、
火が消えたようで、
中宮がいらっしゃらなければ、
少納言さんたちもいないし、
我々はみな登華殿の細殿を、
恋しがっている」

それは私たちが、
内裏で住んだところだった






          


(次回へ)

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「25」 ①

2024年12月25日 09時07分16秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・「ハイ、シーッ」の生昌は、
いったい何を思って私の部屋へ、
やって来たんだか、

「いや惚れました、
聞きしにまさる才女ぶりで、
いらっしゃる、
私め、そういうお方が、
好きでございましてな」

なんて、
片腹いたいってもんである

惚れた、といえば、
女は一も二もなく、
ありがたがるとでも、
思っているのかしら

生昌なんかに惚れられて、
私がのぼせあがると、
思っていたとしたら、
救いようのない頓馬である

それをいいに来るのも、
おかしいけれど、

「そこへおうかがいじても、
よろしゅうございますかな」

なんて、
あまりのおかしさに、
笑いころげてお腹が痛くなる

女の部屋を開けたら、
すっと入ってくるものだ

男に、「入っていいか」
と夜中にいわれて、
「どうぞ」と女がいうはずはない

夜中に女の部屋を訪れた以上は、
案内を乞うまでもなかろう

私は若い女房たちと、
生昌のわるくちをいい、
大笑いのうちに、
夜が明けてしまった

朝、中宮の御前へ参上したときに、
この話を申し上げる

「生昌が、
そんな風流男だという噂は、
聞いたことがなかったけど・・・」

と中宮はおかしそうにいわれる

中宮も、
あの生昌の謹直な様子を、
思い出されて、
不釣り合いだとおかしく、
思われたにちがいない

「まあそれにしても、
さぞこっぴどく、
やりこめたんでしょうね
せっかくいい格好したかった、
のでしょうに
かわいそうなことをしたのね」

と生昌をおかしがられる、
お気持ちは私たちに劣らぬほどで、
いられるらしい

しかしそれは決して、
生昌を嘲弄軽侮なさる、
それではない

それが私にはわかった

私たちは生昌を、

(なんだ、
この密告野郎、
おべっか使いの、
木っ端役人
わけ知らずの田舎者)

とこきおろして、
見下しているから、
生昌をおかしがっているのだが、
中宮のお顔色には、
そんなものはない

定子中宮は、
どんな悲境に遭遇されても、
決して滅入られることはない

それはこの、
何でもおかしがられる、
ご性質の品よさから、
きているのだ

生昌とすれば、
受難の日々がはじまった

何かひと言いうと、
女房たちはクスクス、
あるいはどっと笑う

それを制する年かさの女房たちも、
笑ってしまう

生昌は冷や汗を流しつづけ、
「ハイ、シーッ」
と平伏してまた、
女房たちの笑いを買う

姫宮お付きの童女たちも、
お供しているので、
彼女たちの秋から冬への、
装束をととのえるよう、
中宮の仰せが出る

生昌は衣の趣味について、
自信がないらしく、

「この『あこめのうわおそい』
は何色にしたらよろしゅう、
ございましょう」

とお伺いをたて、
「あこめのうわおそい」
などという言い方もへんである

「うわおそい」というのは、
どうやら「上へ着るもの」
の意味で使っているらしい

あこめの上に着るものは、
童女はかざみに決まっている

かざみといえばいいのに、
まわりくどく田舎っぽく、
「あこめのうわおそい」
なんていうので、
それを聞いた女房は、
おかしさをこらえて、
意地悪く、

「は?
なんておっしゃいまして?」

「あこめのうわおそい、
でございますが」

生昌は律儀にくり返し、
私たちはたまらず笑う

それからは、

「あなたのうわおそい、
ご立派ねえ」

「このうわおそいの色見てよ」

などと、
私たちの間の、
流行語となった

生昌は、
何が私たちの笑いを招くのか、
わからぬから、
途方にくれてしまう

それでもまめまめしく、
お仕えする気はあるようで、

「姫宮の、
お召し上がりのお道具類は、
大人用のもので、
不都合でもあり、
可愛げがございません
ちゅうせえお膳、
ちゅうせえ高坏など、
おひなさまか、
ままごとの、
お道具のようなものを、
早速作らせることに、
いたしましょう
ハイ、シーッ」

と心を砕いている

小弁の君などは、
それを聞いただけで、
袖の中に顔をうずめて、
笑いをこらえるのに、
難儀しているが、
私は、

「ははあ、
ちゅうせえお膳、
ちゅうせえ高坏、
でございますか
それでこそ、
うわおそいを着た女童も、
運び参らせるのに、
好都合でございましょう」

といったら、
また一座は沸いてしまう

「そんなに笑ってやったら、
かわいそうだわ」

と中宮はおたしなめになる

「でもあの、
ちゅうせえお膳には・・・つい」

小弁の君が申し上げると、

「人それぞれの癖はあるもの」

さりげなく中宮がおっしゃる、
どこだって笑いが湧くのだ

左大臣(道長の君)側は、
さぞや中宮方では意気消沈して、
いじけてしまっているであろう、
と考えているかもしれない

しかし実際は、
どこにいても笑い声は、
あがっているのである

生昌のおかしさといえば、
まだある

何でもないときに、

「ぜひお耳に入れたいと、
大進が申されています」

とわざわざ女官が、
私に知らせてきた

大進とは生昌のこと

「何なの、物々しい、いますぐ?」

「ぜひお耳に入れたい」
とは何か重大な情報でもあるのか、
ふと気が動く、

「また何か失敗して、
手ごわい人たちに、
笑われようというのかしら
行って、聞いていらっしゃい」

と中宮はおかしがって、
仰せられるので、
私はわざわざ出ていって、
かしこまっている生昌に、

「何かご用でございますか」

権高にいってやる、
生昌は昂奮していた

「私めの兄、惟仲中納言のことで、
ございます」

「中納言どのが、
どうかされましたか」

「褒めておりましたのです、
あなたさまを!」

生昌はせきこんでいうが、
私はいぶかしいばかり






          


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「24」 ⑥

2024年12月24日 09時28分54秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・生昌がやってきて、

「中宮さまに、
おとりなしを願います
このたびのお成り、
生昌一世一代の光栄に存じます
また皆さまがたをお迎えして、
これにまさる喜びは、
ございません
どうぞお心おきなく、
ご滞在頂きとう存じます
不ゆき届きながら、生昌、
けんめいにお仕えする所存で、
ございます
どうぞ何なりとお申しつけ、
下さいませ
ハイ、シーッ」

これを四角張って、
力をこめていうのであるが、
それが聞きなれぬ備中なまり、
生昌の母親は備中の郡司の娘、
都人ではないということだが、
その母親のなまりが、
彼にも伝えられているのかも、
しれない

若い女房たちは、
笑いをこらえるのに必死である

生昌はというと、
御簾の向こうの中宮、
その前に居並ぶ私たちの視線に、
年甲斐もなくどぎまぎする風で、

「シーッ、ええ、
これは粗菓でございますが、
宮さまにお召し上り頂きますように」

と硯蓋に盛った菓子をすすめ、

「ハイ、シーッ」

と平伏する

この「ハイ、シーッ」というのは、
生昌の口ぐせであるらしい

ハイというのが、
語尾に必ずつき、
それは彼の恭順謙譲を、
あらわす口吻らしい

彼が「ハイ、シーッ」とやるたび、
若い女房たちは、
真っ赤になっておかしがる

「また、わるいところへ、
いらしたもんだわ
あたくしたち、
気の毒ですけど、
わるくちをいってましたの」

「わるくちを」

小男で蟹のような顔つきの、
生昌はおどろいて背を立てる

「何か不都合なことが、
ございましたかな?」

「不都合たって、
これほどの不都合があるもんですか、
なぜあなたのところの門は、
狭いんですか、
よくもああ狭い門で、
がまんしていらっしゃいますね」

といっても、
生昌は更にまじめで、

「家の格、
身分に釣りあったものを、
作ったのでございますが、
ハイ、シーッ」

小兵衛の君は、
こらえかねて立ってしまう

「格、ねえ
だけど門だけ高く、
作った人もあるじゃありませんか」

と私はからかってやった

「漢書」に干公という人が、
門というものは、
大きく作らなきゃいけない、
大きい車が出入りできるような、
そしたら子孫が出世する、
といったが、
はたしてその子の、
干定国が大臣になった、
とその故事はいう

生昌は目をみはり、

「ありゃ~、恐れ入りました
ハイ、シーッ」

とあたまを反らせておどろく

「それは干定国の、
故事でございますが、
さすが少納言さま
そんなことはよくせきの学者、
などでないと存じませんことで
ま、私めはたまたま、
この道を専攻しましたゆえ、
やっとわかりますが、
えらいものでございますなあ」

「この道たってあなた、
ひどいものでしたわ
莚道は敷いてあるけど、
ひどい穴ぼこで、
みな大さわぎしましたのよ」

「まことに申し訳ございません
長雨で穴ぼこもできましたろう、
ハイ、シーッ
いやもう、干定国で、
度肝を抜かされまして、
意気上がりませぬ
退散させて頂きます
ハイ、シーッ」

といって、
あたふたと立っていった

そのあとで、
みなの笑うこと笑うこと・・・

中宮は姫宮と、
御張台にお入りになっていたので、
この騒ぎはご存じなく、
あとで、

「どうしたの?
生昌が逃げるように、
帰っていったけど」

と仰せられる

「いいえ、
たいしたことはございません
車が入らなかった、
と生昌に申しただけでございます」

と申しあげて、
自分の局にあてられた、
部屋へ入った

小兵衛の君や小弁の君、
といった若い女房たちと一緒に、
私は寝入ってしまう

式部のおもとや、
右衛門の君の部屋に、
よいところを譲って、
私は若い人々と端っこの、
粗末な部屋を選んだ

一緒にいるのは、
若い人々のほうが、
ずっと面白い

若い人とのほうが、
私は話が合う

昼間の疲れで、
欲も得もなく寝入ってしまった

そこは東の対で、
西廂から北へかぞえたところ、
であった

寝る前に、
北の板戸に懸け金がないな、
と見ていたのだが、
まさかこんな邸で、
どうこうあるはずはない、
と思い几帳だけ立てて、
眠っていた

そこへ生昌がやってきたのだ

家の主人だから、
勝手はわかっている

懸け金のない板戸を開けて、
上ずった声で、

「少納言さま
ちょっと、よろしいかな、
ハイ、シーッ」

というのだ

「もし、少納言どの、
そこへおうかがいしても、
よろしゅうございますかな、
ハイ、シーッ」

私は目をさまし、
びっくりして起きる

几帳の向こうに灯台を、
立てているので、
向こうの姿はあらわである

こちらの姿は、
向こうから暗くて見えないが、
向こうの姿は丸見え

障子を五寸くらい開けて、

「ハイ、シーッ」

とやっている

もうおかしくって、
これは忍び男のまねごと?

生昌は浮いた噂も、
それらしい様子も全くない

また生昌の雰囲気からみれば、
何たって色気に見放されている

およそ色気の、
好色の、恋の浮気のという、
あだめいたことには、
縁遠い存在、
それなのに、
私のところへ忍んで来るつもり?

いったい、何だってまあ・・・

自分の邸へ中宮さまが、
いらしたと少し有頂天になり、
大胆になっているのかしら、
私たちが恐れ入って、
いうことを聞くとでも、
思ったのかしら、
それとも私に、
いい負かされて悔しくて、
その意趣がえしに、
浮名でも立てよう、
ってのかしら・・・

何にしてもおかしい

生昌、
もぞもぞと几帳を片寄せる気配

「もし、少納言さま
私め、さきのお話で、
完全にかぶとを脱ぎました
いや、惚れました
聞きしにまさる才女でいらっしゃる、
私め、そういうお方が好きで、
ございましてな・・・」

私はそばに寝ている、
小兵衛の君をゆり起こして、

「あれごらんなさいよ、
へんなのがいるじゃない」

というと、
若い小兵衛は起き上がって、
笑うこと笑うこと

私は声を張り、

「何なの、
どなたなの、
女の部屋へあつかましく、
入り込んで」

「とんでもない、
ちょっとご相談したいことが、
ございまして
この家のあるじでございます
ハイ、シーッ」

「門は広くしなさい、
といいましたけど、
障子をあけなさいとは、
いいませんわよ」

「いや、その話でございますが、
そっちへ行っても、
ようございますか、
ハイ、シーッ」

もう若い女房たちは、
たまらずどっと笑う

「やや、若い方々が、
いられるとは」

生昌はあわてふためいて、
飛び出す






          


(了)

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「24」 ⑤

2024年12月23日 09時01分55秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・「そうだろうと思ったよ」

棟世はうなずいて、

「摂津は近いから、
いつでも来ればいい、
好きなだけ滞在しているがいいよ
そのつもりになれば、
知らせてくれれば迎えをよこす」

「誰と行くの?」

「娘は連れて行くよ
娘一人都に置いていけやしない」

「いいえ、ほかの女のことよ」

「誰も連れて行く女はいないよ
向こうから連れて帰るかもしれないが」

「憎らしい」

「だから、一緒に行こう、
というのに」

「体が二つ欲しいわ」

と私はいって、
これと同じことを、
則光にもいったっけ、
と思い出す

そうだ、
いつのときも私は、
中宮さまと男と、
二つに心も身も引き裂かれていた

中宮のおそばを離れることは、
出来ないと、
則光を見捨てた

いままた棟世もそうなって、
しまうのではなかろうか

秋、八月四日に、
中宮は大進・生昌の邸へ行啓、
と発表になる

生昌の邸も、
上へ下へのさわぎ

中宮をお迎えするというので、
その準備に明け暮れている、
ということだ

行啓は、
八月九日の午後から夕刻にかけて、
と定められていたが、
時刻になっても行啓を供奉する、
上達部や殿上人が集まらない

人々は騒いでいるが、
それでもぼつぼつと集まった

道長左大臣が朝早くから、
宇治の別荘へ向かったので、
多くの人々はそれに従って行き、
中宮の供奉はそろわなくなったのだ

「今日という日に何も・・・」

「突然出かけなくとも、
よさそうなものを・・・」

「いやがらせですわ
そうに決まっています」

若い女房の中には、
悔しがって泣き出す者もいる

それでも行啓の準備は、
予定時刻よりずっと遅れて、
何とか格好がついた

中宮の御輿は、
相応の典礼儀式で、
飾られないといけないので、
少人数でこっそり、
というわけにはいかない

しかも当今の二の宮が、
お生まれになろうというのだ

主上もお心を痛められただろうけど、
左大臣のなさることには、
無力である

それに兄君・伊周の君は、
中宮が頼りにされる、
いちばん身近な方であるのに、
ひたすら祈祷に精を出され、
弟君の隆家の君は、
ただ今の身分柄、
表立って動けぬ立場でいられる

時刻が移り、
夜になってやっと行列が動き出し、

「なるようにしか、
ならないわ、少納言
いろいろ考えるだけ、
無駄だわ」

と仰せられる

三条の生昌邸では、
灯があかあかと掲げられ、
かがり火が門前にも邸内にも、
たかれているが、
また何と小さい邸であろうか

中宮の行啓を仰ぐというのに、
板葺の門ではないか

中宮の御輿は、
辛うじて門をくぐりぬけたが、
我々の女房車はつかえて入れない

皇族の御輿が板屋門を、
出入りしたなんて、
古今未曾有のことではないか

門は四足門に改造すべきであるのに、
間に合わなかったのか、
志がないのか、
中宮のおんためにも、
腹が立つことであったが、
更にむしゃくしゃするのは、
私たちの車が入らなかったこと

車というものは、
門を入って建物の前につけ、
階段の簀子にすぐ車から下りて、
立てるようになったもの、
屏風や几帳を、
たてまわしてあるので、
誰の目にも触れず、
車から邸内へ入れるものである

ところが、
私たち女房の乗った車は、
大きいから門を入れず、

「恐れ入ります
ここから歩いてお入り下さい
ただいま莚道を敷きます」

と役人が呼ばわるではないか

「いやだわ、
どうしましょう」

私たちは騒然となってしまう

行啓を待ちわび、
あれこれ奔走していて、
時がたち化粧も崩れ、
髪も乱れてしまった

夜になったことではあるし、
このまますっと邸に、
入ればいいと油断していたのに、
門から下りて庭を突っ切り、
寝殿の階まで莚の上を、
歩かねばならぬ

しかもあかあかとたく、
かがり火のもと、
供奉の殿上人や地下人が、
詰所に立って、
じ~っとこちらを見つけている

その前を、
一人また一人と、
私たちは扇をかざし、
顔をかくして進まねばならない

若い女房はまだいい

私はかもじも団子になっていて、
うしろ姿を見られるせつなさ、
それもこれもいっしょくたに、

(生昌のバカモン!
よくも恥をかかせてくれたわね!)

と心中ののしっていた

棟世が何といおうとも、
こんなに大ざっぱな、
ひどい仕打ち、
悪意があってのこととしか、
思えない

それともよっぽどの無神経か
女の怖さを見せてやらなくちゃ、
ならない

「そうよ
生昌をうんととっちめて、
やりましょうよ
バカにしているのよ、
中宮さまの女房たちは、
ぞんざいに扱ってもいい、
とタカをくくっているのかも、
しれない
おぼえているがいいわ」

と右兵衛の君など、
生昌が聞いていたら、
恐怖に凍りそうな声でいう

私たちが昂奮した面持ちで、
そろって御前にまいると、

「どうしたの、
何かあったの?」

中宮はすぐさとられて、
おたずねになる

新しい環境に入られると、
好奇心が弾まれるのか、
中宮はいきいきしたお顔色だった

お疲れも見せられず、
小さい邸を面白がっていられる

こうこうで、
くやしくて腹が立ちまして、
と申しあげると、

「ここでだって、
誰が見るかわからないのに、
どうしてそんなに、
だらしなくしていたの」

とお笑いになる

「でもあの門には、
おどろきましたわ
かりにも中宮さまの、
お入りになる門じゃ、
ございませんか
何だってまあ、
あんなに小さいのでしょう」

「生昌をなじってやりましょう」

などといっているところへ、
運よくというか、
生昌にとっては運悪くか、
本人がやってきた






          


(次回へ)

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「24」 ④

2024年12月22日 08時48分57秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・今度こそ男御子でいられたら、
と伊周の君などは狂喜して、
すぐさま千日の修行を、
思い立たれる

これも噂だが、
彰子姫のおつきの女房に、
なりたくて運動していた、
中宮方の誰かが、
中宮ご懐妊と聞いて、
またあわててたちもどり、
知らぬ顔で忠勤に励んでいるとか

彰子姫方では、
中宮ご懐妊の噂に、
動揺をかくせないという

これから忙しくなる

彰子姫も入内準備で、
お忙しいだろうが、
中宮方もご出産準備で忙しい

お里下がりすべきお邸、
その日程などを決めなければ、
いけない

夏は暑かった

その暑いさなか、
内裏に火が出た

六月十四日の夜中だった

「火事!」

という声で目覚めたときは、
局のすぐそばまで、
煙が迫っていて、
男たちが建物を打ちこわしに、
かかっている

私はまっ先に、

「宮は?中宮さまを!」

と叫んだ

「お車でおのがれになりました
主上もご一緒です」

誰かの返事に私はほっとして、
よろめく

不幸な中宮

火事に遭われるのは、
これで二度目でいられる

主上と中宮はまたもや、
離れ離れのお暮しに入られた

内裏が焼失してしまったので、
主上は太政官の朝所に、
やがて一条院へうつられる

中宮は職の御曹司へ戻られる

長く離れ離れでいられ、
やっと内裏に一つ屋根の下に、
お住まいになったと思ったら、
その楽しい月日は半年しかなかった

何ものか、
運命の悪意のごときものが、
お二方を引き裂こう、
引き離そうとしている

ただそういう中でも、
大きい希望であるのは、
主上の中宮に対する熱いご愛情だった

引き裂かれれば引き裂かれるほど、
お二人の恋はめざましく、
生まれかわり、
燃えあがるように思われた

物狂おしいほどしばしば、
主上のお文は届けられた

十一月に予定される、
ご出産にそなえて、
主上のお心づくしは、
お手紙にあふれているらしかった

だが、天下のあるじでいられる、
主上にも、
自分の思うように生きられない宿命、
がおありで、
どんなにお心を砕いていられるようでも、
お力の及ばないことがあった

中宮大夫となっていた惟仲が、
病を理由に辞退してしまった

そのあと、
中宮職の長官は欠員のままである

中宮をお世話するはずの、
役所の長官がいないのだから、
お産のために宿下りなさる、
手はずをととのえてくれる者が、
あるはずもなかった

惟仲が長官を辞退したのは、
私の思うに彰子姫の、
入内にそなえてのことであろう

あの野心家のおっさんは、
彰子姫の時代になったとき、
反対側の中宮方についているのは、
不利とにらんだにちがいない

機を見るに敏い惟仲は、
先をよんで、

(ここは、早いうちに、
こういう厄介な地位から、
抜けださなくては・・・)

と思ったのであろう

「ずいぶん短いご在任で、
お名残惜しゅうございますわ」

と私が皮肉をいってやると、
(半年しかたっていないのだ)

「私めもまこと心残りに、
存ぜられます
不行き届きでございますが、
私のあとは弟の生昌が、
心をこめてお仕えいたしましょう」

としゃあしゃあとした顔で、
いうのである

生昌というのは、
中宮大進、
長官からかぞえると、
三等官である

しかも伊周の君が、
ひそかに帰京なすったとき、
それを道長の君に、
密告したといわれた男である

職の御曹司で見かける生昌は、
五十がらみの、
無骨な田舎侍といった風躰

惟仲のほうがまだまし、
というところだが、
生昌は蟹をおしつぶしたような、
顔をしている

中宮大夫に「いい男」を、
よこさないという不満もあるが、
社会的にも人望のある、
女房たちにもうけのいい男が、
中宮づきの役所にいないのである

そういうイキのいい男はみな、
道長左大臣の陣営に奪われてしまう

右衛門の君なぞ、
皮肉めいて、

「どうせ、そうなのよ
男たち自身、
左大臣側につきたがっている
出世したいという、
まともな感覚のある男なら、
誰だってそう思うわ」

なんていう

そのくせ、
自分は左大臣側にいかず、
いつまでも中宮方に、
お仕えしているのだから、
わからない

生昌みたいな、
万年ヒラ役人なら、
せめて真面目で、
誠実であればいいのに、
密告なんかするいやらしさが、
許せない

棟世に話すと、
棟世は脇息に寄って、
扇を使いながら、

「生昌のお邸へ、
多分お里下がりなさる、
ことだろうよ」

という

邸も人も都には多いのに、
中宮のお里下りなさるところは、
どこにもないのだ

生昌邸へ行啓なんて、
考えられもしないことだった

かりにも中宮という、
ご身分でありながら、
生昌ごとき者の、
小さい邸へ

「あなたは、
そう怒ってばかりいるが、
あの生昌は但馬守だから、
隆家の君(中宮の弟君)が、
流されなすったときは、
とてもよくお世話した、
ということだよ
まじめ誠実を、
うまく使いこなすことだな
そうすれば、
彼もよくやってくれるはずだ」

棟世は私を見て、

「あなたが中宮さまいちずだから、
ほかのことに心を分けられない、
と思うが・・・
私は摂津へ下らねばならない
摂津守になりそうなんでね
とてもついて来るまいね?」

それを棟世は気楽に軽くいう

「ついて来い」でもなく、
「来てくれ」でもない

それは私にとって、
好もしかった

私は私の意志を、
尊重してもらえるのが、
いちばん嬉しいので、
そういう言い方に、
棟世の愛情を感じる

だから自然に、

「ほんとに残念だわ
一緒に行きたいわ・・・
磯や海、
摂津の歌まくらを、
毎日みたいわ
でも中宮さまはいま、
大変なときでいらっしゃるし、
見捨てて行けやしないわ」

といった






          


(次回へ)

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