「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「23」 ③

2024年12月16日 09時00分17秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私は、
十四日の朝になるのを待ちかね、
左近を呼ぶのもまどろしこくて、
みずから下人の男を起こした

男は暖かい寝床から離れるのを、
いやがり寝ぼけ声で抗う

やっと起こして見にやらせる

帰ってくるのを、
いらいらして待つ気持ちときたら

「どう、あった?
雨で消えていなかった?」

と飛び立つ思いで聞き、
下人の男はひと息ついて、

「ございました・・・」

というので、
私は安堵して、
へたへたとへたりこんでしまう

「まあ、よかった」

「はい、
円座ぐらいはございました
木守が厳しく見張っておりまして、
子供や犬を寄せ付けないように、
しております
明日、明後日ぐらいは、
充分残りそうだとのことで、
この分ではご褒美が頂ける、
と喜んでおりました」

という

私はひどく嬉しくて、
思わず笑えてくる

「何だ、
そうぞうしいね、
朝から」

と棟世が起きだして来て、

「また雪か」

と笑うが、
私は早くこの一日が、
過ぎないかと思うばかり

明日は正月十五日、
予想にたがわず、
この日まで保ちましたよ、
と人々に見せつけてやりたかった

それに、
喜ばれる中宮のお声も、
耳元で聞く気がする

そうだ、
雪に添えてさしあげる歌を、
作らねば・・・

私はあわただしく筆をとって、
思いをめぐらし、
われながら物狂おしい

昼間、棟世は出てゆき、
私一人になっている

心ゆくばかり、
歌を案じて、
やっとどうにか出来上がった

暮れてから、
棟世は馬でやってきた

私が勢いこんで、
雪の歌の報告をするのを聞き、

「少し得意そうな感じが、
強すぎやしないかな」

「これぐらいでいいんです
世間に伝わるときに、
強いほうが効果はあがるって、
もんですわ」

「おやおや、
中宮さまの御前だけじゃなく、
世間へもひろめよう、
というもくろみかい?」

「無論じゃありませんか
世間はあたしたち中宮派に、
とても注目してるんだもの
現代では、
斎院の宮さま一派と、
何たって中宮さまだわ」

「それはあなたがいるからだろう」

「ほんとはそう、
いいたいわ・・・」

私は上を向いて笑う

経房の君や、
行成の頭の弁が、
この雪山事件のいきさつを聞き、
私の歌をもてはやして、
宮廷中、ひいては世間に、
ひろまってゆくのが目に見える

「さあ、
明日の朝は早くに、
下人をやらなくちゃ・・・」

と私はいい、
眠るどころではなく、
歌をきれいに清書した

とうとう白々と明け、
下人を起こしにいって、
私は折櫃を渡し、

「これにね、
きれいなところの雪を、
どっさり盛ってきて
汚いところは捨てるのよ
いい?
真っ白なきれいなところだけ、
入れてこんもり形よく、
盛ってきなさい」

といいふくめて、
職の御曹司へやった

棟世は寝入っていてまだ起きない

私一人いらいらと、
下人の帰りをまちかねていた

と、意外にもずいぶん早く、
下人は帰ってきた

持たせてやった折櫃を手に、
空しくぶらさげている

「とっくに雪はございませんでした」

という

「なんでそんな
そんなばかなこと!」

私はいきりたって叫ぶ

未明にたたき起こされて、
顔も洗わず出されたものだから、
薄よごれた寝ぼけ顔で、

「ほんとうにないんでございます」

という

「昨日まで、
円座ぐらいもある、
といったじゃないの、
それが一夜で消えるなんて
ひとすくいのかけらでも、
なかったの!」

私は地だんだ踏みたいくらい

「お前、
寝ぼけたんじゃないの、
木守は何をしていたんです」

「木守が申しますのに、
昨日は暗くなるまで、
たしかにあった、と
それが今朝起きてみると、
消えていたと申すんで、
ございます
ご褒美をあてにしていたのに、
とくやしがっておりました」

「まあ、
そんなこと・・・
なんで一晩で消えてしまうなんて」

私はくやしくて、
思い切れない

「陰謀だわ
きっと誰かが捨てさせたのよ
あたしに得意顔させるのが、
いやさに・・・」

さしずめ、
右衛門の君あたりかも、
と私は思う

なんてことだろう、
せっかく歌まで用意したというのに

私はわめきたい思いである

「いかがいたしましょう?」

などと間抜けた顔で、
私を見上げる下人に、

「どうしようもないじゃないの、
ぼんやり立っていないで、
あっちへお行き!」

と当たってしまう

「何だね、
朝からそうそう、
とげとげしい声を、
出すもんじゃない
朝はにこにこ迎えるものだ」

棟世が起きだして、
私をたしなめる

「にこにこしていられる、
もんですか、
なくなっていたのよ、雪が!
誰かが捨てさせたんだわ
敵がいるのよ、
この世の中、
見えない敵だらけだわ!」

棟世はことの次第を聞いて、

「ははは、
こりゃいい・・・ははは」

と笑いが止まらない

「あなたの鼻が、
押っぺしょられたってわけだ
あはは・・・」

「憎らしい
なんでそうおかしいのよ!」

私がたけり狂えば狂うほど、
棟世は笑う

そんな騒ぎの中、
またなんということ、
中宮のお手紙が来る

「長い里下りね
あなたがいないとさびしいわ
ところであの雪はどう
今日は十五日、
果たして今日まで保ったかしら」

というお手紙である

私は残念でならない

中宮にじきじきに、
お手紙を書くことは出来ないので、
側近の人にあてて、

「皆さんはせいぜい年のうち、
どう保ってもお正月一日まで、
とおっしゃいましたっけ
ところがどうでしょう
あの雪の山、
私が申した通り、
十四日まであったので、
ございますよ
われながらよく言い当てたものと、
鼻高々でございましたが、
どなたかが、
そねまれたのでしょうか、
夜中、雪は捨てられて、
いたんでございます
そう中宮さまに、
申しあげて下さいませ」

と書いた






          


(次回へ)

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「23」 ②

2024年12月15日 08時38分10秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳











・こうなれば、
何とか雪の山が、
十五日まで保たせたいものだ、
という欲がでてくる

雪の白さも失われ、
黒ずんできて、
見ばはよくないが、
もう勝ったような気がする

「だけどねえ、
これからは一日一日、
あたたかくなるでしょうし、
七日までも危ないんじゃない?」

と右衛門の君がいうので、
ほかの人たちも、
決着が早くみたいもの、
と思っているらしい

ところが急に、
中宮が職の御曹司から、
内裏へお入りになることになった

この雪山の決着がつかないまま、
ここを引き払わないといけない、
ことになり、
私も残念であるが、
中宮も、

「雪山のこと、
見届けたかったわ・・・
少納言の得意顔が見られるか、
それともしょげた顔を、
見ることになるか、
楽しみにしていたのにねえ・・・」

とお笑いになる

「ほんとうに、
みごと言い当てて、
『これ、この通り』と、
胸を反らせとうございました・・・」

と私はいった

入内のお支度や、
御曹司の内も外も、
人がばたばた入りこんでいる

お日柄や、
主上の思し召しやらで、
入内の日が早まったらしかった

お道具を運ぶので、
騒がしいのにまぎれ、
私はそっと木守と呼ばれている、
庭掃除兼植木番の下司女を、
呼びつけた

この女は築土塀のそばに、
小屋を作ってそこに、
住みついている

「この雪の山を、
ようく見張っていておくれ
子供たちが踏みつぶしたり、
しないようにして、
十五日の日まで保たせてほしいの
その日まで残っていたら、
上つ方からご褒美が出ることに、
なっているのよ
あたしからも、
どっさりお礼を弾むわ」

といってやった

この女、
もともと台盤所の女官や、
長女(おさめ)などからも、
人かずにも入れられていない、
賤しいしもべなのだが、
満面に笑みくずれていう

「よろしゅうございますとも
お安いご用でございます
確かにお守りいたします
子供らがやんちゃをして、
登ったりするかも、
わかりませんので」

「それをちゃんと止めなきゃ、
だめよ
いうことを聞かない者がいたら、
あたしのところへ、
いいつけにおいで」

「はい、
わかりましてございます」

木守はそういうが、
私は心配でならない

内裏へ入ったのちも、
毎日、下仕えの女たちを、
見にやらせ木守に注意させていた

全く、
下層階級の庶民ときたら、
物を与えたいっときだけは、
よくいうことをきく、
ふりをするが、
しばらくとぎれると、
もう知らぬ顔をする

狡猾で貪欲で、
箸にも棒にもかからないのが、
多い

正月の七日まで、
私は中宮のおそばで仕えていた

七日のお節句のお下がり、
野菜や七草がゆの残りものまで、
木守に持っていかせたら、

「まあ、
あの下司女、
私たちを仏さまか、
なんぞのように拝んでいました」

と使者の下仕え女たちの、
笑うこと笑うこと

三条の自邸へ、
私が下がったのは、
棟世が来るからだった

暮からこっち、
ずっと宮仕えで、
お正月の間も棟世と、
会えなかったから、
私は弾んでいた

年老いた女房の左近は、

「則光さまは、
あまり頼りにならぬ木かげで、
ございましたよ
そこへくると、
棟世さまはこの上ない、
殿方でございますよ
これも亡くなられた大殿さまが、
あの世から仏さまに、
お祈り下さったそのお気持ちが、
通じたんでございましょう」

などという

大殿さま、
というのは私の亡き父のこと

棟世が来ているあいだも、
私は職のお曹司の、
雪の山が気にかかっていて、
夜が明けると、
下人を見にやっていた

「何だね、いったい?」

と棟世が不審がるので、
こうこうだと説明すると、

「子供じみたことを・・・」

と笑うのだが、
そのうち寒気がゆるんで、
雨になった夜があった

この雨で消えてしまうのでは、
と思うと居ても立ってもいられない

明ければ一月十四日、
どうしても十五日の雪、

(ほれ、
この通り、
十五日まで保ちました)

と雪をすくって、
人々の鼻を明かせたいのに、
雨が降ったのでは、
おじゃんになってしまう

「いやだ、
この雨、、
あと一日、二日待ってくれれば、
いいのに・・・」

と夜半も起きて、
いらいらするものだから、
棟世は呆れて、

「正気の沙汰じゃない
どうしたんだ
雪があろうとなかろうと、
いいじゃないか」

という

私にとっては、
いったん十五日すぎまではある、
といった以上、
ぜひ十五日の雪をひっさげて、
目にもの見せてやりたくて、
ならないのだ

「まあまあ、
誰に対してそう角を、
つき出すんだね
世の中でそう人目に立つことを、
するんじゃない、
と教えたはずだが」

棟世はそういうが、
あえて言い出したのは私だから、
その責任をとらないと・・・

「はて
責任の何のと、
女はそう気むずかしい言葉を、
使うんじゃない
女というものは、
男さえいればいいじゃないか
男が言葉だよ
あなたには私がついている
それで安心して、
ほたほたとやさしく、
笑みまけていればいい
何があっても」

棟世はいってくれるが、
私はそうはいかない

女にも責任がとれる、
女だって「こうだ!」
と言い切ったら、
その後始末ができる、
そういう毅然としたけじめを、
つけたいのだった

男がいるのは嬉しいけれど、
それは女の影の部分で、
男がいるからすべて、
なあなあで済ませていいって、
もんじゃない

いや、私にあっては、
男がいるからこそ、
「人目に立って」
「角つき出して」
きっぱり自己主張したい、
そういうところがあるのであった






          


(次回へ)

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「23」 ①

2024年12月14日 09時03分08秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・選子内親王は、
才気ある優美なお人柄の、
女人に成長され、
兄君に当られる円融帝の御代、
十四で賀茂の斎院になられた

人望があり、
世のおぼえもめでたく、
風流な教養人として、
尊敬のまとになっていられる

それゆえ、
斎院はもともと、
帝ご一代限りで替られる、
さだめであるのに、
円融帝がみ位を下りられてのちも、
花山帝の御代もひきつづき、
斎院の位でいられた

いまの一条帝の御代も、
前代にひきつづいていて、
珍しいことである

世間では、

(賀茂の明神が、
この斎院をことに、
お気に入っていられるからだ)

と噂している

風流をお好みになるだけあって、
とても美しい才はじけた方、
という評判である

神に仕える未婚の、
年たけた内親王、
という印象からすると、
気むずかしく陰鬱な、
あるいは近寄りがたく神々しい、
気品高い、
または野暮ったく、
いかつい老女が想像されるが、
この斎院はいままでの歴代の斎院と、
まったく様がわり、
大いに派手好きな方で、
いらっしゃる

私はこの斎院より二つ下、
今年の正月から三十四になった

人々は古々しい中婆さん、
と思うかもしれないが、
何しろ老けたのや、
ヒネたのや、
陰気臭いのは大きらい

このあたりも、
私の共感をそそるところで、
私はこの斎院に親近感をおぼえる

ぱっと明るく派手に目立って、
朗らかで美しいものが大好き

斎院の宮もまた、
そういう方でいらっしゃると、
評判である

それゆえに、
同じようなご気質の、
左大臣どの(道長の君)と、
お仲がよろしいとか

斎院は、
神に仕える身でいられるので、
もともと仏さまや仏教に関することは、
忌んで遠ざけられるものである

これは伊勢神宮にお仕えされる、
斎宮も同じことである

斎宮も斎院もいったん、
その任に定められなすったら最後、
「仏」に関する言葉も、
すっかりお忘れにならなければ、
いけない

心身ともに神に斎かれる宮として、
特殊な存在であらねばならぬ

その掟をこの奔放な斎院だけは、
平気で無視していられ、
神に仕えながら、
仏さまへの信仰もお捨てにならず、
毎朝、ご読経やご祈念を、
欠かされたことはないという

有名なお寺の菩提講などの折には、
決まってお布施や寄進をされるそうな

それぐらい型破りの宮で、
いられるから、
斎院だからとて、
野暮で地味にしては、
いらっしゃらない

当代では、
この斎院の御殿と、
定子中宮の御殿が、
一大社交場の花形である

といっても、
斎院は神に仕えられるおん身、
中宮は主上のご愛情を後ろ盾に、
後宮の女あるじとして、
時めいていられる方、
社会的地位の重み、
という点では、
くらべものにならないけれど、
ともあれ、私は、
風流人で教養高い、
奔放な斎院の宮に、
敬意と親愛の情を抱いている

それは中宮もそうらしく、
推察される

主上がこの叔母君に、
親しみを寄せていられることも、
あろうけれど・・・

ただ、
中宮の弟君の隆家の君だけは、

「狐と狐は仲がいいのだ」

と斎院と左大臣のおん仲の、
よろしさを嗤っていられるようである

「あの斎院は、
名誉心の強い、
自己顕示欲の強い、
いやな女だ
斎院のくせに、
仏くさいことを好むなんて、
横紙破りもいいところ、
あの高慢ちき女、
権力のあり場所だけには敏感で、
左大臣に尻尾を振ってみせてる
狐斎院というべし」

とさんざんである

隆家の君は、
斎院のなされかたが、
性に合わないようだ

しかし私は、
自己主張の強い、
個性的な斎院の宮に、
好意をもっている

斎院も、
才気煥発という評判たかい、
中宮とその側近に、
興味を寄せらるのか、
お便りが時々ある

それで中宮も、
心弾まれて斎院のお文を、
開けられるのである

斎院の贈り物は、
卯槌であった

昨日の正月朔日は、
初卯の日、
卯の日には卯槌を飾るのが、
縁起である

邪気を払う桃の木を削って、
槌の形にし、
それに五色の糸を飾りに、
つけたもの

それを卯杖のように、
頭の所を紙で包み、
これもお正月に飾る祝儀ものの、
やぶこうじやひかげのかずら、
山菅などを、
清らかに飾ってあって、
お文はない

中宮は、

「お文がないはずないわね」

と仰せられて、
卯杖をとみこうみされる

「その頭を包んである紙は、
いかがでございましょう」

と申しあげると、

「あら、ほんとうに、
ここにありました、
お歌が」

と紙をひろげられて、
ゆっくり読まれた

<山とよむ
斧のひびきをたづぬれば
祝ひの杖の音にぞありけり>

「おお・・・
大らかで明るい、
よい歌でございますこと」

と私は思わず感嘆する

「ほんとうに・・・
斎院の宮さまへのお返しは、
気骨が折れるわ
早速、お返事申しあげなくては」

「気骨が折れる」
と仰せられながら、
かえって気力が湧き上がられるみたい、
その活力こそが、
私が中宮に対して抱く、
いちばんの魅力である

斎院からのお使者に対して、
祝儀も心しなければならない

なまなかなものを、
与えたりしたら、
斎院御殿の女別当や、
おそばつきの女房たちに、
嗤われてしまう

それで早々と、
お返事がととのい、
使者は正面の階下にうずくまって、
お返事と禄を頂く

ちらちらと降る雪のもと、
型通り使者が退出するさまも、
いい眺めであった

そのさわぎにまぎれて、
中宮のお返事を、
うかがわずになってしまって、
惜しいことだった

そういう間も、
れいのお庭の雪の山も、
まるで「越の白山」という感じで、
どっしり居座り消えそうもない

何しろ築いたのが、
十二月十日すぎだというのに、
もう今日は正月二日、
それでも消えない

正月十日すぎまでは、
ありましょうといった、
私の予言通りになりそうだった






          


(次回へ)

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「22」 ⑦

2024年12月13日 09時11分46秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私たちも再び、
内裏暮らしに入ると思うと、
久しぶりに楽しく、
その心はずみが、
中宮にも私どもにもあったせいか、
雪山くらべに興じることになった

今年の冬は雪が多く、
十一月にすでに大雪が降ったが、
それが消えてまもなく、
十二月十日すぎ、
雪が降りしきり、
縁にも入って積もるくらいだった

女官たちは、
縁の雪を掃きおろす

「これ、
雪山に造ってみたら、
どうでございましょう」

と私が中宮に申し上げると、
笑っていられる

中宮のご命令として、
侍たちを集め、
雪の山を造らせる

雪を掻いて道をつけていた、
主殿司の役人たちが、
面白がって雪を盛ってゆく

しまいには、
里下りしている侍なども、
呼び寄せ、

「今日、
雪山を造るのに働いた者は、
三日分のお手当てを加増する
来ない者は三日分取り消す」

といったものだから、
みな、あわてて参上した

ずいぶん高い雪の山になった

さながら越の白山を見るようである

女房たちは喜んではしゃぐ

「大きな山になったこと」

中宮も珍しい景色に喜ばれる

「いつまでこれが、残ると思う?」

とおたずねになるのであった

「まず十日でございましょうか」

と申しあげる者もいれば、

「いえ、十五、六日ほどは」

などとみんなはいっている

「少納言、
どうして黙っているの」

中宮がお問いになる

みんなと同じように、
近間の日をいったのでは、
面白くないので、
私は思い切って、

「正月の十日すぎまでは、
ございましょう」

と申しあげる

「まさか、そんな・・・」

といっせいに声があがり、
中宮もお首を傾けていられる

「せいぜい、
年内いっぱいというところで、
ございましょう」

と中納言の君がいい、
この人は年長者らしく、
確信ありげに話す人だから、
そういわれれば、
私もひるむ

(あんまり長く言い過ぎたかしら?
お正月一日といっておいたほうが、
よかったかしら・・・)

と思ったが、
今更、訂正もできないので、

「いいえ、
正月の十日すぎまでは、
あると思います」

と言い張ってしまった

雪がやんだあと、
陽は雪山にきらめいて、
美しいったらなかった

「思いがけない名所が、
目の前にできたこと」

と中宮は喜ばれる

久々の主上とのご生活が、
何日かあとに、
待っていられるせいか、
白いおん頬に血がのぼっていられる

主上のお使いに、
式部丞の忠隆がきた

主上は雪が降れば、
雪のお見舞いを、
雨、雷、暑さ、寒さにつけて、
お言葉をことづけられる

「ほほう
こちらでも雪山か」

と忠隆は面白がっていた

「今日ではどちらさまでも、
雪山をお造りにならぬところは、
ありません
清涼殿のお壺庭でも、
造られて主上を、
お慰めしています
東宮、
弘徽殿、
それに左大臣どのの、
土御門殿でも、
お造りになったそうです」

というので、
私は面白くなって、

「ここにのみ珍しと見る雪の山
ところどころにふりにけるかな」

といったら、

「ああ、うむ、これは・・・」

と忠隆はあたまを抱えていた

「とっさに切りこまれては、
太刀打ちできません
拙い返歌はかえってお歌を、
そこねるというもの
とにもかくにも、
そのご名歌を主上のおん前で、
ご披露させて頂きましょう」

といって、
あたふたと席を立ってしまう

「あの方、
歌才自慢という噂なのに、
へんねえ」

と私がいったら、

「とっさのことで、
狼狽したのじゃない?」

と中宮がいわれるのもおかしい

ほんとにこの雪山が、
来年の十日すぎまで保つかどうか、
あいにく十二月二十日には、
雨が降ってしまった

心配で心配で、
夜も眠られず、
朝早く起きてみたが、
雪の山はいっこう、
消えるふうもない

ただ少し、
丈が低くなった気がされる

大晦日近くになっても、
まだ雪山は消えずある

一日の夜、
雪が降りだしたので、

(あっ、嬉しい・・・)

と思ったのだが、

「今日の分はいけないわ、
もとのままの雪だけ残して、
今日積もったのは捨てなさい」

と中宮はいわれる

その翌朝、
中宮のおんもとへ、
ずいぶん朝早く、
斎院からお文がきた

斎院からのお文とあれば、
中宮さまをお起しせねば、
なるまい

ただびとの、
ご消息ではない

まだおやすみ中なのに、
加えてこの寒気きびしい朝、
申し訳ないけれど、
私も昂奮している

どんなお便りなのかしら、
お返事もそれにふさわしく、
さしあげなくては・・・

忠隆のように、
あたまを抱えて
うなるだけでは、
女房の役目はつとまらない

それに、
年のはじめから、
斎院のお文があった、
ということは、
中宮のご威勢ももとに、
もどられたような感じではないか

いままでは、
どちらでもご遠慮なすって、
いたようなおつきあいが、
またもと通りはじまるという、
前ぶれではないか

私は格子を上げようとして、
格子のきしむ音に、
中宮は御張台のうちで、
目をさまされたらしい

「どうしたの、少納言」

「斎院からお文でございます
早くお目にかけようと、
存じまして」

「斎院から?・・・
こんなに早く」

と仰せられる声も弾んでいた

斎院・選子内親王は、
主上の叔母君に当られ、
いま、三十六歳、
定子中宮より十二歳年長で、
いらっしゃる

主上の祖父君・村上帝の、
第十皇女でいらして、
母君の安子中宮は、
この選子内親王をお生みになると、
そのまま亡くなられた

村上帝は安子中宮を、
愛していられたから、
母君の死とひきかえに、
この世に生まれられた、
選子内親王を格別、
ふびんに思われたようである






          


(了)

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「22」 ⑥

2024年12月12日 09時10分42秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・棟世には、
年ごろの娘が一人いるが、
まだ婿は決めてないらしかった

男の子はいない

「いたら煩悩苦悩のもとだ」

といっていた

彼は則光とちがい、
私が宮中であったことを話すと、
非常に興味を示す

そうして反応の質が、
私によく似ていて、
その点からもしっくりと、
気の合う話し相手だった

彼が私に反ぱくしたのはただ一度、
私が方弘(まさひろ)の、
悪口をいった時だけである

いつもへまばかりやる方弘は、
私たち女房や女官の嗤われ者で、

「親の顔が見たい」

といわれていたが、
棟世によると、

「なに、
ああみえて、
結構抜け目なく、
立ちまわっているんだ
ああいうのに限って、
油断ならず小まめに動いて、
出世したりするんだ
彼だって必死かもしれない
男は女とちがって、
出世に命を賭けているから
嗤い者にしたりして、
彼の怨みを買うことはない
人には憎まれないほうがいい
ほんというと目立たないことも、
大切なのだが、
あなたに目立つな、
といっても無理だろう」

などとたしなめる

五十男に、
おちついた口調で、
諄々とたしなめられると、
則光にいわれたら、
むかっとくる私が、

「そうね」

とうなずけるのであった

それだけでも、
人生の展望がひらけた思いである

どんなに好もしい殿方でも、
今までの私なら、
張り合う気があったのだが、
棟世に向かうと、
角も棘もおのずとひっこんでしまう

それに、
棟世と会わないでいても、
それはそれで気持の平衡を、
失わないでいられるのが、
よかった

いらいらと気を揉むこともなく、
かといって、

「来る」

という連絡があると、
嬉しかった

私はそういう関係を、
気に入っている

それに正直なところ、
棟世のもたらしてくれる、
物質的援助が、
私の心身を安定させてくれた

なぜ、といって、
伊周の君のご帰京以来、
われわれ女房のいただく、
お手当てもやっと以前のように、
滞りなく頂戴できるように、
なったものの、
それまでの中宮のご逆境の折は、
途切れがちで実に不安定だった

親もとの、
しっかりしている人はいいが、
一人暮らしの女たちは、
内心、不安と動揺を抑えきれなかった

そういう心配も、
棟世があらわれてから、
薄れてしまった

将来のことは将来のこと、
今から思い煩ったとて、
どうなるものでもないのだし

安定したせいか、
このごろはいっそう、
宮仕えが楽しくなる

そういえばおかしいものに、
例の乞食尼がいる、

いつぞやあつかましく、
御曹司にまで紛れこんで、
仏さまのお下がりをねだった

その尼が、
くせになって始終、
うろうろとやって来るらしい

「常陸のすけと寝よかいな」

などと怪しげな流行り歌を、
唄ったものだから、
皆が、

「常陸のすけ」

とあだなをつけている

あの時、
中宮の仰せで、
巻絹をやったはずなのに、
いまだに衣は汚れ煤けたままで、

「まあ、
あの絹はどこへやったんでしょう」

とみなはおかしがったり、
小憎らしく思ったりした

このあたり、
紛れこみやすいのか、
このあつかましい乞食尼のほかに、
もう一人、
これは上品にやさしげな尼が来て、
物を乞うのであった

好奇心の強い若い女房たちが、
退屈しのぎに呼び寄せて、
身の上などを問うと、
尼は涙をこぼして恥入り、
あわれな様子だった

巻絹一反をとらせると、
伏し拝んで頂く

おとなしやかに、
くり返しくり返し礼をのべ、
嬉し気に立ち去ったが、
そのさまを、
常陸のすけが見ていた

そうしてさもあてつけらしく、
声を張って詠みあげる

<うらやまし足もひかれずわたつ海の
いかなる人に物たまふらむ>

それを二度、
聞けよがしに詠むので、
御簾のうちの女房たちが、
笑うこと笑うこと

乞食尼はさぞかし、

(でかした
即興の面白さを賞でて、
これをとらせよう)

という声でもかかり、
何かもらえると期待している

得意顔で歩きまわり、
ずうっとのぞきこみ、
いつまでも去らないでいる

「いやだ、
あの憎らしい得意顔」

「あれ、
『伊勢』の小町の歌を、
本歌にしているつもりじゃない?」

「あれで小町のつもりかしら」

「小町のなれのはて・・・」

「というよりは、
少納言さんの将来の姿では、
ないかしら、
あの当意即妙の才はじけた、
ところなんかそっくりよ」

というのは、
いうことに険のある右衛門の君

「よしてよ」

と私がいったので、
みないっそう笑い崩れ、
常陸のすけはたまりかねたらしく、

「どうか、
お下がりを私めに、
下されませ」

としまいにむきつけに、
催促する

「あたし、
あんなに図々しくなれないわ」

と私がいったものだから、
また大笑いだった

経房の君が、
たまたま来合わせていらして、

「見苦しい、追え」

と侍たちにいいつけられる

あとで常陸のすけのことを、
聞かれて、

「おやおや、
皆さんのお気に入りの、
お出入り芸人でしたか
『男山のもみじ葉』
の唄をぜひ習い取りたかった」

と大笑いされる

今年、長徳四年の冬は、
いいことずくめだった

私と棟世のことだけでなく、
中宮のご身辺もそうだった

脩子内親王さまは、
十二月に袴着のお式があり、
年が明ければ中宮は喪もあけて、
晴れて内裏へお戻りになる

今年はもがさが流行ったり、
賀茂川の堤が決壊したり、
不景気なことが続いたせいか、
新しい年になれば、
年号も変るという噂だった

何より主上と中宮が、
またご一緒にお暮しになって、
水も洩らさぬ仲となられるのが、
めでたい

私たちも、
再び登華殿の、
細殿暮らしに入ると思うと、
楽しかった






          


(次回へ)

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