「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

「22」 ⑤

2024年12月11日 08時56分33秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・そうやって、
いつとはなく、
私は棟世に心を解き、
近しい者に思われ出したころ、
則光は遠くへ去った

そしてあるとき、
ふと気がついてみれば、
私の臥床には、
五十の棟世がまるで昔から、
そうしていたみたいに、
ゆったり横たわるようになった

棟世は父のようであるが、
やはり父とはちがう

肉づきのいい、
どっしりした体格で、
目鼻立ちの大まかなつくりに、
品があり、
のびやかな声には、
かげりがなかった

私は棟世に対して、
頼る心になっている

こんなことは、
ずうっと昔、
少女のころ、
老いた父によりすがっていた、
気持ち以来のことである

私ははじめて、
男に頼る、安心立命の境地を、
少し味わった気がしている

棟世ののびやかな太い声、
温和で力強い話ぶりは、
私の心を放恣に解き放つ

いつも身構え、
勇みたち、
活力を湧き溜めて、
いなければならない宮仕え生活で、
知らぬ間に疲れを澱ませた心が、
みずみずしくうるおう

「果物が熟れて、
自然に枝から落ちるように、
私たちはこうなった・・・」

といってくれる、
棟世の声が、
私には快かった

ひそかに届けられる、
彼の手紙にも、
いまははっきり、
恋という字がしるされるように、
なった

この間、
鞍馬山へ詣ったといっていたが、
棟世は早速に、

<恋しさに
まだ夜をこめて、
出でぬれば
尋ねてきぬる
鞍馬山かな>

という歌をよこした

棟世からの文やら、
彼の訪れは、
久方ぶりに、
私に恋のときめきを、
経験させることになった

その恋のたのしさは、
則光との、
狎れ切った関係ではなく、
かといってほかの男と、
新しく恋をはじめるときの、
不安や焦燥や嫉妬はない

棟世は私を甘やかせ、
私を讃え、
いい気分のにさせてくれる

私には、
うるさくつきまとう経房の君も、
こちらからあこがれ、
向こうからも好意を示される、
斉信の君もいられた

もしかして、
その機会を作ったら、
その人たちとも、
恋人同士になったかもしれない

「それはないだろう」

棟世はいう

「あなたはそんな人じゃない」

なぜそう棟世が、
断定的にいうのか、
私は少し癪だったから、

「なぜ?
いまの頭の弁・行成の君だって、
仲よしだし、
どういうことで、
どうなるともわからない・・・」

「あなたはそういう、
上つ方の男たちと、
恋人関係になるひとじゃない
上流階級の男と恋中になったら、
自尊心を傷つけられる度合いも、
大きい、
そういうことを、
知っているでしょう?」

「・・・」

「彼らは利己的で、
気まぐれだから、
あなたは自負心が強いから、
自分と同じ階級か、
それより下の階級の男を、
恋人にするほうが、
好もしいはず
上流社会の男とは、
才智で太刀打ちしていい負かす、
優位に立つ、
というのが好きなんじゃないか」

「そうかもしれない・・・」

「しかし男と女の関係になると、
身分の思惑が入ってくるから、
私のように同じ中流階級か、
下層の男を選ばなければ、
ならない
ま、どっちにしても、
私はあなたにとって、
ふさわしい男のはずです」

「ずいぶんうぬぼれているのね」

「うぬぼれではない
短い生涯に、
少しでも楽しい思いをした方が勝ち、
一緒にいて楽しければいい」

それはほんとうだった

私は棟世といるのが、
楽しかった

棟世とこうなったことを、
かくすこともないが、
いい広めることもなかった

私はいつも、
式部のおもとと同室だが、
彼女が里下りのときに、
棟世と逢っていた

だから朋輩は誰も知らない

ただ棟世が私に求愛している、
という噂は立っているが、
何しろ私は、
経房の君や、
伊周の大臣といった、
貴顕の若く美しい公達と、
平気で冗談をいったり、
親しくつきあったりしているので、
年も五十のもっさりした、
受領あがりの男などは、
私が相手にしないだろうと、
世間は思っているらしかった

私は秘めた情事に満足だった

私は棟世に、
(上つ方の男を恋人にしない女)
といわれ、

なるほど、そうかもしれない、
とはじめて発見したわけである

私のまわりにも、
上流階級の公達を、
恋人にしてのぼせている、
女たちが多いが、
男たちはほとんどみな、
たやすく心がわりして、
女を苦しめることが多い

恋や情事にまで、
身分の差が入ってくるのは、
不公平というものでは、
ないだろうか

棟世といると、
そういう発見がいくつもあって、
それも面白かった

「七十、八十になるまで、
こうやって楽しもう」

棟世はいう

ほんとうに、
七十、八十になっても、
棟世とならばこういう楽しみが、
持てるかもしれない

「長生きできるといいわね」

「できるよ
もがさもおこり病も、
私らをそこなうことは、
できない
しぶとくうねうねと、
生き長らえられるように、
生まれついているよ、
私らは」

うねうねというのが、
おかしくて私は笑ったが、
どうか中宮もそうあってほしい、
という願いはいつもあった

私は自分の老いざまを、
今まで考えたことはなかった

三条の自邸で、
老女房の左近相手に、
老い朽ちてもいい、
と思ったこともある

しかし、
棟世にそういわれると、
二人で気楽に老いを、
楽しんでいる姿も、
目に浮かぶ気がした

要するに私は、
棟世のおかげで、
かなり世界がひろがり、
面白くなってきたのである

棟世はなぜか、
何に対しても、
ある距離を持って話せる男だった

「どうせいつかはみな、
死ぬのだから」

とこともなげに、
言い捨てる

「仏さまの前では一切平等
君主も乞食もないのだから」

とうそぶき、
それなら仏信心も篤いのか、
というと、
ことさらそうも見えない

出世に関心がないのか、
と思うと、
相応に権門に出入りして、
おぼえもめでたく、
つきあう先は多いようだった

内福で、
見た目より豊かで、
召し使う男たちも、
彼のもとでは働きやすそうである






          


(次回へ)

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「22」 ④

2024年12月10日 09時11分19秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・則光は、

「お前なら乞食をしてでも、
都がいいというだろう」

と書いていたが、
そういえばこの間うちから、
愉快な乞食がいて、
私たちにおかしい話題を、
提供してくれた

定子中宮のおわす、
職の御曹司では、
このところ西の廂の間で、
不断の御読経が行われている

中宮の母君の三周忌に近く、
それに祖父君のためともあって、
僧が詰めており、
あまたのお供え物や灯明があるのは、
いうまでもない

不断経がはじまって、
二日ぐらいしたころ、
縁先で何かもめているようだった

「そのお供え物を、
私めに下しおかれませ」

と頼んでいるのへ、

「とんでもない
まだご法事はすんでいないのだ
お下がりは早いぞ」

と僧たちが叱っている

あつかましい、
誰だろうと私が端へ出てみると、
年とった尼だったが、
それも乞食尼というべきか、
汚らしく煤けた衣をまとい、
まるで猿のよう、
しかも垢ぶとりに肥満している

「何をいってるの、あれ」

と私が女房たちに聞いたのが、
尼の耳に入ったのか、
尼は身をそらせ、
声も気取って、

「私めも仏の御弟子で、
ございますもの、
お供えのお下がりを頂こうと、
存じますのに、
このお坊さまたちが、
お惜しみあそばして」

と気取った上流言葉も、
面にくいのであった

おまけに、
袖かきあわせ、
どこかつやっぽい身ごなし、
いかにもわざとらしく、
気取っていておかしい

汚ない身なりを物ともせず、
花やいでいる

こんな乞食尼は、
いっそ、しおらしく、
しょんぼりしていれば、
同情を引くのに、
あまりにも調子がよすぎる、
と私は思い、

「へえ
仏さまのお下がりしか食べないの?
ほかのものは食べない、
というの
ずいぶん尊いお気持ちだこと」

とひやかすと、
尼は大げさに手をふり、

「どうしてほかのものを、
頂かないことが、
ございましょう
それがございませんから、
こうして仏さまのお下がりを、
お願いしているので、
ございます」

私は笑いながら、
果物や餅やら昆布を、
器に入れてやった

尼は喜んで、
なれなれしく世間話などして、
あつかましいったらない

仏の御弟子というものの、
それは姿形だけで、
口先一つで食いつなぐ、
渡り芸人にちがいない

小兵衛の君や小弁の君、
といった若い人まで出てきて、
面白がって、

「お前、子供はいるの?」

「夫は?」

などと聞いたりする

「子供はおりませんですよ、
はい、夫はございます
はい、
みなさまと同じでございます」

尼は口軽にべらべらしゃべり、
小弁の君はまだ相手になって、

「歌は歌うの?」

「踊りも見せるの?」

尼は野放図もない声を張り上げ、

「夜は誰と寝よかいな・・・」

小弁の君たちは、
赤くなって、

「もう止しなさい、
いいから・・・」

というが尼はいっそう、
声を張り上げ歌い出す

「男山のもみじ葉、
浮名に立ってどうしようぞいの
なんとお前も立つぞいの」

「いやだ、
もうお帰りったら」

小兵衛の君は、
尼の歌を必死に止めて、
追い返そうとする

「誰か、
この者を追い払って・・・」

「かわいそうじゃないの、
何かやって帰せば」

と私がいっていると、
中宮がお聞きになったらしく、
奥から仰せがある

「聞かれないような歌を、
なぜ歌わせるの、
私はとても聞いていられなくて、
耳をふさいでいたわ
そこの巻絹を一つやって、
早く帰しなさい」

そこで私が、
仏供の巻絹をおろして、

「これは下されものよ
この白いのを着なさい
衣が汚れているから」

と投げ与えると、
尼は作法通り、
うやうやしく肩にうちかけ、
拝舞する

それがかえって、
人を喰っていて、
みな、笑いながら、

「なまいきだわ」

というが・・・

私はふと、
尼の姿に則光の言葉を、
重ねてしまう

則光からみれば、
都で生きている私もまた、
この乞食尼の生態と、
変らぬものに見えて、
いるのであろうか

なぜこう、
則光の言葉に、
私は拘泥するのであろうか

則光が私の知らぬ世界で、
のびやかに人生を楽しんでいる、
ということが私に、

(しゃらくさい、
生意気な)

という嫉妬めいた気持ちを、
起こさせるのかも、
しれなかった

私は本音をいうと、
誰からもほめられ、
注目されたいという気があり、
私のことよりほかに、
関心を持つ人間が、
許せないのかもしれない

このごろ、もう一つ、
私は発見したことがある

いやそれは、
自分で発見したというより、
発見させられたというべき、
かもしれない

それもほかならぬ、
棟世によって

藤原棟世にはじめて会ったのは、
彼が四十五、六のころであった

いまはもう五十を越えている

私の父・元輔と親交があった、
というこの中年男は、
私のことを、
よそながらゆかしく思いつづけて、
いたというが、
私の好きだった亡き父のことを、
共通の話題にして、
何とはない話相手として、
つきあいはじめた

季節の折々に、
贈り物をしてくれて、
それも富裕な官吏というより、
世故長けて物のあわれを知る、
教養人の顔をほの見せる、
やり方だった

そうして数年を経、
たがいの気心もわかり、
かなりうちとけるようになった

私も棟世の手紙や、
昼間の訪問を心まちに、
するようになった

棟世は楽しく世間話をし、
私に会えたのを、
心から喜ぶ風だった

私ははじめのころ、
中宮側近の私から、
何か政治的情報を引き出すため、
とか、
中宮を通じて利権や利得を、
手に入れようとするのだろうか、
などと警戒したものであるが、
棟世にはそういう臭みはなかった






          


(次回へ)

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「22」 ③

2024年12月09日 08時57分09秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・「病は」

「脚気」

これも身分高き人の、
悩むにふさわしい病である

また、もっと上品なのに、

「歯痛」

これこそ趣があってよい

歯痛を病む人は、
若くて美しい人がよい

「十八、九ぐらいの、
若い美しい女だった

髪の美しい長いのが、
裾にひろがり流れている

歯を病んで、
女は涙に額髪をぬらしている

髪がそのおもてに、
乱れかかるが、
女はそれどころではなく、
顔を赤らめ、
涙ぐみつつ、
痛む歯を手で押さえている」

なんて実に風趣がある

こう書いてくると、
私の筆は抑えようもなく、
弾んで動いてしまう

ほとばしる興趣のままに、
情景描写を楽しむ

「八月のころだった
白い単衣の柔かなのに、
袴、その上に紫苑重ねのうちぎの、
品のいいのをひきかけて、
女は胸を病んでいた

女の友達などが見舞いにくる
邸には若い公達の見舞客も数人、
部屋へ入れず、
庭や簀子の縁にいて、
見舞っている

その公達の中に、
病む女の愛人がひそかに、
まぎれこんでいて、

『いけませんなあ・・・
ふだんでも、
こんなことがよく、
起こられるのですか』

とさりげなく言いながら、
心からかわいそうに思い、
心配しているさまが仄見える、
それもいい

女は美しい髪を、
乱れぬよう引き結んで、
にわかに起き上がったりし、

『吐き気がするの・・・』

と訴えるのも可憐なさまだった

この女がお仕えする、
やんごとないあたりでも、
病のことをきこし召して、
御読経の僧の声のいいのを、
おつかわしになる

僧は病床近くに、
几帳を引き寄せて坐っている

広くもない場所なので、
ひっきりなしに見舞いの女たちが、
来るのがまる見えになっている

高貴な女房たちばかりなので、
とりどりに美しく、
あでやかである

僧は思わず目を奪われ、
よそ見しつつ読経する

仏の罰をこうむりそうな、
ありさまである」

そういう女の情緒にくらべ、
私の男の好みは、
ほどよきほどにうちとけ、
かたくるしくなく、
すっきりした男である

身分高き、
若き公達である

「色好みと、
色好みでない男、
と二つの型で考えると、
男は、色好みなほうがいい

あちこちに通う女を、
数多く持っている、
という男

ゆうべはどこの女のもとに、
泊まっていたのやら、
暁に帰ってそのまま、
寝もやらで起きている

眠たげなさまであるものの、
硯を取り寄せ、
墨をすりおろして、
念入りに後朝の文を書く

念入りにといっても、
それをもらった方は、
走り書きにさりげなく、
筆を取った、
という風に見えるよう、
心を尽くして書く

男は白い衣の上に、
山吹や紅の衣を重ねている

白い単衣の袖が、
萎れているのは、
昨夜の涙のせいだろうか、
夜の口説を思い出しつつ、
文を書くらしい

やがて書き終わると、
控えている女房に渡さず、
わざわざ立って、
小舎人童や随身などを呼び寄せ、
小声であて先を言い含めて、
手紙を手渡す

使いが出てゆくと、
男はそのあとを、
しばらくぼんやり眺めている

経などを忍びやかに口ずさみ、
呆然としているところへ、
建物の奥から、
朝食や手水の支度ができました、
と促す

男は奥の間へ入るが、
女の返事が来るまでは、
心もそらの様子である

さて、顔を洗い、
口をゆすいで、
直衣を着、
朝の勤行として、
法華経の六の巻を読みあげるが、
かんじんの有難い個所まで、
来たところで、
もう女への使いが戻って来た

してみると、
恋人の家は遠くない所らしい

使いは男にしきりに、
目くばせしている
女の返事を携えて来たのか

男は読経をやめ、
女の返事に心奪われてしまい、
読経どころではなくなる

何という罰当りなこと、
これも仏さまの罰を、
こうむるに違いない・・・」

私は歯痛に悩む女や、
朝帰りの男の風情を、
実際、
よく知っているのではないが、
何となく目の前に見る気がして、
いくらでも書けるのであった

また、
朝帰りの男にくらべ、
夜、男を迎える女の、
たたずまいと心理

「南向きの廂の板の間
顔がうつるほどつやつやと、
拭き込んだ板の間に、
ま新しい畳をおいてある

向こうに三尺の几帳の、
帷子も涼し気なのを置き、
女主人は畳に臥している

白い生絹の単衣に、
紅の袴、

ひきかぶっている夜具は、
濃い紅の衣で、
まだ着萎えていない、
しゃっきりしたもの

釣灯籠には灯が入っている

そこから柱を二間ほどおいた所に、
簾をあげて女房二人ばかり、
それに女童がいる

長押に寄りかかったり、
また下ろした簾に寄りそうように、
臥している

男が来たのは、
宵もすぎたころだった

忍びやかに門を叩く

事情を知る女房が、
心得顔にそっと男を迎える

それも気をつかって、
男を人目から隠すように、
ひそかに招き入れる

その情趣がまたいい

男と女あるじは、
何をひめやかに話すのか、
二人の間には音色のいい、
琵琶がある

男は話の合間に、
音を立てぬようにして、
手なぐさみに、
爪弾きしたりして、
話の伴奏をする

それが仄かに聞こえるのも、
大人の恋の道らしく、
情感があっていい」

実際、
私は則光を迎えたことも、
棟世を迎えたこともあった

けれども、
ここに書いた、
濃い紅の衣をかずいて、
眠る女は私であって私でない

再構築した現実の中の女だった

私はその情景の中の女に、
我ながら恋している

恋は私にあっては、
恋するための恋、
というところがある

こういう瞬景が、
中宮のお気に召すものやら、
どうやら

しかしあるいは中宮か、
そのほかの読者かが、
私好みの情景に共感して、
そこから物語の糸を、
紡いでくれるかもしれない

おお、そうだ・・・
かの学者詩人、
藤原為時の娘、
名は何というのか知らぬが、
宣考と結婚した、
あの物語好きの、
「うつせみ」の作者、
あの女の物語作りは、
若い公達を主人公に据えていたが
あるいは、
それにからませて、
また何かの物語を思いつくことが、
あるかもしれぬ

ともあれ、
こういう楽しみをみつけた以上、
私は則光の手紙で、
ひきおこされた不快と混乱を、
忘れることができる






          


(次回へ)

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「22」 ②

2024年12月08日 08時46分32秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・経房の君は、
私の短編「有明」を、
盗み見して筆写させられ、

「あの男や女、
どうなるんです」

「どうもなりはしませんわ
わたくしは物語をつくる気は、
なかったんですもの」

「ははあ、
あれだけですか」

「はい、あれだけ」

「それも面白いな」

経房の君は、
はたと手を打たれて、

「そりゃあいい、
人生の一瞬の情景、
あっという間に忘れる、
この世のさまざまな角度に、
光を当てすばやく捉えた情趣、
そんなものを、
あなたは書ける人だ」

「そんな大層なものじゃ、
ありませんの、
ちょっとした思いつき」

「それが宝物のように、
光り輝くのですよ、
さまざまな宝物を、
いくつも見せて下さい」

「物語には、
仕立てられませんけれど」

「いや、
それは物語の素ですよ
読んだ人がそこから、
自分なりの物語を紡ぐんです」

経房の君は、
それからそれへと、
いい続けられて、
私は結局ああした「瞬景」を、
書くことを約束させられてしまう

この経房の君は、
私のために、
加持祈祷の僧を寄こしてくれた

棟世の親身な見舞いといい、
男たちのこういう援助は、
嬉しかった

そうだ、
これも草子の「たのもしきもの」
の中に書き入れよう

たのもしきもの、といえば、
かの則光は、
私がすっかり平癒したころ、
そしてそれからさらに、
ひと月もたったころ、
やっと手紙だけ寄こした

手紙だけ、というのは、
せっかく田舎から寄こす便りに、
田舎の産物や名産品の、
何も付属していない、
というのがしゃくなのである

どうして、
こう気が利かないのかしら?

田舎から都へよこす便りに、
何もおみやげがないなんて、
あまりにも愛想がなさすぎる

都から田舎へやる手紙は、
土産がないのは当り前、
だって都のものは、
何でも高値なんだから

それに都からの便りには、
都の情報をたくさん、
盛っているはず
田舎に暮らす者にとって、
それこそ万金の土産よりも、
望ましいものであるはず

しかし田舎からの便りに、
食べものであれ、
衣料、動物であれ、
何かが添えられていないのは、
あまりにも興ざめというもの

また礼儀知らずというもの

則光は社交のいろはも、
知らない男だから、
その辺の配慮もないみたい

彼に手紙をやったことなど、
私はないけれど

則光の使者はほんとに、
手紙だけ抛り込んで、

「お返事あるなら、
すぐ頂きます」

などという

主人も主人なら、
従者も情緒のはしくれもない

手紙には、

「どうしている
都はもがさが流行って、
いるそうだが大丈夫か
お前は、はしっこそうで、
間抜けたところがあるから、
用心しなくちゃいけない
薬もちゃんと飲んでいるか
お前は頓智があるとか、
そこばくのものが書けるとか、
いう点では人よりすぐれていて、
それを自慢にしているだろう、
けれどある点では無神経で、
大ざっぱでどこかタカをくくる、
ところがある
妄言多謝、
とにかく気をつけて元気でいてくれ
こちらは忙しいばかり
だが海のように広い湖もあり、
美しい自然がある
俺は馬を駈って狩りや釣りをする、
ことも出来る
都より美味いものも食える
太って日に焼けたよ
田舎はいい
お前は乞食をしたって、
都がいいというだろう
俺は日一日、
田舎がよくなってくる
田舎の人間は相応にうそもつき、
ずるくもあるが、
都の人間より反応が正直で、
つきあいやすい
ではまたな
達者でいてくれ」

なんでこれに加えて、
麻布の一反二反でも、
よこさないのか、
気の利かぬ男である

それに則光が、
私のいないところで安住して、
田舎はいい、などと、
ほざいているのも面白くない

私は則光の手紙を、
破り捨てた

昔、
則光がいることが、
私にとっての安心感の、
根拠だったのに、
その則光はいまは私を、
不安がらせ、
不興がらせ、
混乱させている

そうして私は、
私を受け入れてくれる都のことを、
強いて考えようとした

定子中宮や、
経房の君やら・・・

行成の君、斉信卿、
そういう人の中で、
私の存在が認められ、
讃美されるとすれば、
才しかなかった

私は則光の手紙にある
どこか都びとを、
憫笑する口ぶりに腹を立てた

そういう手合いに、
打ち勝つには、
「春はあけぼの草子」の完成、
ということもあった

物語を仕立てるには、
筋やら性格やらと、
面倒であるが、
瞬景描写なら私はいくらでも、
書ける

いや筋がないだけに、
瞬景の中の人物は、
かえっていきいきと動く

「病は」

私は書く

赤もがさなどというものは、
実にもう、美的ではなかった

赤いブツブツが全身に、
発生して熱が出て・・・

それに比べると、
美しくて情緒のあるものは、
病の中では、
「胸痛」である

胸から下の病は、
症状も上品ではない

男もそうだが、
女が袖を胸の前でかき合わせ、
苦しんでいるのなど、
優美でよい

「もののけ」

これも霊がとりつく恐怖より、
ひたすらしくしく泣いて、
ふさいでいる、
その情緒が美しい女に、
ふさわしい






          


(次回へ)

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「22」 ①

2024年12月07日 10時22分58秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・去年の夏も暑かったが、
今年、長徳四年(998)の夏も、
去年に劣らぬ暑さだった

それに去年より、
まだ悪いのは、
またもやはやり病がはびこり、
死人が京中におびただしく出たこと

今年のはやり病は、
いつものもがさ(天然痘)ではなく、
赤もがさ(麻疹、はしか)
というものだった

小さな赤いぶつぶつができて、
京中、
病まぬ人はないくらいだった

とうとう、
主上や中宮、女院まで罹病された

それぞれの寺では、
祈願の声が絶えるときがない

私の邸でも、
小雪がもらってきて、
やがて私もかかってしまった

その次、その次、に、
もらい病で邸中たおれてしまった

ところが不思議に、
かからないのが、
古女房の左近で、

「この病は、
いっぺんかかると、
二度とかからないので、
ございますよ
三十年ほど前に私は、
これをやったことがございました」

などという

左近は一人で、
忙しい目をしていたが、
中宮のお側の人々も、
たくさん里下りをして、
数少ない女房たちで、
てんてこまいだそうだ

中宮は十日ばかり、
臥せられたと聞くが、
入れ替わるように、
高二位の祖父君がこうじられた

伊周の君や隆家の君と共に、
中宮が父君代わりに、
心たのみしていられた、
母方の祖父君である

(男皇子をお生みあそばせ)

と中宮に熱っぽくすすめていられた、
二位どのであったが、
脩子内親王のご誕生を見られただけで、
それでも伊周の君や隆家の君が、
都へ帰られたのは、
お嬉しかったに違いない

これから・・・
という時だったから、
二位どのは心残りの、
最期だったろう

高二位の君を、
「食らえぬ爺さんだ」
とののしっていた則光は、
遠江の任地で、
この情報をどう聞くであろう

しかし則光からは、
うんともすんとも便りがない

冷たいというよりも、
そういう気働きが全くないのだ

それを思うと、
私は怒り狂う

そんな奴は捨てて当然で、
さっぱり別れてしまって、
よかったと思うし、
一面、
これで切れてすっきりした、
と思う

棟世はそれにくらべ、
薬を携えて来てくれたり、
食べものや布を運んでくれる

経房の君は、
早くにかかって軽く、
すましていられ、
見舞いに来て下さったが、

「主上もやっとご本復に、
なりましたが、
内裏はいま大さわぎですよ」

「そんなにたくさん、
赤もがさでやられなすったの」

「ええ、それもありますが、
大宰府からの知らせによりますと、
南蛮の異賊たちが、
南の島々をかすめているそうでして、
壱岐対馬から襲われたそうです
大宰府の使いが来ると、
ろくなことがありません」

しかし私にとっては、
壱岐対馬は遠い国だった

南蛮の賊よりも、
権中納言、平惟仲の邸に、
押し入った強盗たちのほうが、
怖かった

棟世の話によると、
はやり病で一家が、
臥しているのをいいことに、
大っぴらな強盗団が夜ごと、
京中を荒し廻っているという

棟世は女所帯の私の家を、
気遣って屈強の男たちを、
夜だけ寄こしてくれる

彼らは、
棟世の邸でしているように、
大桶に水を満々とたたえ、
(放火に対する用意)
弓矢を離さず、
端近の縁に寝て守ってくれる

私も左近たちも、
どれだけ心丈夫かしれない

夏の夜はどうかすると、
浮浪者たちが築地を乗り越えて、
庭の隅や縁の下に入り込んで、
眠ったり、すきがあると、
家の中をのぞいてかすめたりする

今にはじまったことではないが、
京は物騒な町で、
その中でもことに、
夏は危険な季節である

はやり病で、
絶望的になっている民集たちは、
常識で考えられない暴れ方をする

私が御所に上がっている、
女房だということなんか、
気にもとめず、
何をするかしれはしない

そういう警戒心と恐怖があって、
つねに心の底でびくびくしている、
私にとって壱岐対馬の南蛮の賊は、
遠いことで、それよりもまず、
京の治安のほうが怖かった

それよりも、
もっと気になっているのは、
このあいだ「有明」
と名づけられた私の短い物語が、
どうして伊周の君のお手に、
入ったかということである

「あれはあなた、
経房の君でしょう、
お持ち出しになったのは
『春はあけぼの草子』から、
抜き出されたのじゃありません?」

経房の君は、
御簾の向こうで、

「あははは・・・」

と大笑いされる

「申し訳ない、
あまりに美しい短編だったので」

「どうやって、
お抜きになったの、
原稿はちゃんとありますのに」

「そっと抜いて、
筆写させ、
またそっと戻しておきました
これ、この通り、
お詫びいます
おそばへ寄ってお詫びしないと、
念が届きません
近寄っていいですか?」

「いけません
もがさがうつりますわよ」

「しかしこちらからは、
お姿が見えません」

「わたくしからは、
よく見えておりますから
ひどいじゃありませんか、
未完成のものを、
わたくしに断りもなく」

「だからお詫びしているじゃ、
ありませんか
実はそっと拝見して、
そっと戻すつもりだった
しかしあんまり楽しいので、
私一人で見るのは勿体なくなり、
伊周の君にお見せしたい欲が、
抑えきれませんでね」

「そんな」

といったが、
私の口調には、
怒りがなくなって、
好奇心と期待が生まれている

「で、大臣(伊周の君)は、
どうおっしゃって?」

「こりゃあいい、って
今までこういう清新な、
描写の物語を見たことがない、
この男や女、
どうなるんだろうって、
大いに興がっていられました
『宇津保』や『竹取』の、
古めかしいお伽話でもなし、
『落窪』のように下品な、
大衆小説でもなし、
『蜻蛉』のように、
息つまる手記でもなし、
こんな出だしははじめてだって」

「出だしとおっしゃっても、
物語はあれきりですわ」






          


(次回へ)

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