guitarbuddha's diary

guitarbuddha(ギターブッダ)の日記です。ギターや音楽のことを中心に日々思うことを書きます。

↓↓↓ twitter・Instagram・YouTube Channel はこちら ↓↓↓

twitter ⇒ @guitarbuddhaD25 / Instagram ⇒ guitarbuddha1225 / YouTube Channel ⇒ guitar buddha

何のために死んだのか

2007-07-01 04:38:08 | 新聞ネタ
先週一週間、朝日新聞の夕刊の
“人生の贈りもの” という欄に、
作家の 小田 実 (おだ まこと) さん への
インタビュー記事が載っていました。

一部を抜粋して紹介したいと思います。
小田 さん はこんなことをおっしゃっています。


―― 憲法改正が当たり前に議論され始めた日本はどう見えますか

非常に恐ろしいと思うね。平和憲法は単に理想を説いたものではないんだよ。第2次世界大戦で日本は大義名分を掲げて中国を焼き、殺し、その結果、正義を掲げるアメリカに焼かれ、殺された。私は、今でも大空襲のあとの強烈な臭(にお)いを思い出しますね。放置され、腐った死体の臭い。戦争は殺し合いだよ。正義の戦争なんてないんだよ。その痛切な反省に基づいて日本は平和憲法を持った。その大事さ加減が、今の人にはわかってない。
・・・・・
結局、正義の戦争なんてないんだよ。日本の都市焼く尽くしを指令した米軍の指揮官は 「戦争はすべて不道徳だ。道徳を考えれば戦争に勝てない」 と言った。「正義」 は 「不正義」 にどんなことをしても勝たなければいけない。不正義は毒ガスを使ったり、むちゃくちゃする。そしたら正義も原爆を落としたり、むちゃくちゃする。結局、市民が意味もなく死ぬ。だれも生き残らない。
・・・・・
戦争という装置の中ではふつうの市民が被害者になり、加害者になる。残虐行為も犯す。被害者と加害者が一体になるのが戦争のサイクルなんですよ。
・・・・・



―― ふつうの人間にできることは大きい

最近 『中流の復興』 という本を出した。帯に 「日本の 『中流』 が世界を変える」 と。そのとおりですよ。日本は戦後、電器釜やインスタントラーメンを作って豊かになった。軍需産業に依存しなくてもできると証明したのは人間史上初だよ。社会保障も充実させ富をきちんと分配して、そんなに貧しい人も、そんなに大金持ちもいない安定した社会をみんなでつくったでしょう。この中流のくらしをちゃんと守ることが大事ですよ。
・・・・・


―― 憲法が改正されても、今の日本が軍事大国になるとは考えにくい

戦争を知らない人は、戦争に向かっていくときは街に軍歌が鳴り響き、みんなが日本の勝利をひたすら祈っているような異常な状況になると思っているらしい。でも私の経験では、ありふれた日常の中で進行し、戦争へと突入していった。
ヒトラーだって、議会制民主主義のルールの中で平和的に政権交代したんですよ。私が今一番憂えているのはね、民主主義の理想を説いたワイマール憲法をつぶしてナチ独裁政権ができたときと同じことが、日本で起きるんじゃないかということです。ヒトラーは憲法改正すらしなかった。ただ 「国民と国家の困窮を救う」 ために憲法を一時的に 「棚上げ」 すると議会で決め、再軍備に乗り出した。攻撃用の兵器をつくる意図はない、もっぱら防衛用の兵器に限定し、平和の維持に資するつもりだと言ってね。反ナチの人まで 「立派だ」 といって褒めたんだよ。でも事態はどう変わったか。
・・・・・


―― 憲法9条の平和主義は非現実的という人もいます

自衛隊は解消し、世界を非暴力の世界に変える努力をしなければならないと私がいうと、理想論だ、現実的に考えよう、自衛隊は憲法でちゃんと認めて歯止めをかければよい、自衛のためには軍隊がいるという人が増えている。でも、本当にそれが現実的なのか。
戦争でいちばんつらかったのは飢えと空襲だった。食糧切符をもらっても現物がない。あと半年戦争が続いたら栄養失調で死んでたよ。今でも日本の食糧自給率は40%。それから空襲。日本は全然抵抗する力がなかった。石油がないから。飛行機も飛ばんよ。日本は 「普通の国」 じゃないんだよ。そんな国が自衛のためだろうが何だろうが、戦争なんかできますか。
いまの若い人は、この冷徹たる事実を知らんわけや。日本が戦争できるような顔してしゃべってる。理想でもなんでもない、現実ですよ。そこから出発しないと。



(98年に出版した 『玉砕』 について)
―― 水も武器もない極限状況の中、祖国防衛の防波堤になろうと、圧倒的戦力を持つアメリカに持久戦を挑む日本兵が描かれます

この小説を英訳したドナルド・キーン氏は、これを読むまで 「玉砕した日本人は何かに酔っていたと思っていた」 と言った。今でも多くのアメリカ人が、特攻や玉砕攻撃を行った日本人は狂っていたと思っている。本当にそうなのか。
私は玉砕した島へつぶさに行き、長い間考え続けた。そして、もし自分がそこにいたらと思って 『玉砕』 を書いた。
彼らはふつうの人間ですよ。酔ってもいない、狂ってもいない。いろんな過去を背負いながら極限状況に追い込まれて、自分なりに玉砕の意味を考えて苦しみ、戦い、死んだと思う。「狂った人間」 と切り捨ててはいけない。誰にとっても、あなたにとっても、現在でも未来でも起こり得ることだ。


―― 映画 「硫黄島からの手紙」 を連想しました

私が描きたかったのは 「ことの是非はともかく日本兵は立派に戦って死んだ」 ということではないよ。彼らは無意味に戦わされ虫けらのように死んだ。玉砕をただ美化して根源にある悲惨を見過ごしては、本当の意味で彼らは浮かばれませんよ。



戦後、日本人はみんなが必死で頑張って
誰もが中流の安定した生活を得ました。

ところが、そうして一度豊かさを覚えると、
自分だけはもっと豊かになりたい!
自分だけはそれを絶対に手放したくない!

って思うような人が増えてきたんだろうね。
元々自分だけの力で豊かになれたわけでもないのに…。

そういう人たちはさも調子の良いことを言って
上手い具合に自分の側に利益を誘導。

で、すっかり世の中おかしくなってきた。

身の回りに可哀想で困っている人がいたって
自己責任だなどと言って見て見ぬふり。
つーか、そもそも見向きもしないか…。(笑)
もちろん本気で何とかしてあげようなんて
つゆも考えません。
自分がどうすべきか、自分に何ができるかだって考えません。
結局は自分さえ良ければOKって感じでしょ?


今月末には選挙があります。
内閣の支持率は落ちてるかもしれないけれど、
それでもどうせまた結局は
多くの人が●●党に投票するんだろうなぁ…。


・・・・・


もうウンザリだよ。




では、今日はここまで。



僕のホームページもよろしく!
こちらです。 guitarbuddha's homepage