礼拝の中で、賛美をするとき私はなぜか心が風にさらわれる気がする。
声は出しているのだけど自分自身がどこかに連れて行かれるような感覚。
天井の一つのダウンライトを見つめると、
そこが眩く光って、天からの光が降りてくるような気持ちになる。
今日はその思いがとても強かった。
今日のH師のメッセージはヨブ記で、
このヨブという人は信仰厚い人なのに、子供が死んだり、自分が病気になったり、
散々な目に合う人なのだけど、神さまを恨んだりしない。
とことん神さまを信じている人なのだ。
普通はだんだんと恨みがましくなると思うけど、そんなことはない。
私はうつ病にさらに糖尿病が加わって、
食費や医療費にお金がかかることが残念で、悔しくて、
「なぜですか?神さま?」
と、何度も祈りの中で問わずにはいられなかった。
でも、神さまの愛は本当にとことん大きい。
そのことは旧約、新約を通してずっと突き詰めて書かれていることだから、
私たちを苦しめるだけ苦しめる方ではないのだと信じている。
病気が治らないのは、今が神さまのその時ではないのだろう。
今日のメッセージを聞いていてつくづくそう思った。
今日のチャペルの講壇のお花は秋の雰囲気でメロウな感じ。
婦人会のどなたかの素晴らしいセンスだと思った。
思わず写真をパチリ!
☆今日のチャペルのお花☆
帰りにM姉の結婚式の参加表に名前を書き、
その日が来るとM姉はこの教会を離れるんだなとちょっと寂しかった。
嬉しいのか、寂しいのか、複雑な思い。
それはM姉が一番感じていることかもしれない。
くぅ