私がFacebookでフォローしている方に、奥様の認知症を介護している方がいる。
ご夫婦とも老齢でご主人は元牧師先生。
通っておられる教会は私の教会とまんざら縁のない教会でもなく、
本当に親近感を覚えている。
でも最近ご主人一人ではどうしようもなく奥様を施設に入れることにされた。
仲のよいご夫婦なのでご主人の決意はいかばかりだったろうか。
住み慣れたS市の自宅の庭には手入れをした花や木々が植わっていて、
そこを離れて同じ自治体ではあるけれど遠く引っ越しをされる。
どんなにかこの家を愛しておられたかと思うと、
花が一つ咲く度に、この引っ越しを無念がっておられるに違いないと思う。
ご自身が説教をしていた深い思い入れのある教会を離れ、
また全く違う教会へ移られることも、
ご本人のお気持ちの中では後ろ髪を引かれる思いではなかろうか。
Facebookの記事を読む毎に、その献身的な介護はとても真似できないと思う。
けれどもご主人一人ではもう無理なところまできているのはよく分かる。
離れ離れに暮らすことを断腸の思いで決意されたのだけど、
神さまはこのお二人に恵みを与えられた。
奥様が入られる施設のお近くの公営住宅が当たったとかで、
いつでも会いにいける距離だそうだ。
これはご主人にとっては本当にホッとする出来事だったのではないかと思う。
引っ越しの準備をしても心は浮き立たないだろうし、
お一人でじっと耐えておられる様子は、本当に心をうたれる。
「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからです。」
(ローマ5:3~5)
この聖句を思い出した。
本当にこの聖句が当てはまるご主人なのだ。
夫婦愛というものを毎日Facebookで教えられている気がする。
くぅ