現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です
紅茶に浸したマドレーヌの味が遠い記憶を呼び起こす プルースの『失われた時を求めて』の冒頭ですが、
この書き出しに因んで、嗅覚や味覚などにより、過去の記憶が呼び覚まされる心理的現象のことを
プルースト現象と呼ぶそうです。
マドレーヌと紅茶の味や香りでぐんぐん過去に心が連れ戻されるようなドラマティックな経験はないにしても、
香りや味の中に懐かしさを発見することはありますよね。
そしてその場合の懐かしさは『好ましい懐かしさ』の方が多い気がします。わたしの場合はね
わたしにはひとつ忘れられない香りがあります。
もとい、その香りを忘れられないというより、その香りがすごくいい香りだったことを忘れられないというべきかな・・・。
だってもはやその香りは存在しないし、今嗅いだとしても「あ、これこれ、この香りよ」
と断定する自信はないからです。
これも断定はできないのですが、82年ぐらいからの数年間カネボウにPSSST!(『シー』と読みます)
という若年層向けのラインがありました。
同時期の資生堂が価格や同じ位の年齢層を的にパーキージーンを発売していた頃です。
こちらの方が、CMにジェニファー・ビールスを起用していたり、いきも長かったような気がするので、覚えている人は多いことでしょう
そのシーからコロンが出ていたのですが、実にいい香りだったんです。
フローラル系で、試供品で頂いたのをとても大切にしていました。
当時の中学生が、『香りもの』として使用するのはせいぜい8×4のブルーかピンク、
資生堂のシャワーコロンといったところだったでしょうか。
香るか香らないかの自分にしかわからない程度のごく微量をチョンっと手首に落として首筋につけて
学校に行ってしまったところ、もうすでにラストノートであるにも拘らず、
それに気づいたクラスの子が「いい匂い、何をつけているの」とそれはそれはしつこく聞いてきました。
でも、なぜか教えたくなくて、「さあ、何かなあ?髪の匂いじゃないかなあ」
とね当時使っていたシャンプーや小学生の時から、今現在も使用しているブラッシング・ケア
の名前を出したりして誤魔化しました。ごめんね だって自分だけのものにしておきたかったんだもん
しばらくして、微量を再び学校につけて行ってしまいました。また同じ子が、
「本当にいい匂い、何の匂い?」「だから・・・・」わたしはまたおんなじ返答。
「いいや、違う」と敵。やっぱり・・・
『やっぱり、真似されると思ったら案の定だ』心の声。すぐさま彼女はわたしと同じシャンプーを試したらしい・・・
おしゃれとか流行りものとかに敏感で豊かだったので、もしあのときわたしが『シー』の名前を出せば
すぐに彼女はコロン以外の商品も購入したことでしょう。別のところで聞いた話によると、シャンプーなどもあっていい香りだったらしい
彼女が利用して、さらに広まると何だか大切なものがつまんないものになってしまう気がしたんです。
それに、何事につけても人と同じがいい人もいるけど、わたしの場合は
『人と同じでいたくない』10代を過ごしていました。自分だけのものを探していた頃だったのです。
『人と同じ』になったとたん、わたしにとって輝いていたものが色あせてしまう・・・
多感ですね。振り返ってみると多感過ぎて、自分勝手に色々なことに傷ついたし、
こだわりが強すぎて、いろんなことに疲れていました。もっと言うなら自分に疲れていました。
今考えると面倒くさい奴だと馬鹿みたいに思える部分もあるけれど、
相も変わらず居座って時折顔を覗かせるそういう部分・・・でも、それがわたしなんだな・・・・。
今年のゴールデンウィークはわたしにとっては最悪でした。
一生懸命やったことが ( それもすごーく嫌なことだったのに ) 無為になった。残ったのは物凄い疲労と悔しさと、情けなさ。
傷ついてしまった心を癒そうと、今日はおやつにアールグレーを入れてマドレーヌを食べました。
安物だったからか、外袋ばかりがベルガモットが香り ( それもきつく) お茶にはいまいち風味が足りませんでした。
傷は深く、怒りを含んだその感情は紅茶とマドレーヌの香りでも彼方に運んではくれそうもなく、相変わらずわたしの周囲を旋回しているのです。
自分の心には正直なので、謝ってもらってもその場しのぎに 「 はいそうですか 」 なんて絶対言わないの。
許してもないのにそんなこと言えない。大人気ないと言われても、「 この傷ついた心は暫く癒えそうにはない 」と抵抗を返すしかできません。
と、公の場 ? を借りて宣言しておくからな !
話がそれたところで、もう少しPSSST!については話がつづく
紅茶に浸したマドレーヌの味が遠い記憶を呼び起こす プルースの『失われた時を求めて』の冒頭ですが、
この書き出しに因んで、嗅覚や味覚などにより、過去の記憶が呼び覚まされる心理的現象のことを
プルースト現象と呼ぶそうです。
マドレーヌと紅茶の味や香りでぐんぐん過去に心が連れ戻されるようなドラマティックな経験はないにしても、
香りや味の中に懐かしさを発見することはありますよね。
そしてその場合の懐かしさは『好ましい懐かしさ』の方が多い気がします。わたしの場合はね
わたしにはひとつ忘れられない香りがあります。
もとい、その香りを忘れられないというより、その香りがすごくいい香りだったことを忘れられないというべきかな・・・。
だってもはやその香りは存在しないし、今嗅いだとしても「あ、これこれ、この香りよ」
と断定する自信はないからです。
これも断定はできないのですが、82年ぐらいからの数年間カネボウにPSSST!(『シー』と読みます)
という若年層向けのラインがありました。
同時期の資生堂が価格や同じ位の年齢層を的にパーキージーンを発売していた頃です。
こちらの方が、CMにジェニファー・ビールスを起用していたり、いきも長かったような気がするので、覚えている人は多いことでしょう
そのシーからコロンが出ていたのですが、実にいい香りだったんです。
フローラル系で、試供品で頂いたのをとても大切にしていました。
当時の中学生が、『香りもの』として使用するのはせいぜい8×4のブルーかピンク、
資生堂のシャワーコロンといったところだったでしょうか。
香るか香らないかの自分にしかわからない程度のごく微量をチョンっと手首に落として首筋につけて
学校に行ってしまったところ、もうすでにラストノートであるにも拘らず、
それに気づいたクラスの子が「いい匂い、何をつけているの」とそれはそれはしつこく聞いてきました。
でも、なぜか教えたくなくて、「さあ、何かなあ?髪の匂いじゃないかなあ」
とね当時使っていたシャンプーや小学生の時から、今現在も使用しているブラッシング・ケア
の名前を出したりして誤魔化しました。ごめんね だって自分だけのものにしておきたかったんだもん
しばらくして、微量を再び学校につけて行ってしまいました。また同じ子が、
「本当にいい匂い、何の匂い?」「だから・・・・」わたしはまたおんなじ返答。
「いいや、違う」と敵。やっぱり・・・
『やっぱり、真似されると思ったら案の定だ』心の声。すぐさま彼女はわたしと同じシャンプーを試したらしい・・・
おしゃれとか流行りものとかに敏感で豊かだったので、もしあのときわたしが『シー』の名前を出せば
すぐに彼女はコロン以外の商品も購入したことでしょう。別のところで聞いた話によると、シャンプーなどもあっていい香りだったらしい
彼女が利用して、さらに広まると何だか大切なものがつまんないものになってしまう気がしたんです。
それに、何事につけても人と同じがいい人もいるけど、わたしの場合は
『人と同じでいたくない』10代を過ごしていました。自分だけのものを探していた頃だったのです。
『人と同じ』になったとたん、わたしにとって輝いていたものが色あせてしまう・・・
多感ですね。振り返ってみると多感過ぎて、自分勝手に色々なことに傷ついたし、
こだわりが強すぎて、いろんなことに疲れていました。もっと言うなら自分に疲れていました。
今考えると面倒くさい奴だと馬鹿みたいに思える部分もあるけれど、
相も変わらず居座って時折顔を覗かせるそういう部分・・・でも、それがわたしなんだな・・・・。
今年のゴールデンウィークはわたしにとっては最悪でした。
一生懸命やったことが ( それもすごーく嫌なことだったのに ) 無為になった。残ったのは物凄い疲労と悔しさと、情けなさ。
傷ついてしまった心を癒そうと、今日はおやつにアールグレーを入れてマドレーヌを食べました。
安物だったからか、外袋ばかりがベルガモットが香り ( それもきつく) お茶にはいまいち風味が足りませんでした。
傷は深く、怒りを含んだその感情は紅茶とマドレーヌの香りでも彼方に運んではくれそうもなく、相変わらずわたしの周囲を旋回しているのです。
自分の心には正直なので、謝ってもらってもその場しのぎに 「 はいそうですか 」 なんて絶対言わないの。
許してもないのにそんなこと言えない。大人気ないと言われても、「 この傷ついた心は暫く癒えそうにはない 」と抵抗を返すしかできません。
と、公の場 ? を借りて宣言しておくからな !
話がそれたところで、もう少しPSSST!については話がつづく
大変でござりまするな…
などと一言では申し訳ありませんが…私は未知の力で応援させて頂きます。
で、『プルースト現象』、私は経験が無いような…既視感なら人並みにありますが…
ありがとうございます。今後もよろしくお願いします。
おっ、ところでわたしは既視感は経験がないんですよ。
夢なんかは毎夜見るんですが、疲れるくらいリアルだったり、奇想天外、荒唐無稽だったりで、脳内でデジャヴに書き変わらないのか?
(既視感の仕組みがどういうものなのかわかりませんが)
はたまた、「前世の記憶なんだよ」というロマンテックなことを聞くと、そういう感覚が羨ましいし、それを信じたい自分がいます。
ん?ならばわたしは前世に行った場所や出会った人とまだ縁がないのか?今回初登場なのか?