2018/10/16~2023/10/16更新
テウハイ【朝拜】─『言海』『日本国語大辞典』─
萩原義雄識
はじめに
「朝拜」という語をご存知だろうか。最初に『言海』を繙くと、「朝賀」に同じとあり、「朝賀」には、「朝拜」をみることになる。だが、和語「みかどをがみ」については、改訂作業が進んでいて、『大言海』を俟たねばならないことも見て取れる。では、語意説明はどうだろうか。派生語としては、「小朝拜」の語があることも『大言海』に入って連関性を確認出来ることになっている。宮中の儀式に精通している人であれば、即座に此等のことばについて反応できるのだろうが、一般の方がこの語と向き合うとき、この語の説明掲載についてその流れを皆さんは知っておいてもよいのでなかろうか。そこで、ここに取り上げてみた
テウハイ【朝拜】=テウガ【朝賀】=みかどをがみ⇛こテウハイ
【語の実際】
大槻文彦編『言海』
て(ちよ)う-はい〔名〕【朝拜】朝賀(てうが)に同じ。〔六八七頁3〕
大槻文彦編『大言海』
てう-はい〔名〕【朝拜】みかどをがみ。て(ちよ)うが(朝賀)に同じ。朝拜なき年に、清涼殿の東庭にて、殿上人の拝賀するを、小朝拜(こテウハイ)と云ふ。(昔は大極殿にて、後には清涼殿の庭上にて)。李商隱、中元詩「絳節飄箟空レ國來、中元朝拜一上清廻」式部省式、上「凡賀正之日、云云、皆聽二朝拜一」源氏物語七、紅葉賀九「男君の朝拜にまゐり給ふとて、さしのぞき給へり」〔三冊四六〇頁-2〕
小学館『日本国語大辞典』第二版
ちょう‐はい[テウ‥]【朝拝】〔名〕元旦に天皇が大極殿で諸臣の年賀を受ける儀式。平安中期に廃絶。また地方の国衙や寺院でも宮中にならって行なわれた。みかどおがみ。朝賀。→小朝拝。*令義解〔七一八(養老二)〕儀制・元日国司条「凡元日。国司皆率二僚属郡司等一。向レ庁朝拜」*延喜式〔九二七(延長五)〕一八・式部「凡賀正之日。〈略〉皆聴二朝拜一」*大和物語〔九四七(天暦元)〜九五七(天徳元)頃〕七八「監の命婦てうはいの威儀の命婦にていでたりけるを」*大乗院寺社雑事記‐応仁元年〔一四六七(応仁元)〕四月「所司朝拜事」【方言】(1)里帰り。帰省。《ちょうはい》青森県三戸郡083富山県010394397石川県「ちょーはいに行く」050404422岐阜県北飛騨499《ちょはい》富山県高岡市395砺波398《ちょうわい》石川県能美郡419(2)親類縁者の家に宿泊すること。《ちょうはい》富山県390394石川県河北郡062岐阜県飛騨502(3)他所へ行って休息してくること。《ちょうはい》岐阜県飛騨502(4)もてなすこと。《ちょうはい》青森県津軽「ちょーはいする」073上北郡074《ちょうひゃあ》群馬県多野郡246《ちょはい》青森県上北郡074秋田県北秋田郡130(5)あやすこと。かわいがること。《ちょうひゃあ》群馬県多野郡246《ちょはい》青森県津軽075【発音】チョーハイ〈標ア〉[0]【辞書】文明・易林・日葡・書言・言海【表記】【朝拝】文明・易林・書言・言海
【語の解析】
類語として、「ちょうが【朝賀】」があり、『言海』では、こちらの語意を見直すように指示する「―に同じ」 で此の語を示すのみであった。これを『大言海』では、「小朝拜」をも示し、語例を置く。
そこで、まず「ちょうが【朝賀】」の語を『言海』から繙いておくと、
て(ちよ)う-が〔名〕【朝賀】天皇、元日、辰の刻に、大極殿(ダイゴクデン)に出御ありて行はるる儀、群臣禮服して位に列し、主上高御座(たかみくら)に就き給ひ、群臣再拝し、次に舞蹈すれば、武官、萬歳の旗を揮ふ。又、朝拜。〔六八六頁2〕
{みかど-をがみ〔名〕【朝拜】朝廷、元旦の拜賀。〔九六六頁2〕
テウハイ【朝拜】─『言海』『日本国語大辞典』─
萩原義雄識
はじめに
「朝拜」という語をご存知だろうか。最初に『言海』を繙くと、「朝賀」に同じとあり、「朝賀」には、「朝拜」をみることになる。だが、和語「みかどをがみ」については、改訂作業が進んでいて、『大言海』を俟たねばならないことも見て取れる。では、語意説明はどうだろうか。派生語としては、「小朝拜」の語があることも『大言海』に入って連関性を確認出来ることになっている。宮中の儀式に精通している人であれば、即座に此等のことばについて反応できるのだろうが、一般の方がこの語と向き合うとき、この語の説明掲載についてその流れを皆さんは知っておいてもよいのでなかろうか。そこで、ここに取り上げてみた
テウハイ【朝拜】=テウガ【朝賀】=みかどをがみ⇛こテウハイ
【語の実際】
大槻文彦編『言海』
て(ちよ)う-はい〔名〕【朝拜】朝賀(てうが)に同じ。〔六八七頁3〕
大槻文彦編『大言海』
てう-はい〔名〕【朝拜】みかどをがみ。て(ちよ)うが(朝賀)に同じ。朝拜なき年に、清涼殿の東庭にて、殿上人の拝賀するを、小朝拜(こテウハイ)と云ふ。(昔は大極殿にて、後には清涼殿の庭上にて)。李商隱、中元詩「絳節飄箟空レ國來、中元朝拜一上清廻」式部省式、上「凡賀正之日、云云、皆聽二朝拜一」源氏物語七、紅葉賀九「男君の朝拜にまゐり給ふとて、さしのぞき給へり」〔三冊四六〇頁-2〕
小学館『日本国語大辞典』第二版
ちょう‐はい[テウ‥]【朝拝】〔名〕元旦に天皇が大極殿で諸臣の年賀を受ける儀式。平安中期に廃絶。また地方の国衙や寺院でも宮中にならって行なわれた。みかどおがみ。朝賀。→小朝拝。*令義解〔七一八(養老二)〕儀制・元日国司条「凡元日。国司皆率二僚属郡司等一。向レ庁朝拜」*延喜式〔九二七(延長五)〕一八・式部「凡賀正之日。〈略〉皆聴二朝拜一」*大和物語〔九四七(天暦元)〜九五七(天徳元)頃〕七八「監の命婦てうはいの威儀の命婦にていでたりけるを」*大乗院寺社雑事記‐応仁元年〔一四六七(応仁元)〕四月「所司朝拜事」【方言】(1)里帰り。帰省。《ちょうはい》青森県三戸郡083富山県010394397石川県「ちょーはいに行く」050404422岐阜県北飛騨499《ちょはい》富山県高岡市395砺波398《ちょうわい》石川県能美郡419(2)親類縁者の家に宿泊すること。《ちょうはい》富山県390394石川県河北郡062岐阜県飛騨502(3)他所へ行って休息してくること。《ちょうはい》岐阜県飛騨502(4)もてなすこと。《ちょうはい》青森県津軽「ちょーはいする」073上北郡074《ちょうひゃあ》群馬県多野郡246《ちょはい》青森県上北郡074秋田県北秋田郡130(5)あやすこと。かわいがること。《ちょうひゃあ》群馬県多野郡246《ちょはい》青森県津軽075【発音】チョーハイ〈標ア〉[0]【辞書】文明・易林・日葡・書言・言海【表記】【朝拝】文明・易林・書言・言海
【語の解析】
類語として、「ちょうが【朝賀】」があり、『言海』では、こちらの語意を見直すように指示する「―に同じ」 で此の語を示すのみであった。これを『大言海』では、「小朝拜」をも示し、語例を置く。
そこで、まず「ちょうが【朝賀】」の語を『言海』から繙いておくと、
て(ちよ)う-が〔名〕【朝賀】天皇、元日、辰の刻に、大極殿(ダイゴクデン)に出御ありて行はるる儀、群臣禮服して位に列し、主上高御座(たかみくら)に就き給ひ、群臣再拝し、次に舞蹈すれば、武官、萬歳の旗を揮ふ。又、朝拜。〔六八六頁2〕
{みかど-をがみ〔名〕【朝拜】朝廷、元旦の拜賀。〔九六六頁2〕
とし、さらに『大言海』になると、
てう-が(チヨウガ)〔名〕【朝賀】天皇の、元日、辰の刻に、大極殿(ダイゴクデン)に出御ありて行はるる儀式。群臣、禮服して位に列し、主上、高御座(たかみくら)に就き給ひ、群臣再拝す。次に舞蹈(ブトウ)すれば、武官、萬歳の旗を揮ふ。又、みかどをがみ。朝拜。*史記、秦始皇紀「改二年始一、朝賀儀式、六「元正朝賀儀」日本後紀、廿二、弘仁四年「春正月乙卯朔「皇帝御受二朝賀一」 〔三冊四五四頁-4〕
みかど(ミカド)-をがみ(オガミ)〔名〕【朝拜】て(チヨ)うが(朝賀)、及、て(チヨ)うはい(朝拜)の條を見よ。*孝徳紀、大化二年正月「賀正禮(ミカドヲガミ)畢、即宣二改新之詔一」 *同、白雉三年正月「元日禮(ミカドヲガミ)訖、車駕幸二大郡宮一」持統紀、四年正月「公卿百寮拜朝(ミカドヲガミ)、如二元會儀一」〔四冊四六五頁-1・2〕
となっている。
同じく、現行の『日国』第二版にも漢語「朝賀」と和語「みかどおがみ」の語を置くので見ておくと、
ちょう‐が[テウ‥]【朝賀】〔名〕(1)元日に皇太子以下諸臣が朝廷に参上して、天皇・皇后に新年のよろこびを奏上する儀式。大化二年(六四六)に始まる。みかどおがみ。朝拝。また、正月二日に皇后・皇太子が諸臣の朝賀を受ける中宮朝賀・東宮朝賀も、平安時代から行なわれた。《季・新年》*続日本紀‐神亀五年〔七二八(神亀五)〕正月庚子「天皇御二大極殿一。王臣百寮及渤海使等朝賀」*延喜式〔九二七(延長五)〕一二・内記「凡元日朝賀依レ有二滞故一、延用二二三日一者、其宣命之辞猶称二朔日一」*太平記〔一四C後〕二四・朝儀年中行事事「先(まづ)正月には、平旦に天地四方拝、屠蘇白散、群臣の朝賀(テウガ)、小朝拝」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕初春「一、朝賀(テウガ) 是も元正也。孝徳天皇大化二年に始て行也。去年の目出度事を奏聞申さるる事也」(2)参内して寿詞を述べること。*史記‐秦始皇本紀「方今水徳之始、改二年始一、朝賀皆自二十月朔一」【発音】チョーガ〈標ア〉[チョ]〈京ア〉[チョ]【辞書】文明・書言・言海【表記】【朝賀】文明・書言・言海
みかど‐おがみ[‥をがみ]【御門拝・朝拝】〔名〕元日に、天皇が大極殿で群臣たちから年賀を受ける儀式。ちょうはい。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕大化五年正月(北野本訓)「春正月の丙午の朔に、賀正(ミカトヲカミ)す」【辞書】書言・言海【表記】【朝参】書言【朝拝】言海
となっています。和語「みかどおがみ」は、『大言海』も『日国』第二版ともに、『日本書紀』を最古例としているが、江戸時代の古辞書『書言字考節用集』を最後にその語例を見ない語となっていることに氣づかされる。だが、現代の国語辞書が此の語を見出し語に置くことに語の伝統を継承し続けてきていることを忘れてはならないのではないだろうか。
所謂、中型国語辞書とも言える岩波『広辞苑』第七版などでは、
ちょう‐が【朝賀】テウ‥①諸臣が参朝して天子に祝詞を述べること。②元日に天皇が大極殿で百官の年頭の賀を受けた大礼。みかどおがみ。朝拝。拝賀。〈 新年 〉
とあって、見出し語「ちょう‐が【朝賀】」の語意のなかに辛うじて記載が見えるに留まっており、この語例について知りたいと思う人がいたとき、先に挙げた大型国語辞書を繙き直すことになっている。
そして、小型国語辞書からは、この見出し語「みかどおがみ」の語は未収載となってきていることも、ここで改めて警鐘をならしておきたいところでもある。
因みに、『大言海』に連関語として据えた「小朝拜」を見ておきたい。
てう-が(チヨウガ)〔名〕【朝賀】天皇の、元日、辰の刻に、大極殿(ダイゴクデン)に出御ありて行はるる儀式。群臣、禮服して位に列し、主上、高御座(たかみくら)に就き給ひ、群臣再拝す。次に舞蹈(ブトウ)すれば、武官、萬歳の旗を揮ふ。又、みかどをがみ。朝拜。*史記、秦始皇紀「改二年始一、朝賀儀式、六「元正朝賀儀」日本後紀、廿二、弘仁四年「春正月乙卯朔「皇帝御受二朝賀一」 〔三冊四五四頁-4〕
みかど(ミカド)-をがみ(オガミ)〔名〕【朝拜】て(チヨ)うが(朝賀)、及、て(チヨ)うはい(朝拜)の條を見よ。*孝徳紀、大化二年正月「賀正禮(ミカドヲガミ)畢、即宣二改新之詔一」 *同、白雉三年正月「元日禮(ミカドヲガミ)訖、車駕幸二大郡宮一」持統紀、四年正月「公卿百寮拜朝(ミカドヲガミ)、如二元會儀一」〔四冊四六五頁-1・2〕
となっている。
同じく、現行の『日国』第二版にも漢語「朝賀」と和語「みかどおがみ」の語を置くので見ておくと、
ちょう‐が[テウ‥]【朝賀】〔名〕(1)元日に皇太子以下諸臣が朝廷に参上して、天皇・皇后に新年のよろこびを奏上する儀式。大化二年(六四六)に始まる。みかどおがみ。朝拝。また、正月二日に皇后・皇太子が諸臣の朝賀を受ける中宮朝賀・東宮朝賀も、平安時代から行なわれた。《季・新年》*続日本紀‐神亀五年〔七二八(神亀五)〕正月庚子「天皇御二大極殿一。王臣百寮及渤海使等朝賀」*延喜式〔九二七(延長五)〕一二・内記「凡元日朝賀依レ有二滞故一、延用二二三日一者、其宣命之辞猶称二朔日一」*太平記〔一四C後〕二四・朝儀年中行事事「先(まづ)正月には、平旦に天地四方拝、屠蘇白散、群臣の朝賀(テウガ)、小朝拝」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕初春「一、朝賀(テウガ) 是も元正也。孝徳天皇大化二年に始て行也。去年の目出度事を奏聞申さるる事也」(2)参内して寿詞を述べること。*史記‐秦始皇本紀「方今水徳之始、改二年始一、朝賀皆自二十月朔一」【発音】チョーガ〈標ア〉[チョ]〈京ア〉[チョ]【辞書】文明・書言・言海【表記】【朝賀】文明・書言・言海
みかど‐おがみ[‥をがみ]【御門拝・朝拝】〔名〕元日に、天皇が大極殿で群臣たちから年賀を受ける儀式。ちょうはい。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕大化五年正月(北野本訓)「春正月の丙午の朔に、賀正(ミカトヲカミ)す」【辞書】書言・言海【表記】【朝参】書言【朝拝】言海
となっています。和語「みかどおがみ」は、『大言海』も『日国』第二版ともに、『日本書紀』を最古例としているが、江戸時代の古辞書『書言字考節用集』を最後にその語例を見ない語となっていることに氣づかされる。だが、現代の国語辞書が此の語を見出し語に置くことに語の伝統を継承し続けてきていることを忘れてはならないのではないだろうか。
所謂、中型国語辞書とも言える岩波『広辞苑』第七版などでは、
ちょう‐が【朝賀】テウ‥①諸臣が参朝して天子に祝詞を述べること。②元日に天皇が大極殿で百官の年頭の賀を受けた大礼。みかどおがみ。朝拝。拝賀。〈 新年 〉
とあって、見出し語「ちょう‐が【朝賀】」の語意のなかに辛うじて記載が見えるに留まっており、この語例について知りたいと思う人がいたとき、先に挙げた大型国語辞書を繙き直すことになっている。
そして、小型国語辞書からは、この見出し語「みかどおがみ」の語は未収載となってきていることも、ここで改めて警鐘をならしておきたいところでもある。
因みに、『大言海』に連関語として据えた「小朝拜」を見ておきたい。
小学館『日本国語大辞典』第二版
こ‐ちょうはい[‥テウハイ]【小朝拝】〔名〕(「こぢょうはい」とも)元旦に天皇に拝賀する儀式。大内裏の正庁で百官を集めて行なう公式の朝賀の後、天皇の御座所である清涼殿の東庭において行なう歳首の拝賀。皇太子、大臣以下五位、六位の者が参集する。延喜五年(九〇五)に「王者無レ私」として廃止されたが、同一九年、藤原忠平の奏請によって復活。はじめ朝賀、小朝拝ともに毎年行なっていたが、のち両者を隔年に行なうようになり、さらに一条天皇以後もっぱら小朝拝のみ行なうようになった。*西宮記〔九六九(安和二)頃〕一・小朝拝「延木五年正月一日、是日有レ定、止二小朝拝一、〈仰曰、覧二昔史書一、王者無レ私、此事是私礼也云云〉延木一九年正月一日、大臣依レ申、有二小朝拝一」*平松家本平家物語〔一三C前〕九・平家讚岐国屋嶋住居之事「院の拝礼無かりければ、内裏の小朝拝(コてうはい)も行なはれず」*太平記〔一四C後〕二四・朝儀年中行事事「先づ正月には、平旦に天地四方拝・屠蘇白散・群臣の朝賀・小朝拝(コデウハイ)」*年中行事歌合〔一三六六(正平二一/貞治五)〕「二番 左 小朝拝 元日 内大臣 天皇はわたくしなしととどめしを臣等言葉にまたぞしたがふ〈二条師良〉」*名目鈔〔一四五七(長禄元)頃〕恒例諸公事「小朝拝(コデウハイ) 後生小の字を小(せう)と可レ読ことを恐て注也」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕初春「小朝拝(テウハイ) 元日也。醍醐天皇延喜五年に始て行也」【辞書】書言・言海【表記】【小朝拝】書言・言海
しょう‐ちょうはい[セウテウハイ]【小朝拝】〔名〕→こちょうはい(小朝拝)
となっている。
まとめ
今般、調査して見た語は、室町時代の『庭訓往來』正月五日状の語例で、このことばを最初に情報言語学研究室「ことばの溜池」のなかで調べたのは、二〇〇六(平成一八)年二月一七日。次に茲に再表示してみる。
0105-08「朝拜(テウハイ)」(004-2006.02.17)。
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(一五四八(天文一七)年)の「天」部に、
朝拜 。〔元亀二年本一六五頁9〕〔静嘉堂本一八四頁2〕
朝拜 。〔天正十七年本中二三オ3〕〔西來寺本〕
とあって、標記語「朝拜」の語は未収載にする。
古写本『庭訓徃來』正月十五日の状に、
⑴抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔至徳三年本〕
⑵抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔宝徳三年本〕
⑶抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔建部傳内本〕
⑷抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二-催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引ス〔山田俊雄藏本〕
⑸抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二-催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引ス〔経覺筆本〕
⑹×〔文明十四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明十四年本に「朝拜」と記載する。
古辞書では、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』(一一七七(治承元)-八一年)と十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「朝拜」の語は未収載にする。
室町時代の古写本『下學集』(一四四四(文安元)年成立・元和本(一六一七(元和三)年))に、標記語「朝拜」の語は未収載にする。次に、広本『節用集』(一四七六(文明八)(文明六)年頃成立)に、
朝拜(テウハイ)トミ、タトシ[平・去]。〔天部態藝門七三三6〕
こ‐ちょうはい[‥テウハイ]【小朝拝】〔名〕(「こぢょうはい」とも)元旦に天皇に拝賀する儀式。大内裏の正庁で百官を集めて行なう公式の朝賀の後、天皇の御座所である清涼殿の東庭において行なう歳首の拝賀。皇太子、大臣以下五位、六位の者が参集する。延喜五年(九〇五)に「王者無レ私」として廃止されたが、同一九年、藤原忠平の奏請によって復活。はじめ朝賀、小朝拝ともに毎年行なっていたが、のち両者を隔年に行なうようになり、さらに一条天皇以後もっぱら小朝拝のみ行なうようになった。*西宮記〔九六九(安和二)頃〕一・小朝拝「延木五年正月一日、是日有レ定、止二小朝拝一、〈仰曰、覧二昔史書一、王者無レ私、此事是私礼也云云〉延木一九年正月一日、大臣依レ申、有二小朝拝一」*平松家本平家物語〔一三C前〕九・平家讚岐国屋嶋住居之事「院の拝礼無かりければ、内裏の小朝拝(コてうはい)も行なはれず」*太平記〔一四C後〕二四・朝儀年中行事事「先づ正月には、平旦に天地四方拝・屠蘇白散・群臣の朝賀・小朝拝(コデウハイ)」*年中行事歌合〔一三六六(正平二一/貞治五)〕「二番 左 小朝拝 元日 内大臣 天皇はわたくしなしととどめしを臣等言葉にまたぞしたがふ〈二条師良〉」*名目鈔〔一四五七(長禄元)頃〕恒例諸公事「小朝拝(コデウハイ) 後生小の字を小(せう)と可レ読ことを恐て注也」*俳諧・誹諧初学抄〔一六四一(寛永一八)〕初春「小朝拝(テウハイ) 元日也。醍醐天皇延喜五年に始て行也」【辞書】書言・言海【表記】【小朝拝】書言・言海
しょう‐ちょうはい[セウテウハイ]【小朝拝】〔名〕→こちょうはい(小朝拝)
となっている。
まとめ
今般、調査して見た語は、室町時代の『庭訓往來』正月五日状の語例で、このことばを最初に情報言語学研究室「ことばの溜池」のなかで調べたのは、二〇〇六(平成一八)年二月一七日。次に茲に再表示してみる。
0105-08「朝拜(テウハイ)」(004-2006.02.17)。
室町時代の古辞書である『運歩色葉集』(一五四八(天文一七)年)の「天」部に、
朝拜 。〔元亀二年本一六五頁9〕〔静嘉堂本一八四頁2〕
朝拜 。〔天正十七年本中二三オ3〕〔西來寺本〕
とあって、標記語「朝拜」の語は未収載にする。
古写本『庭訓徃來』正月十五日の状に、
⑴抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔至徳三年本〕
⑵抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔宝徳三年本〕
⑶抑歳初朝拜者以朔日无三次可急申之處被駈催人々子日遊之間乍思延引〔建部傳内本〕
⑷抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二-催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引ス〔山田俊雄藏本〕
⑸抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二-催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引ス〔経覺筆本〕
⑹×〔文明十四年本〕
と見え、至徳三年本・宝徳三年本・建部傳内本・山田俊雄藏本・経覺筆本・文明十四年本に「朝拜」と記載する。
古辞書では、鎌倉時代の三卷本『色葉字類抄』(一一七七(治承元)-八一年)と十巻本『伊呂波字類抄』には、標記語「朝拜」の語は未収載にする。
室町時代の古写本『下學集』(一四四四(文安元)年成立・元和本(一六一七(元和三)年))に、標記語「朝拜」の語は未収載にする。次に、広本『節用集』(一四七六(文明八)(文明六)年頃成立)に、
朝拜(テウハイ)トミ、タトシ[平・去]。〔天部態藝門七三三6〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載する。印度本系統の弘治二年本・永祿二年本・尭空本・両足院本『節用集』には、標記語「朝拜」の語を未収載にする。そして、易林本『節用集』に、
朝恩(テウオン) ―威(井) ―拜(ハイ) ―敵(テキ) 〔天部言辞門一六六1〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載する。
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「朝拜」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
さて、真字本『庭訓往来註』正月十五日の状には、
004 抑モ歳初朝拜者 抑ハ決前称-後ノ辞也。朝-拜ハ天子必天明ニ冠ヲシ四方ノ星ヲ拜シ々レ天ヲ云々。又臣トシテ君ニ爲二出-仕一云也。然ヲ爰ニ對二石見守一謂也。廣キ可二心得一也云々。 〔謙堂文庫蔵三左10〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、「朝拜は、天子必ず天明に冠をし四方の星を拜し天を拜す云々。又、臣として君に出仕爲るを云ふなり」と記載する。
古版『庭訓徃来註』では、
抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二-催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引スト云事モ。ツツシミニ政( ツリ)ヲスレバ。如レ此富貴萬福幸(サイハ)ヒ甚(ハナハダ)アリト也。甚ト云ハ。イクバクト云ハントテナリ。〔上四オ6~7〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)二朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)レ駈(かけら)二-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に一之(の)間(あひだ)乍(ながら)レ思(おもひ)延引(えんいん)す/抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二-催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引ス。是ハかぎりもなく祝ひたる詞なり。財宝(さいほう)豊(ゆた)かなるを冨(とみ)と云。位官(きくわん)高(たか)きを貴と云。萬福はよろつのさいわい。幸甚ハさいわいはなハたしと訓す。〔一ウ3~5〕
とあって、この標記語「朝拜」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)二朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)レ駈(かけら)二-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に一之(の)間(あひだ)乍(ながら)レ思(おもひ)延引(えんいん)す/抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引ス▲富貴万福以幸甚々々ハ先方(せんはう)を愛(めで)たく祝(いは)ひたる詞(ことハ)なり。〔一オ5、6〕
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)二朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)レ駈(かけら)二-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に一之(の)間(あひだ)乍(ながら)レ思(おもひ)延引(えんいん)す▲富貴万福以幸甚々々ハ先方(せんはう)を愛(めで)たく祝(いは)ひたる詞(ことハ)なり。〔一オ5~一ウ1、2〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
当代の『日葡辞書』(一六〇三(慶長八)-〇四年成立)に、
Cho>fai.テウハイ(朝拜)Axita vogamu.(朝拝む)朝早く行なう礼拝.〔邦訳一二六r〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
てう-はい〔名〕【朝拜】みかどをがみ。て(ちよ)うが(朝賀)に同じ。朝拜なき年に、清涼殿の東庭にて、殿上人の拝賀するを、小朝拜(こテウハイ)と云ふ。(昔は大極殿にて、後には清涼殿の庭上にて)。李商隱、中元詩「絳節飄箟空レ國來、中元朝拜一上清廻」式部省式、上「凡賀正之日、云云、皆聽二朝拜一」源氏物語七、紅葉賀九「男君の朝拜にまゐり給ふとて、さしのぞき給へり」〔三冊四六〇頁-2〕
とあって、標記語「てう-はい【朝拜】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちょう-はい【朝拜】〔名〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
茲で、古くは『延喜式』などに所載の語であるが、此の語について、真名本『庭訓往来註』が「朝拜は、天子必ず天明に冠をし、四方の星を拜し、天を拜す云々。又、臣として君に出仕爲るを云ふなり」と云った意味説明をなし得ていることを高く評価しておかねばならいない。
そして、当代の古辞書である広本『節用集』(=文明本)は、ことばだけを採録しているのだが、此の語意内容を語注記にして添えていないことが説明を要さないとして、此のような標記語を無注記の語としたと見たとき、注記無表記の語群を改めて見定めて行くことで、その全体像が把握できるものだと考えている。
朝恩(テウオン) ―威(井) ―拜(ハイ) ―敵(テキ) 〔天部言辞門一六六1〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載する。
このように、上記当代の古辞書においては、三卷本『色葉字類抄』・十巻本『伊呂波字類抄』に標記語「朝拜」の語を収載し、古写本『庭訓徃來』及び下記真字本がこの語を収載しているのである。
さて、真字本『庭訓往来註』正月十五日の状には、
004 抑モ歳初朝拜者 抑ハ決前称-後ノ辞也。朝-拜ハ天子必天明ニ冠ヲシ四方ノ星ヲ拜シ々レ天ヲ云々。又臣トシテ君ニ爲二出-仕一云也。然ヲ爰ニ對二石見守一謂也。廣キ可二心得一也云々。 〔謙堂文庫蔵三左10〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、「朝拜は、天子必ず天明に冠をし四方の星を拜し天を拜す云々。又、臣として君に出仕爲るを云ふなり」と記載する。
古版『庭訓徃来註』では、
抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二-催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引スト云事モ。ツツシミニ政( ツリ)ヲスレバ。如レ此富貴萬福幸(サイハ)ヒ甚(ハナハダ)アリト也。甚ト云ハ。イクバクト云ハントテナリ。〔上四オ6~7〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、上記の如く記載する。時代は降って、江戸時代の訂誤『庭訓徃來捷注』(寛政十二年版)に、
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)二朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)レ駈(かけら)二-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に一之(の)間(あひだ)乍(ながら)レ思(おもひ)延引(えんいん)す/抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二-催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引ス。是ハかぎりもなく祝ひたる詞なり。財宝(さいほう)豊(ゆた)かなるを冨(とみ)と云。位官(きくわん)高(たか)きを貴と云。萬福はよろつのさいわい。幸甚ハさいわいはなハたしと訓す。〔一ウ3~5〕
とあって、この標記語「朝拜」の語を収載し、語注記は未記載にする。これを頭書訓読『庭訓徃來精注鈔』『庭訓徃來講釈』には、
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)二朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)レ駈(かけら)二-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に一之(の)間(あひだ)乍(ながら)レ思(おもひ)延引(えんいん)す/抑モ歳初朝拜者以テ二朔日无三ノ次ヲ一可二急キ申一之處被レ駈二催人々子日ノ遊ニ一之間乍レ思延-引ス▲富貴万福以幸甚々々ハ先方(せんはう)を愛(めで)たく祝(いは)ひたる詞(ことハ)なり。〔一オ5、6〕
抑(そも/\)歳初(としのはじめの)朝拜(てうハい)者(ハ)以(もつて)二朔日(さくじつ)无三(むさん)の次(つぎ)を急(いそぎ)申(まうす)可(べき)之(の)處(ところ)被(るゝ)レ駈(かけら)二-催人々子日(ねのひ)の遊(あそび)に一之(の)間(あひだ)乍(ながら)レ思(おもひ)延引(えんいん)す▲富貴万福以幸甚々々ハ先方(せんはう)を愛(めで)たく祝(いは)ひたる詞(ことハ)なり。〔一オ5~一ウ1、2〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載し、語注記は上記の如く記載する。
当代の『日葡辞書』(一六〇三(慶長八)-〇四年成立)に、
Cho>fai.テウハイ(朝拜)Axita vogamu.(朝拝む)朝早く行なう礼拝.〔邦訳一二六r〕
とあって、標記語「朝拜」の語を収載する。明治から大正・昭和時代の大槻文彦編『大言海』には、
てう-はい〔名〕【朝拜】みかどをがみ。て(ちよ)うが(朝賀)に同じ。朝拜なき年に、清涼殿の東庭にて、殿上人の拝賀するを、小朝拜(こテウハイ)と云ふ。(昔は大極殿にて、後には清涼殿の庭上にて)。李商隱、中元詩「絳節飄箟空レ國來、中元朝拜一上清廻」式部省式、上「凡賀正之日、云云、皆聽二朝拜一」源氏物語七、紅葉賀九「男君の朝拜にまゐり給ふとて、さしのぞき給へり」〔三冊四六〇頁-2〕
とあって、標記語「てう-はい【朝拜】」の語は未収載にする。これを現代の『日本国語大辞典』第二版に、標記語「ちょう-はい【朝拜】〔名〕」とあって、『庭訓徃來』のこの語用例は未記載にする。
茲で、古くは『延喜式』などに所載の語であるが、此の語について、真名本『庭訓往来註』が「朝拜は、天子必ず天明に冠をし、四方の星を拜し、天を拜す云々。又、臣として君に出仕爲るを云ふなり」と云った意味説明をなし得ていることを高く評価しておかねばならいない。
そして、当代の古辞書である広本『節用集』(=文明本)は、ことばだけを採録しているのだが、此の語意内容を語注記にして添えていないことが説明を要さないとして、此のような標記語を無注記の語としたと見たとき、注記無表記の語群を改めて見定めて行くことで、その全体像が把握できるものだと考えている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます