『倭名類聚抄』から『倭名類聚抄箋註』へ
いかつち・なるかみ【雷公】語註記所載の【霹靂】「かみとけ」と「かみとき」の語例
萩原義雄識
二〇一七年二月九日に公開した吾人の発表資料を『和名類聚抄』から『名義抄』『色葉字類抄』へと和訓が継承していくなかで見出したことに聯関して、明日の古辞書コーパス研究会(池田証壽さんとそのケンキュウチームによる観智院本『類聚名義抄』DBエクセル版)を推進していくうえで改めて掘り返ってみた。
はじめに
字類抄系の古辞書における、標記語「霹靂」の和訓が「かみとけ」「かみとき」「かみとり」と一定訓でない所載状況にある、一種揺れのある語訓であることを提示しておきたい。何故、このような揺れの語形が表出しているのかを推察してみると、各々の語形で表現する場が当時存在していたということになろうか。
この字類抄の原拠となっている古辞書は、源順撰の『和名類聚抄』であり、現存する十巻本、二十巻本という二種系統を含め、些か見定めておくと、
雷公 霹靂電附 〈略〉釋名云霹靂〈霹音辟靂音歴也 和名加美渡計〉霹坼也靂也所歴皆破坼也〔卷第一〕
雷公 兼名苑云雷公一名雷師雷音力典廻和―奈流加美一云以賀豆知釋名云霹靂辟歴二音和―賀美度岐霹折也霹靂也所歴皆破折也玉篇電音甸和―以奈比加利一云以奈豆流比 〈略〉又云以奈豆末雷光也〔享和元年本卷第一〕
としている。標記語「霹靂」について、典拠名『釋名』を記載し、「辟歴二音和名」で「賀美度岐(かみとき)」と記載する。ここには、次の二十卷本に添えられている和名「加三於豆(かみおつ)」の語は見えず、語註記に関わる「霹折也。靂歴也。所歴皆破折也」としている。小学館『日国』第二版が用例として用いた十卷本と異なる点が和名「加美渡計」と賀美度岐(かみとき)」の和訓として見えている。(尾張本=真福寺本、宝生院本とも云う)享和本の有する此の表記例が或意味では特殊な要素を有していることに氣付かされるであろう。十卷本系統については、先学宮澤俊男さんの考究について見定めておくことが必定である。が今は、この作業を先に進めておくため、この部分については保留にしておきたい。
雷公 電等附 兼名苑云――一名雷師音力典反和名伊加豆知一云奈流加美電甸和反和名伊奈比加利一云伊奈豆流比一云霹靂辟靂二反俗云加三於豆一云加美止介霹折也霹靂也所歴皆破折也
としている。標記語「霹靂」の和名としては、「加三於豆(かみおつ)」と「加美止介(かみとけ)」の二語があり、語註記は、「霹折也。霹靂也・所歴皆破折也(ふるところみなやぶれをりなり)」と「折」と「破折」の箇所が次なる字類抄に継承されたところとなっている。茲で、俗云の「かみおつ」の訓は消去し、「かみとけ」の訓が継承されたことになる。この「カミトケ」が「カミトキ」と変容し、これが「カミトリ」とカタカナの「ケ」と「リ」を見誤って写し間違えられていく書写過程が見えてくるのである。字音訓みの「ヒヤクリヤク」も伝えられずして、
色葉字類抄
二巻本
霹靂(カミトキ) 上ハ折下破也
三卷本
霹靂 カミトケ/キ 上ハ折下ハ破也
世俗字類抄
二卷本
霹靂 カミトケ 上ハ折下ハ破也
七卷本
霹靂(カミトリ)ヒヤクリヤク
※「かみとり」の和訓「リ」は「ケ」の字形相似による誤写と見ておく。
※左訓表記の字音「ヒヤクリヤク」は、他古辞書には未記載であり、唯一此の一例のみが見て取れるものである。(小学館『日国』第二版には未収載)
節用文字
霹靂(カミトケ) 上折/下破也
伊呂波字類抄
大東急記念文庫蔵
霹靂 カミトケ
上ハ折下ハ破也
大阪府立図書館蔵
霹靂 カミトケ 上ハ折下ハ破也
とあって、『色葉字類抄』加部天地門に、標記語「霹靂」で、訓みを「カミツケ」「カミツキ」「カミトリ」と揺れながら書写していた。語註記は、「上は折れ、下は破すなり」と記載する。字音は現代語では「ヘキレキ」だが、七卷本『世俗字類抄』〔尊経閣文庫藏〕では、「ヒヤクリヤク」と記載する。だが、この訓みは現行の国語辞典には未収載となっていて、字音「ヘキレキ」が採択されているに過ぎず、その語解析もないものとなっている。
《補助資料》
小学館『日本国語大辞典』第二版
かみ‐とけ【神解・霹靂】〔名〕(「雷(かみ)解け」の意)雷が落ちること。落雷。かんとき。かんとけ。かみとき。*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕一「雷公 霹靂電附 〈略〉釈名云霹靂〈霹音辟靂音歴也 和名加美渡計〉霹坼也靂也所歴皆破坼也」【語源説】(1)神解の義〔箋注和名抄〕。(2)雷解の義〔大言海〕。(3)トキは疾の意〔東雅〕。(4)カムツキ(神着)の転呼。雷が地につく意〔日本古語大辞典=松岡静雄〕。【辞書】和名・色葉・言海【表記】【霹靂】和名・色葉・言海
かみ‐とき【神解・霹靂】〔名〕「かみとけ(神解)」に同じ。*日本霊異記〔八一〇(弘仁元)〜八二四(天長元)〕上・五「霹靂(カミトキ)に当りし楠(くすのき)有り〈国会図書館本訓釈 霹靂 二合可美止支乃〉」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「霹靂 カミオツ 一云カミトキ」【辞書】色葉・名義・言海【表記】【霹靂】色葉・名義
かむ‐とけ【神解】〔名〕→かんとけ(神解)
かむ‐とき 【神解】〔名〕→かんとき(神解)
かん‐とけ【神解】〔名〕(「かむとけ」と表記)「かみとけ(神解)」に同じ。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕天智八年八月(北野本訓)「是の秋、藤原内大臣の家に霹礰(カムトケ)せり」*万葉集〔八C後〕一三・三二二三「霹靂(かむとけ)の 日香空の 九月の 時雨の降れば 雁がねも いまだ来鳴かぬ〈作者未詳〉」【語誌】(1)挙例の「万葉‐一三」の「霹靂」は、『万葉集童蒙抄』では「ナルカミ」と訓んでいるが、一般には「カムトケ」と訓まれている。(2)この語は、雷が落ちて木や岩が裂けることを意味する語であると考えられ、音の鳴る方に主眼をおいた「なるかみ(雷鳴)」とその意を異にする。(3)「霹靂」は字音語「ヘキレキ」として用いられていくが、「カムトケ」は中世以降の文献にはほとんど現われることがない。【辞書】言海【表記】【霹靂】言海
かん‐とき【神解】〔名〕(「かむとき」とも表記)「かみとけ(神解)」に同じ。*日本書紀〔七二〇(養老四)〕推古二六年八月(岩崎本訓)「好き材を得て将に伐(き)らむと将(す)。時に人有りて曰く、霹靂(カムトキ)の木なり、伐る可からず、といふ」*延喜式〔九二七(延長五)〕三・神祇・臨時祭「霹靂神祭〈略〉右荒魂。和魂各中分。並煮レ粥而祭。若新有二霹靂神一者。依レ件鎮祭。移二弃山野一」【語源説】(1)カミトケ(雷解)の転〔大言海〕。(2)トキはイカツチのツチと同語。カントキは疾雷の義〔東雅〕。【辞書】言海【表記】【霹靂】言海
へき‐れき【霹靂】〔名〕(1)かみなり。いかずち。雷鳴。なるかみ。*続日本紀‐天平二年〔七三〇(天平二)〕閏六月庚子「縁二去月霹靂一、勅二新田部親王一、率二神祇官一卜レ之」*譬喩尽〔一七八六(天明六)〕一「霹靂(ヘキレキ)とははたたがみなりなり〈大雷をいへり〉」*篁園全集〔一八四四(弘化元)〕一・五荘行「豈料東軍従二天降、霹靂摧一枯力不レ支」*黒潮〔一九〇二(明治三五)〜〇五〕〈徳富蘆花〉一・一四・四「迅雷耳を掩ふ間もなきクーデターは〈略〉失意の老翁の頭上に霹靂(ヘキレキ)の如く落ちかかったのである」*枚乗‐七発「冬則烈風漂霰飛雪之所レ激也、夏則雷霆霹靂之所レ感也」(2)(─する)雷が激しく鳴ること。稲光りがすること。また、雷が落ちること。*小右記‐長和元年〔一〇一二(長和元)〕六月二八日「一昨同宿、而今日霹二靂彼家一」*今昔物語集〔一一二〇(保安元)頃か〕三一・三七「霹靂する時にも不動ず、大風吹く時にも不揺ず」*師郷記‐永享一二年〔一四四〇(永享一二)〕一一月九日「及二暁天一大雨、霹靂以外事也」(3)(形動タリ)(─する)大きな音の響きわたること。また、そのさま。*太平記〔一四C後〕三九・自太元攻日本事「鉄炮〈略〉霹靂(ヘキレキ)すること閃電光の如くなるを、一度に二三千抛出したるに」*内地雑居未来之夢〔一八八六(明治一九)〕〈坪内逍遙〉一二「霹靂(ヘキレキ)たる雷鼓は、怒浪の船体を撃声なり」*南史‐曹景宗伝「与二年少輩数十騎一拓レ弓、弦作二霹靂声一、箭如二餓鴟叫一」【補注】「霹靂」を古くは「かみとけ」「かみとき」「かんとけ」「かんとき」と訓じた。【発音】〈標ア〉[0]〈京ア〉[0]【辞書】色葉・ヘボン・言海【表記】【霹靂】色葉・ヘボン・言海
《類語表現》
なる‐かみ【鳴神・雷】【一】〔名〕かみなり。なるいかずち。いかずち。らい。《季・夏》*万葉集〔八C後〕一一・二五一三「雷神(なるかみ)のしましとよもしさし曇り雨も降らぬか君をとどめむ〈人麻呂歌集〉」*十巻本和名類聚抄〔九三四(承平四)頃〕一「雷公 霹靂電附兼名苑云雷公一名雷師〈雷音力回反 和名奈流加美 一云以加豆知〉」*観智院本類聚名義抄〔一二四一(仁治二)〕「雷 イカヅチ 一云ナルカミ」*太平記〔一四C後〕一〇・鎌倉兵火事「太刀を打振て、鳴雷(ナルカミ)の落懸る様に、大手をはだけて追ける間」*曾我物語〔南北朝頃〕五・浅間の御狩の事「なるかみおびたたしくして、雨かきくれてふりければ」*謡曲・道成寺‐間狂言〔一六八五(貞享二)〕「『今のはなんであったぞ』『されば鳴る神であらうか』」*鷹〔一九三八(昭和一三)〕〈松本たかし〉昭和一三年「鳴神や暗くなりつつ能最中」【二】(鳴神)歌舞伎十八番の一つ。天和四年(一六八四)に江戸中村座で初演された「門松四天王」(初世市川団十郎作)に始まり、その後諸作品を経て、寛保二年(一七四二)年頃大坂大西芝居で初演された『鳴神不動北山桜』によって定着。朝廷に恨みを持つ鳴神上人は、龍神を封じ込めて天下を旱魃(かんばつ)におとし入れるが、朝廷から遣わされた美女雲の絶間姫の容色に迷って呪法を破ってしまう。現行曲は、岡鬼太郎が『鳴神不動北山桜』によって改訂した一幕物で、明治四三年(一九一〇)二世市川左団次が復活したもの。【方言】〔名〕(1)雷。《なるかみ》東京都八丈島340島根県石見724広島県054771774山口県792大島801愛媛県840846《なるかみさん》愛媛県周桑郡844《なりかみ》青森県南部072秋田県北秋田郡068群馬県吾妻郡012島根県石見724広島県062比婆郡772高田郡779愛媛県840大分県南海部郡939《なりかみさま〔─様〕》大分県東国東郡・速見郡941《なりがみ》下北†051岩手県気仙郡101《ならかみ》島根県那賀郡・江津市725広島県比婆郡772佐賀県887《ならかみさん》長崎県佐世保市902《ならかめ》島根県鹿足郡・那賀郡725《なりかめ》島根県石見724《なるかんがなす》鹿児島県徳之島975(2)声の大きい人。《なりがみ》山形県東田川郡054(3)二月八日と四月八日の早朝、男児たちが鈴を鳴らしながら笹を束ねたもので各家の雨戸をたたき回る悪魔払いの行事。《なりがみ》静岡県榛原郡521【発音】〈標ア〉[0]〈ア史〉平安●●○○〈京ア〉[0]【辞書】和名・色葉・名義・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・易林・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【雷公】和名・色葉・文明・伊京・明応・天正・饅頭・黒本・書言【雷師】色葉・易林・書言【雷】名義・ヘボン【雷神・豊隆・阿香・動神】書言【鳴神】言海
【語解析】ここで、小学館『日国』第二版では、標記語「霹靂」の語例は右の如くであって、
⑴かむ‐とけ【神解】〔名〕→かんとけ(神解)。
⑵かむ‐とき 【神解】〔名〕→かんとき(神解)。
⑶かん‐とけ【神解】〔名〕(「かむとけ」と表記)。
⑷かん‐とき【神解】〔名〕(「かむとき」とも表記)
の見出し語では標記語「霹靂」は削除され、唯一
⑸「かみ‐とき【神解・霹靂】〔名〕「かみとけ(神解)」に同じ。」
で「霹靂」と「神解」が同意表現であったことが見られるのである。
文献作品資料としては、『日本書紀』〔七二〇(養老四)年〕推古二十六年八月(岩崎本訓)に、
〈図参照〉
とあって、標記語「霹靂」で、訓みを「カムトキ」と記載する。
通番原文『日本書紀』漢字
語訓 卷
4081則當時、雷電霹靂、蹴裂其磐、令通水。霹靂カムトキ第九
9919時有人曰、霹靂木也。霹靂カムトキ第廿二
9926雖十餘霹靂、不得犯河邊臣。霹靂カムトキ第廿二
13344己亥、霹靂新宮西廳柱。霹靂カムトキ第廿九
とあって、四例を見出す。このうち通番九九一九の「時有人曰、霹靂木也」のところに、語訓「カムノキ」と記載する例を『日国』第二版、『古語大鑑』第二巻〔一二五頁〕が所載し、
○好き材を得て将に伐(き)らむと将(す)。時に人有りて曰く、霹靂(カムトキ)の木なり、伐る可からず、といふ。
○霹靂(カムトキ)の木なり〔也〕、伐(る)可(から)不(霹靂木也不可伐)〔岩崎本推古紀平安中期点333〕
としている。これを慶長十一年版『日本書紀』で見ておくと、
〈図参照〉
とあって、標記語「霹靂」で訓みを「カントキ」としている。
そのうえ、『万葉集』にも、卷十三の三二二三番に、
霹靂之日香天之九月乃鐘礼乃落者鴈音文未来鳴甘南備乃清三田屋乃垣津田乃池之堤之
とあって、曼珠院本『万葉集』は、標記語「霹靂」で和訓「カミトケ」を収載している。
『続日本紀』〔蓬左文庫藏、八木書店刊〕を見ておくと、
○庚子。縁去月霹靂。勅新田部親王。率神祇官卜之。乃遣使奉幣於畿内七道諸社。以礼謝焉。《天平二年(七三〇)閏六月庚子【十七】四六二頁》
とあって、この写本にはふりがな表記が未記載となっていることが確認され、これを小学館『日国』第二版では、見出し語「へきれき【霹靂】の初出用例としていて、これについては疑問としたい。なぜならば、平安時代の古辞書である『和名聚名義抄』と『色葉字類抄』には「カミトケ」「カミトキ」の語例が存在しているからである。さらにまた、観智院本『類聚名義抄』にも、
―[霹]靂辟歴二音/カミオツ[平・平・平・上]/一云カミトキ[平・平・平・平]琴引名 靂正 霨心俗 〔法下六六、天理三四ウ6・7〕
とあって、この『和名類聚抄』からの継承がここにも色濃く見えていて、「カミオツ」と「カミトキ」の両語訓をこちらでは継承所載しているからである。
まとめ
標記語「霹靂」を現在の私たちは字音訓みで「ヘキレキ」と訓むだけにとどまっている。この「霹靂」の古い和訓語として、「カミトケ」や「カミトキ」と云う和訓語があった。曼珠院本『万葉集』の「カミトケ」とか、『日本書紀』の慶長版本類では音便化した「カントケ」「カントキ」と訓んだりもしていたりしてきたのだが……。これを平安時代の源順撰の『和名類聚抄』において、編纂収録され、「霹靂」の語も平安時代末期の『色葉字類抄』にも受け継がれていて、他の資料よりこの字類抄系統の古辞書『節用文字』『世俗字類抄』『伊呂波字類抄』などがこの語訓を鎌倉時代、そして室町時代へと引き継いできたことも明らかにすることができた。この和訓が江戸時代の『譬喩盡』〔一七八六(天明六)年〕卷第一に、「霹靂(ヘキレキ)とははたたがみなりなり〈大雷をいへり〉」の用例をもって、小学館『日国』第二版の見出し語「へきれき【霹靂】」では、その初出用例にしたいと考える。この時代まで「カミトケ」や「カミトキ」の和訓の保持が続いていて、意外にこの和訓は一般世俗化しにくかったと推定しておくことが良いのではないかという立場にある。ここで述べる和訓「はたたがみ」の語をもって、「霹靂」の新たな漢字和訓読みとする。この表出する文学作品資料としては、上田秋成作『雨月物語』に、
○或は霹靂(はたゞがみ)を震ふて怨を報ふ類は。其肉を醢(しゝびしほ)にするとも飽べからず。〔吉備津(きびつ)の釜(かま)〕
○急ぎまゐれといへど。答へもせであるを。近く進みて捕ふとせしに。忽(たちまち)地も裂(さく)るばかりの霹靂(はたゝがみ)鳴響(なりひゞ)くに。許多(あまた)の人迯(にぐ)る間もなくてそこに倒る。〔蛇性(じやせい)の婬(いん)〕
○豐雄漸(やゝ)人ごゝちして。你(なんぢ)正しく人ならぬは。我捕はれて。武士らとともにいきて見れば。きのふにも似ず淺ましく荒果て。まことに鬼の住べき宿に一人居るを。人々ら捕へんとすれば。忽青天霹靂(はたゝがみ)を震ふて。跡なくかき消ぬるをまのあたり見つるに。又逐來て何をかなす。〔蛇性(じやせい)の婬(いん)〕
とあって、標記語「霹靂」を和訓「はたたがみ」に宛ている用例が見えていたりする。
だが、既に現在の日本語では、「かみとき」「かみとけ」の和訓は忘れ去られ、「はたたがみ」も知られにくい語となっている。ただ字音読みの「ヘキレキ」とだけ用いられ、例えば「青天の霹靂」のように読まれるだけの「ことばの代替え現象」が時代の流れに従って起こっていて、その一つの好例な語として、この「霹靂」の漢字に対する和訓読みが當時から脈々と存在していると言えるのではなかろうか。
こうして此の「霹靂」の語を眺めて見たとき、現行の国語辞典や古語辞典などがこの語における和訓読みの流れのなかで、ことばの意味や用例を正しく知らしめていくことの大切さが「温故知新」ではないが一種の古典語回帰に伴って知っておくべきではではないかと考えるている。
《補足メモ》はたたがみ
はたた‐がみ【霹靂神】〔名〕(「はたたく神」の意)激しい雷。へきれき。はたがみ。はたはたがみ。はたたがみなり。《季・夏》*色葉字類抄〔一一七七(治承元)〜八一〕「䨔 ハタタカミ」*御伽草子・御曹子島渡(室町時代物語集所収)〔室町末〕「ささやくこゑはいかつちのごとく、いかれば百せんまんのはたたかみ、なりわたりたるごとくにて」*俳諧・犬子集〔一六三三(寛永一〇)〕一五・雑下「うはなりのいかり来にける其気色 はたた神こそねやに落けれ〈由己〉」*読本・雨月物語〔一七七六(安永五)〕蛇性の婬「忽地も裂るばかりの霹靂(ハタタガミ)鳴響くに」【語源説】(1)ハタタク‐カミ(雷)の義〔大言海〕。(2)ハタハタカミナリ(礑々雷)の義〔言元梯〕。(3)海が荒れ雷が鳴ると鰰(はたはた)が喜んで群れるところから〔齶田の刈寝〕。【発音】ハタタガミ〈標ア〉[タ]〈2〉【辞書】色葉・天正・日葡・書言・ヘボン・言海【表記】【霹靂】書言・ヘボン・言海【䨔】色葉【靂】天正【霆】書言
はたたがみなり【霹靂神鳴】〔名〕「はたたがみ(霹靂神)」に同じ。*玉塵抄〔一五六三(永禄六)〕一八「此の黙したが、はたたがみなりの鳴たやうに説法して文殊と問答した位なり」*玉塵抄〔一五六三(永禄六)〕四九「疾雷は、はたたかみなりのことぞ。〈略〉にわかにはためいて物のわれくだくるやうになるを云ぞ」
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