『新譯伊蘇普物語』上田萬年解説〔一九〇七(明治四〇)年刊〕
第百十九 驢馬(ろば)と小犬(こいぬ)
驢馬(ろば)が、主人(しゆじん)に可愛(かわい)がられる小犬(こいぬ)の身(み)のうえを羨(うら)み、犬(いぬ)めが種々(いろ〱)の御馳走(ごちそう)に飽(あ)いて、榮華(えいが)に育(そだ)ち、大騒(おおさわ)ぎをやられるのわ、唯(たゞ)尾(お)を掉(ふ)つて、戯(ふざ)けまわり飼(かい)主(ぬし)の膝(ひざ)え上(あが)つて甘(あま)えるからなので、他(ほか)に是(これ)と云(い)う能(のう)がないでわないか。
自分(じぶん)も一(ひと)つ犬(いぬ)の眞似(まね)をして、主人(しゆじん)の氣(き)に入(い)ろうと、或(ある)日(ひ)主人(しゆじん)が外(そと)から歸(かえ)つて來(く)るのを待(まち)受(う)けて、ヅカ〱座敷(ざしき)に上(あが)り、其處等(そこら)を爬(か)きまわつたり、跳歩(とびある)いたり、妙(みよう)な樣子(ようす)をして見(み)せました。
主人(しゆじん)が可笑(おかし)がり、默(だま)つて見(み)て居(い)ましたが、驢馬(ろば)わ益(ますま)す圖(ず)に乘(の)つて、狎(な)れ〱しげに主人(しゆじん)の膝(ひざ)え取(とり)つき、前脚(まえあし)で戲(じや)れかゝりますので、此(これ)わ堪(たま)らぬと、主人(しゆじん)も驚(おどろ)いて、大聲(おおごえ)で喚(わめ)きますと、雇人(やといにん)が大勢(おおぜい)駈(かけ)けつけ、寄(よ)つて集(あつま)つて驢馬(ろば)を棒(ぼう)で打据(うちす)えました。
【訓(くん)言(げん)】人(ひと)に本分(ほんぶん)あり、人(ひと)わ其(そ)の本分(ほんぶん)を守(まも)るべし。
【解(かい)説(せつ)】上流(じようりゆう)の風習(ふうしゆう)に慣(な)れぬ者(もの)が、濫(むやみ)に叮嚀(ていねい)に出(で)て、却(かえ)つて人(ひと)を煩(うるさ)がらせるとがありますが、其(そ)の極端(きよくたん)な例(れい)を爰(こゝ)に説(と)き示(しめ)したものです。お世辭(えいじ)も下手(へた)にやれば、却(かえ)つて人(ひと)に厭(いや)がられるばかりで、自分(じぶん)でわ相手(あいて)の機嫌(きげん)を取(と)る心算(つもり)でも、先(さき)わ却(かえ)つて迷惑(めいわく)を感(かん)ずるのですから、禮儀(れいぎ)も大概(たいがい)にして置(お)かなければなりません。美(うま)い物(もの)が、必然(ひつぜん)滋養(じよう)になるとわ決(きま)つたものでもあり。
尚(なお)この驢馬(ろば)の話(はなし)わ、自分(じぶん)の柄(がら)にもない人(ひと)の職(しよく)業(ぎよう)を可羨(うらやま)しがり、或(あるい)わ不適当(ふてきとう)な地位(ちい)を望(のぞ)み、或(あるい)わ自分(じぶん)にわ、迚(とて)も解(わか)つて居(い)そうもない事(こと)を、知(し)つたか振(ふり)に吹聴(ふいちよう)するなど、世(よ)に有(あり)勝(がち)な「我身(わがみ)知(し)らず」の人(ひと)を、譏(そし)つたものとも解(と)れましよう。
それに就(つ)いて面白(おもしろ)い談(はなし)がありますが、昔(むか)し希臘(ぎりしや)の名高(なだか)い畫家(がか)で、アベレスと云う人(ひと)の描いた畫(え)を、或(ある)靴屋(くつや)が見(み)て、畫(え)のなかの人物(じんぶつ)の靴(くつ)の缼點(けつてん)を指摘(してき)した時(とき)、アベレスわ直(たゞ)ちに其(そ)の忠告(ちうこく)を容(い)れ、其(そ)の部分(ぶぶん)を訂正(ていせい)したのです。
處(ところ)が靴屋(くつや)わ、今度(こんど)わ又(また)他(ほか)の部分(ぶぶん)に就(つ)いて、批評(ひひよう)を試(こゝろ)みようとしましたから、アベレスわ「如何(いか)に堪能(たんのう)でも、總(すべ)て他(た)の業(ぎよう)に適(てき)すると云(い)う譯(わけ)にわ行(い)かぬ」と云(い)つて、取(とり)あげなかつたと云(い)う事(こと)です。
人(ひと)にわ各(おの〱)長所(ちようしよ)短所(たんしよ)があるのですから、少(すこ)し物(もの)が出來(でき)ると云(い)つて 威張(いば)るのも惡(わる)いし、又(また)妄(むやみ)に人(ひと)の眞似(まね)をするのも宜(よろ)しくない事(こと)です。
渡邊温譯『通俗伊蘇普物語』明治八年
第四十六 驢馬と狒狗(ちん)の話(60)
或人狒狗(ちん)と驢馬とを畜(か)ふに、驢馬をば遠く廏につなぎ、 飼ふに豆や草を以てし、狒狗をば近く左右(かたはら)におき、 飼ふに膏味(かうみ)を以てして、時にふれては膝へ上げ、 愛玩する事甚し。
驢馬常に思ひけるは、狒狗は毎日遊び戲れ、 旦那へざれては可憐(かあい)がられる、夫に引かへ吾(わし)はマア、 用ばかり多くして、晝は木を牽き、夜は車を廻し、 骨の折れる事ばかり、ナント狒狗が樂でゐられるのは羨敷(うらやましい)わけじやアないか、吾(わし)も狒狗と同じ樣に旦那樣へじやれ付いたら、彼(あれ)と同樣に可憐(かわい)がられるだらうと、或日絆(たづな)をふり切つて座敷の上へ駈上り、爬(かい)たり躍(はね)たり妙な容態(そぶり)で狂ひ廻り、果は主人の飯を喰て居る處へ跳込むと、食机(ぜん)は倒(かへ)る汁は覆(こぼ)れる、皿小鉢は踏こはされる。驢馬はこゝぞと圖に乘て、主人へ抱付き尾を振て、 口をなめんとしたりけるが、恰好(をりよく)臺所より男どもが駈付けて來て、 スハ、旦那の一大事と、手に~棒をふりひらめかし、主人を救ひ驢馬を打倒し、半死半生になしければ、驢馬は頻りに歎息して、「吾(おれ)はマア、 まぜ自己(じぶん)の本文(もちまへ)を守らなかつたらう。
呆狗(くだらねえやつ)の眞似をしてとんだめに逢(あつ)た」。
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