ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)に、膨大な数の中国古印の印影が集録されていることを見つけた。その中で、南北朝官印 総計181印の印影と大きさが示されており、その内容を検討した。その結果は以下のとおりである。
(1)印文に「將軍」が含まれるものは、〇〇將軍章 36印、〇〇將軍印 18印、〇〇將軍之印 6印、〇〇將軍 4印 計64印であった。
(2)印文に軍組織を表す △△軍章、△△軍印、△△軍之印、△△軍 のものはなかった。
1. 「将軍」の印章
(1)〇〇將軍印 18印を記す。(印影の大きさは(横×縦)単位mm、約は省く)→写1
上段 盪難將軍印(方25)、殄寇將軍印(方25)、冠軍將軍印(方28)、宣威將軍印(23×24)、宣威將軍印(方26)、武毅將軍印(方28)
中段 盪寇將軍印(方24)、武奮將軍印(26×28)、殄難將軍印(25×24)、殄難將軍印(24×23)、掃寇將軍印(27×26)、殄寇將軍印(26×25)
下段 威烈將軍印(24×25)、綏邊將軍印(28×27)、武毅將軍印(24×23)、盪逆將軍印(方26)、綏戒將軍印(方23)、虎奮將軍印(方29)
(2)〇〇將軍章 36印を記す。(ゴシックは、高位のもの、及び方30mm以上の大きいものを示す)
立節將軍章、振武將軍章、昭威將軍章、寧遠將軍章、淩江將軍章、裨將軍章、材官將軍章、建威將軍章、討難將軍章、威武將軍章、材官將軍章、安西將軍章(25×26)、振武將軍章、平遠將軍章、寧遠將軍章(方30)、龍驤將軍章(方32)、平南將軍章(27×28)、寧朔將軍章、安北將軍章(方32)、冠軍將軍章、盪難將軍章、淩江將軍章、宣恵將軍章、牙門將軍章、開遠將軍章(30×31)、烈武將軍章、伏波將軍章、明威將軍章、安遠將軍章、材官將軍章、假伏波將軍章、建中將軍章、武毅將軍章、左衛將軍章、明威將軍章、明威將軍章
(3)〇〇將軍之印 6印を記す。
伏義將軍之印、飆猛將軍之印、飆勇將軍之印、衝冠將軍之印、虎毅將軍之印、蕩寇將軍之印
(4)〇〇將軍 4印を記す。
討難將軍、振威將軍、廣武將軍、伏波將軍、計4印
2. 検討
「将軍」の印章について気付いた事を列挙する。
(1)印章は、官位官職を表しその職にある人に授与される。だから印文には官位官職を表す「将軍」の文字がある。64印のほとんどが雑号将軍と言われるものであった。2) 但し、時代により将軍号と官位の対応は違うようである。3)
(2)・〇〇將軍印の18印は、第六品~第八品の下級官位のものであった。
・〇〇將軍章の36印には、第五品より高位のものが多かった。
(3)・〇〇將軍印の内、最も大きな印影は虎奮將軍印(方29)であり、多くが方25付近であった。
・〇〇將軍章の内、最も大きな印影は、龍驤將軍章(方32)、安北將軍章(方32)であった。
・伊豫軍印のように方36.9mmと大きいものはなかった。
(4)・全て 鑿印 陰刻 白文 篆書体 であった。
・「印」の字は、篆書体がほとんどで、あと小さく卬のような字ものがあった。
・「軍」の字は、篆書体で、冖の両側が長い。
3. 朱文印のはじまり
南北朝官印181印の中に、唯一の「朱文」の印影があった。それは、「永興郡印」(方50mm)である。このホームぺージには、史話として以下のように記している。→写2
「中国秦漢は、紙が広く使用されていなかった時であり、印痕のほとんどは封泥で示されていた。 絹や紙に朱肉で捺印することは、南斉(479-502)の頃に始まった。その根拠は、甘肅敦煌石室所藏「古寫雜阿毘曇心論殘經」の巻末と巻物背には「永興郡印」朱文大印がある事である。「永興」という地名は南斉時代では「郡」と呼ばれていたことがわかった。よって朱肉印の使用はこの時期に始まったと推定される。」
まとめ
1. 南北朝の印文で「〇〇將軍印」はあったが 「△△軍印」はなかった。
2. 将軍印、将軍章の中で最も大きいものは方32mmで、伊豫軍印方36.9mmより小さいものであった。
3. 全て、鑿印 陰刻 白文 篆書体 であり、伊豫軍印とは異なっていた。
4. 朱文印は南斉(479-502)の頃に始まったとされる根拠の「永興郡印」が載っていた。
注 引用文献
1. ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
真微印庫>印學在線>數位印譜>名家風範單元>朝代璽印篇>南北朝璽印印譜
2. web. http://id40.fm-p.jp>daigourei 卒業論文「後漢から西晋までの将軍号の変遷」より
後漢、魏、西晋等において
実質的な将軍(高位、中国では重号将軍といわれることもある)
征東将軍、征南将軍、征西将軍、征北将軍
鎮東将軍、鎮南将軍、鎮西将軍、鎮北将軍
安東将軍、安南将軍、安西将軍、安北将軍
平東将軍、平南将軍、平西将軍、平北将軍
雑号将軍(目的や美称、役職に応じて置かれた将軍号。以下は、魏書に記されているもので、九品官人法によって序列ごとに分けられた。総数は96あり)
従第一品下:中軍将軍、鎮軍将軍、撫軍将軍
第二品上:領軍将軍、護軍将軍
第二品下:凡将軍
従第二品上:左衛将軍
従第二品下:武衛将軍、右衛将軍
第三品上:征虜将軍、輔国将軍、龍驤将軍
従第三品上:驍騎将軍
従第三品下:鎮遠将軍、安遠将軍、建遠将軍、建中将軍、建節将軍、立義将軍、立忠将軍、立節将軍、恢武将軍、勇武将軍、曜武将軍、顯武将軍、直閤将軍
第四品上:中堅将軍、中壘将軍、寧朔将軍、揚威将軍
第四品中:建威将軍、振威将軍、奮威将軍
第四品下:建武将軍、振武将軍、奮武将軍、揚武将軍、廣武将軍、廣威将軍
従第四品下:戟楯虎賁将軍、募員虎賁将軍、高車虎賁将軍、左右積弩射将軍、強弩将軍
第五品上:鷹揚将軍、折衝将軍、寧遠将軍、揚烈将軍、伏波将軍、軽車将軍、威遠将軍、虎威将軍、殿中将軍、陵江将軍、平漠将軍
従第五品中:武士将軍、宿衛将軍
従第五品下:員外将軍
第六品上:宣威将軍、明威将軍、襄武将軍、厲威将軍
第六品中:威烈将軍、滅寇将軍、威虜将軍、威戒将軍、威武将軍
第六品下:武烈将軍、武毅将軍、武奮将軍
第七品上:綏遠将軍、綏虜将軍、綏邊将軍
第七品中:討虜将軍、討難将軍、討夷将軍
第七品下:盪寇将軍、盪虜将軍、盪難将軍、盪逆将軍
第八品上:殄寇将軍、殄虜将軍、殄難将軍、殄夷将軍
第八品中:掃寇将軍、掃虜将軍、掃難将軍、掃逆将軍
第八品下:厲武将軍、厲鋒将軍、虎牙将軍、虎奮将軍、
第九品上:廣野将軍、横野将軍、偏将軍、裨将軍
3. Wikipedia「将軍」より
「南朝宋における将軍号の序列(五品まで)」
一品 大将軍
二品 驃騎・車騎・衛、諸大将軍
三品 四征(征東・征南・征西・征北)四鎮(鎮東・鎮南・鎮西・鎮北)中軍・鎮軍・撫軍 四安(安東・安南・安西・安北)四平(平東・平南・平西・平北) 前・左・右・後 征虜・冠軍・輔国・龍驤
四品 左衛・右衛・驍騎・遊撃 左軍・右軍・前軍・後軍 寧朔 建威・振威・奮威・揚威・広威 建武・振武・奮武・揚武・広武
五品 積射・彊弩 鷹揚・折衝・軽車・揚烈・寧遠・材官・伏波・凌江
4. ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
篆刻講座>印章史話>璽印的遺跡>最早的朱泥印痕
写1. 南北朝の〇〇將軍印一覧 ホームぺージ「真微印網」(台湾)より抽出し作成
写2. 「永興郡印」 ホームぺージ「真微印網」(台湾)より
(1)印文に「將軍」が含まれるものは、〇〇將軍章 36印、〇〇將軍印 18印、〇〇將軍之印 6印、〇〇將軍 4印 計64印であった。
(2)印文に軍組織を表す △△軍章、△△軍印、△△軍之印、△△軍 のものはなかった。
1. 「将軍」の印章
(1)〇〇將軍印 18印を記す。(印影の大きさは(横×縦)単位mm、約は省く)→写1
上段 盪難將軍印(方25)、殄寇將軍印(方25)、冠軍將軍印(方28)、宣威將軍印(23×24)、宣威將軍印(方26)、武毅將軍印(方28)
中段 盪寇將軍印(方24)、武奮將軍印(26×28)、殄難將軍印(25×24)、殄難將軍印(24×23)、掃寇將軍印(27×26)、殄寇將軍印(26×25)
下段 威烈將軍印(24×25)、綏邊將軍印(28×27)、武毅將軍印(24×23)、盪逆將軍印(方26)、綏戒將軍印(方23)、虎奮將軍印(方29)
(2)〇〇將軍章 36印を記す。(ゴシックは、高位のもの、及び方30mm以上の大きいものを示す)
立節將軍章、振武將軍章、昭威將軍章、寧遠將軍章、淩江將軍章、裨將軍章、材官將軍章、建威將軍章、討難將軍章、威武將軍章、材官將軍章、安西將軍章(25×26)、振武將軍章、平遠將軍章、寧遠將軍章(方30)、龍驤將軍章(方32)、平南將軍章(27×28)、寧朔將軍章、安北將軍章(方32)、冠軍將軍章、盪難將軍章、淩江將軍章、宣恵將軍章、牙門將軍章、開遠將軍章(30×31)、烈武將軍章、伏波將軍章、明威將軍章、安遠將軍章、材官將軍章、假伏波將軍章、建中將軍章、武毅將軍章、左衛將軍章、明威將軍章、明威將軍章
(3)〇〇將軍之印 6印を記す。
伏義將軍之印、飆猛將軍之印、飆勇將軍之印、衝冠將軍之印、虎毅將軍之印、蕩寇將軍之印
(4)〇〇將軍 4印を記す。
討難將軍、振威將軍、廣武將軍、伏波將軍、計4印
2. 検討
「将軍」の印章について気付いた事を列挙する。
(1)印章は、官位官職を表しその職にある人に授与される。だから印文には官位官職を表す「将軍」の文字がある。64印のほとんどが雑号将軍と言われるものであった。2) 但し、時代により将軍号と官位の対応は違うようである。3)
(2)・〇〇將軍印の18印は、第六品~第八品の下級官位のものであった。
・〇〇將軍章の36印には、第五品より高位のものが多かった。
(3)・〇〇將軍印の内、最も大きな印影は虎奮將軍印(方29)であり、多くが方25付近であった。
・〇〇將軍章の内、最も大きな印影は、龍驤將軍章(方32)、安北將軍章(方32)であった。
・伊豫軍印のように方36.9mmと大きいものはなかった。
(4)・全て 鑿印 陰刻 白文 篆書体 であった。
・「印」の字は、篆書体がほとんどで、あと小さく卬のような字ものがあった。
・「軍」の字は、篆書体で、冖の両側が長い。
3. 朱文印のはじまり
南北朝官印181印の中に、唯一の「朱文」の印影があった。それは、「永興郡印」(方50mm)である。このホームぺージには、史話として以下のように記している。→写2
「中国秦漢は、紙が広く使用されていなかった時であり、印痕のほとんどは封泥で示されていた。 絹や紙に朱肉で捺印することは、南斉(479-502)の頃に始まった。その根拠は、甘肅敦煌石室所藏「古寫雜阿毘曇心論殘經」の巻末と巻物背には「永興郡印」朱文大印がある事である。「永興」という地名は南斉時代では「郡」と呼ばれていたことがわかった。よって朱肉印の使用はこの時期に始まったと推定される。」
まとめ
1. 南北朝の印文で「〇〇將軍印」はあったが 「△△軍印」はなかった。
2. 将軍印、将軍章の中で最も大きいものは方32mmで、伊豫軍印方36.9mmより小さいものであった。
3. 全て、鑿印 陰刻 白文 篆書体 であり、伊豫軍印とは異なっていた。
4. 朱文印は南斉(479-502)の頃に始まったとされる根拠の「永興郡印」が載っていた。
注 引用文献
1. ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
真微印庫>印學在線>數位印譜>名家風範單元>朝代璽印篇>南北朝璽印印譜
2. web. http://id40.fm-p.jp>daigourei 卒業論文「後漢から西晋までの将軍号の変遷」より
後漢、魏、西晋等において
実質的な将軍(高位、中国では重号将軍といわれることもある)
征東将軍、征南将軍、征西将軍、征北将軍
鎮東将軍、鎮南将軍、鎮西将軍、鎮北将軍
安東将軍、安南将軍、安西将軍、安北将軍
平東将軍、平南将軍、平西将軍、平北将軍
雑号将軍(目的や美称、役職に応じて置かれた将軍号。以下は、魏書に記されているもので、九品官人法によって序列ごとに分けられた。総数は96あり)
従第一品下:中軍将軍、鎮軍将軍、撫軍将軍
第二品上:領軍将軍、護軍将軍
第二品下:凡将軍
従第二品上:左衛将軍
従第二品下:武衛将軍、右衛将軍
第三品上:征虜将軍、輔国将軍、龍驤将軍
従第三品上:驍騎将軍
従第三品下:鎮遠将軍、安遠将軍、建遠将軍、建中将軍、建節将軍、立義将軍、立忠将軍、立節将軍、恢武将軍、勇武将軍、曜武将軍、顯武将軍、直閤将軍
第四品上:中堅将軍、中壘将軍、寧朔将軍、揚威将軍
第四品中:建威将軍、振威将軍、奮威将軍
第四品下:建武将軍、振武将軍、奮武将軍、揚武将軍、廣武将軍、廣威将軍
従第四品下:戟楯虎賁将軍、募員虎賁将軍、高車虎賁将軍、左右積弩射将軍、強弩将軍
第五品上:鷹揚将軍、折衝将軍、寧遠将軍、揚烈将軍、伏波将軍、軽車将軍、威遠将軍、虎威将軍、殿中将軍、陵江将軍、平漠将軍
従第五品中:武士将軍、宿衛将軍
従第五品下:員外将軍
第六品上:宣威将軍、明威将軍、襄武将軍、厲威将軍
第六品中:威烈将軍、滅寇将軍、威虜将軍、威戒将軍、威武将軍
第六品下:武烈将軍、武毅将軍、武奮将軍
第七品上:綏遠将軍、綏虜将軍、綏邊将軍
第七品中:討虜将軍、討難将軍、討夷将軍
第七品下:盪寇将軍、盪虜将軍、盪難将軍、盪逆将軍
第八品上:殄寇将軍、殄虜将軍、殄難将軍、殄夷将軍
第八品中:掃寇将軍、掃虜将軍、掃難将軍、掃逆将軍
第八品下:厲武将軍、厲鋒将軍、虎牙将軍、虎奮将軍、
第九品上:廣野将軍、横野将軍、偏将軍、裨将軍
3. Wikipedia「将軍」より
「南朝宋における将軍号の序列(五品まで)」
一品 大将軍
二品 驃騎・車騎・衛、諸大将軍
三品 四征(征東・征南・征西・征北)四鎮(鎮東・鎮南・鎮西・鎮北)中軍・鎮軍・撫軍 四安(安東・安南・安西・安北)四平(平東・平南・平西・平北) 前・左・右・後 征虜・冠軍・輔国・龍驤
四品 左衛・右衛・驍騎・遊撃 左軍・右軍・前軍・後軍 寧朔 建威・振威・奮威・揚威・広威 建武・振武・奮武・揚武・広武
五品 積射・彊弩 鷹揚・折衝・軽車・揚烈・寧遠・材官・伏波・凌江
4. ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
篆刻講座>印章史話>璽印的遺跡>最早的朱泥印痕
写1. 南北朝の〇〇將軍印一覧 ホームぺージ「真微印網」(台湾)より抽出し作成
写2. 「永興郡印」 ホームぺージ「真微印網」(台湾)より
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