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立川銅山(19) 宇摩郡土居の伊予鉱山も元禄2年頃の発見と伝えられる

2022-06-26 08:28:50 | 趣味歴史推論
 天領の(2023.1.15訂正)宇摩郡土居の伊予銅山も元禄2年発見と伝えられていると「四国鉱山誌」にあった。

「四国鉱山誌」(昭和32年 1957)1)
伊予鉱山
宇摩郡土居町 
鉱業権者 日本鉱業(株)
 元禄2年頃の発見と伝えられているが、確実な記録は残っていない。
明治30年(1897)に当地方の豪農山中好夫氏が鉱業権を得て、露頭付近の探鉱と採掘を始め、山元で製錬も行ったが、鉱量が少なく休止した。明治40年(1907)に徳島県の影山矩公、奥田某両氏が共同経営で採掘に当たり、露頭の下部およそ60m地点から延長130mの第1大切坑を開鑿し、鋭意開発に努めた。(以下略)

考察
 伊予鉱山は、浦山川(関川の支流)の最上流部で二ツ岳の北にあり、当時そこは天領八日市陣屋一柳権之丞領(2023.1.15訂正)であった。
元禄2年とはっきり発見年を伝えた史料はなにか。発見者や開坑者は誰か。山中好夫3)の文書や伝記に何か参考になる記載はないか。発見が別子開坑以前であることで、佐々連鉱山と同様に注目したい。

まとめ
 天領宇摩郡土居の伊予鉱山も元禄2年頃の発見と伝えられる。

注 引用文献
1. 四国通商産業局編「四国鉱山誌」p257(四国商工協会 昭和32年 1957)
2. 「伊予三島市史 下巻」p257(伊予三島市史編纂委員会編 昭和61年 1986)
3.  web. 愛媛県史 人物(平成元年)
山中好夫(やまなかよしお)嘉永5年~大正11年(1852~1922)
県会議員,三島銀行頭取。郡内一の資産家で,明治23年には国税地租1,009円を納めて貴族院多額納税議員の互選者に指名された。その資財を死蔵することなく,よく経済・産業・教育・公共などのために活用,広壮な晩翠館を私費で建設して村民の公共の用に充て,32年8月の関川大水害に私財を投じて復旧に役立て,小学校校舎の建築に多額の寄付をするなど,村の発展を資金面で援助した。

補 筆者のメモである。稼行者 
大正5年(1916)高田商会 第2大切坑開鑿
大正13年(1924)大坂の新居田直太郎 本格的操業着手
昭和10年(1935)日本鉱業(株)佐賀関製錬所へ送鉱 17年休山
昭和31年(1956)日本鉱業(株) 40年代廃鉱


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