母は 手が動かない と言いながら
自分の好きなおかずが出ると 箸を持てる不思議
機嫌が良いと オシメ替えの時も ちゃんと脛が曲がる
ずいぶんとインチキ臭い認知症だけれど
もともと そういう性格を持った人だから
こちらも あんまり 母を信用したくなくなる
幻視幻聴の世界で 一人楽しんでいればいいのだけれど
ふと思う なぜ 寝たきりになる人が多いのだろうか と
2018年4月28日撮影 突然現れた アゲハ蝶だけど なぜか小さい^^
スウェーデンにはなぜ「寝たきり老人」がいないのか
幸福度世界1位「北欧の楽園」に学ぶ老いと死
・・・・前略・・・・
国を一つの「家族」と考える
現在の日本の病院では、死ぬ間際まで点滴やカテーテルを使った静脈栄養を行う延命措置が一般的。
たとえベッドの上でチューブだらけになって、身動きが取れなくなっても、
できるだけ長く生きてほしいという考えが支配的だからだ。
しかし、そのような日本の現状を聞いた冒頭のヨハンソンさんはこう語る。
「スウェーデンでも'80年代までは無理な延命治療が行われていましたが、
徐々に死に方に対する国民の意識が変わってきたのです。
長期間の延命治療は本人、家族、社会にとってムダな負担を強いるだけだと気付いたのです。
日本のような先進国で、いまだに無理な延命が行われているとは正直、驚きました」
北海道中央労災病院長の宮本顕二氏は、
「スウェーデンの終末医療が日本と根本的に違うのは、
たとえ施設に入っても原則的に同じ施設で亡くなるという点にある」と語る。
「日本の場合だと介護施設に入っても、病状が悪化すれば病院に搬送され、
本人の意思にかかわらず治療と延命措置が施されます。
施設と病院を行ったり来たりして最終的に病院で亡くなるケースがほとんどです。
自宅で逝きたいと思っても、延命なしで看取ってくれる医師が少ない。
一方、スウェーデンではたとえ肺炎になっても内服薬が処方される程度で注射もしない。
過剰な医療は施さず、住み慣れた家や施設で息を引き取るのが一番だというコンセンサスがあるのです」
介護する側もされる側も、寝たきりにならないように努力をする。
それでもそのような状態に陥ってしまえば、
それは死が近づいたサインだということで潔くあきらめる。
それがスウェーデン流の死の迎え方なのだ。
このような介護体制を根底から支えているのは、充実した介護福祉の人材である。
介護士は独居老人の家を頻繁に回り、
短い場合は15分くらいの滞在時間でトイレを掃除し、
ベッドメイクを済ませ、高齢者と会話をして帰るというようなことをくり返す。
日本では介護というと、どうしても医療からの発想になりがちで、
手助けよりも治療という対処に傾きやすい。
スウェーデン福祉研究家の藤原瑠美氏は語る。
「日本の場合は病院経営をする医師などが主導権を持っているケースが多く、
すぐ投薬・治療という方向になる。
しかし、スウェーデンの場合は介護士たちが大きな権限を与えられていて、
認知症の場合には薬を使うよりも、
本人がどんな助けを必要としているか汲みとることが重視されています。
例えば私が調査した3万人ほどの自治体では2300人の職員がおり、
そのうち400人が介護福祉士でした。
介護は重要な雇用創出の機会にもなっているのです」
日本では介護士というと薄給なわりにきつい仕事というイメージだが、
スウェーデンでは安定した公務員で、経済的に困窮するようなこともない。
藤原氏によると、スウェーデンでは認知症の人のうち約半数が独居しているという。
しかしそれで大きな問題が起きたこともない。
日本では'07年に認知症患者が徘徊して起こした鉄道事故で、
監督責任を問われた遺族が鉄道会社から損害賠償を求められるという裁判があったが、
このようなケースはスウェーデンでは考えられない。
「この国では、介護の負担はすべて国や自治体がします。
『国は一つの大きな家族である』という発想が定着していて、
家族が介護のために経済的負担を強いられるということもありません。
また、施設を訪れた家族が、食事や入浴の手伝いをすることもまずありません。
家族は一緒に楽しい時間を過ごしてもらえばそれでいいのです」(前出のヨハンソンさん)
老後破産や孤独死、老老介護による共倒れなどがますます深刻化している
日本の現状から見ると、まさに「北欧の楽園」だ。
後編では、このような「幸福国家」を支える社会システムに迫ろう。
「週刊現代」2015年9月26日・10月6日合併号より