高福祉・高負担の国で知られるスウェーデンが実は「寝たきりゼロ」社会だとご存じだろうか。幸福度調査で常に上位にランクインする「幸せの国」の住民は、どのように老い、死を迎えているのか?
最後まで人生を楽しむ
「ここでは、何より本人の意思が一番に尊重されます。散歩に出るのでも普通は誰かが付き添いますが、どうしても一人で散歩したいという人がいれば、家族の同意のもと、GPS付きの携帯を持たせて出かけるのを許可します。それで本人が事故に遭ったとしてもあくまで自己責任なので、施設の責任が問われることはありません。
もちろん、ベッドにしばりつけるようなこともありません。私たちが行うのは介護であって拷問ではないのですから。アルコールを飲みたいという人には、よほど健康上の理由がない限り、飲ませます。最後まで人生を楽しめるように助けるのが、私たちの仕事なんです」(ヨハンソンさん)
高福祉国家として知られるスウェーデンは、OECD(経済協力開発機構)が行う国別幸福度ランキングでも上位の常連だ('13年度はオーストラリアと並んで1位。日本は21位)。
スウェーデン人の平均寿命は81.7歳。日本人の83.1歳に比べれば短いが、それなりの長寿国である。にもかかわらず、この国には寝たきりになる老人がほとんどいないという。
子供と暮らさない
基本的な前提としてスウェーデンの高齢者は、子供などの親族と暮らすことをしない。夫婦二人か、一人暮らしの世帯がほとんどで、子供と暮らしている人は全体の4%に過ぎない(日本は44%)。
これは「自立した強い個人」が尊ばれる伝統に根差したもので、高齢者に限らず、若者も義務教育を終えた16歳から親の家を出て一人暮らしを始めるのが普通だ。だからといって家族関係が希薄というわけではなく、近くに住んで頻繁に交流する家族は多い。
「胃ろう」は虐待になる
独立して生活している高齢者が体調を崩し、誰かの世話が必要になった場合でも、家族が全面的に介護することはありえない。
「コミューン」と呼ばれる市町村にあたる自治体が高齢者の希望に沿う形で、サービスを提供することになっている。そして介護は在宅サービスが基本だ。
「日本では要介護認定されれば、在宅サービスを利用してもいいし、施設サービスを利用してもいい。これは、当該の高齢者や家族が自由に選べる『選択モデル』です。
一方でスウェーデンでは要介護状態になったら、できるだけ在宅での介護が行われます。介護付きの特別住宅に入りたいと申請しても、それを認めるかどうかは『援助判定員』というコミューンの専門職員の判断に任せられる。本当の人生の終末期にしか施設に入ることが許さない、『順序モデル』が基本なのです」(前出の西下氏)
「順序モデル」が取られているせいで、日本だったら確実に施設に入っているような認知症の高齢者でも、在宅介護が行われる。症状や要介護状態に応じて、一日に5度も6度も介護士がやってきていろいろと面倒を見るというケースが一般的だ。65歳以上の高齢者で特別住宅に暮らしているのは6%。つまり、高齢者の9割以上は自宅で暮らしている。
スウェーデンがここまで在宅介護と順序モデルにこだわるのには、2つの理由がある。1つは先ほども述べた「自立した個人」を尊ぶ文化。できるだけ最後まで自分の家で自分の力で暮らしたい、暮らしてほしいという考え方からくるものだ。
そしてもう1つは財源の問題だ。スウェーデンでは、介護の財源はすべて税金でまかなわれている。老人になれば誰でも少ない自己負担(上限が月1780クローナ=約2万5600円)で、介護サービスを受ける資格がある。
ただし、いくら税率の高い高負担国家でも、老人の面倒をすべて税金で見るのは限界がある。施設で24時間介護を行うよりも、在宅で何度も介護士を派遣するほうが結局はコスト的に安く上がるため、在宅介護が推奨されるのだ。
だが、そのことが結果として寝たきり老人の発生を防いでいる。寝たきりになってしまえば在宅介護は不可能になるからだ。
従って、介護士たちはできるだけ高齢者が自立した生活を送り、自分の口で食事をできるようにサポートする。国際医療福祉大学大学院の高橋泰教授が語る。
「スウェーデンを始めとした北欧諸国では、自分の口で食事をできなくなった高齢者は、徹底的に嚥下訓練が行われますが、それでも難しいときには無理な食事介助や水分補給を行わず、自然な形で看取ることが一般的です。
それが人間らしい死の迎え方だと考えられていて、胃に直接栄養を送る胃ろうなどで延々と生きながらえさせることは、むしろ虐待だと見なされているのです」
国を一つの「家族」と考える
現在の日本の病院では、死ぬ間際まで点滴やカテーテルを使った静脈栄養を行う延命措置が一般的。たとえベッドの上でチューブだらけになって、身動きが取れなくなっても、できるだけ長く生きてほしいという考えが支配的だからだ。
しかし、そのような日本の現状を聞いた冒頭のヨハンソンさんはこう語る。
「スウェーデンでも'80年代までは無理な延命治療が行われていましたが、徐々に死に方に対する国民の意識が変わってきたのです。長期間の延命治療は本人、家族、社会にとってムダな負担を強いるだけだと気付いたのです。
日本のような先進国で、いまだに無理な延命が行われているとは正直、驚きました」
北海道中央労災病院長の宮本顕二氏は、「スウェーデンの終末医療が日本と根本的に違うのは、たとえ施設に入っても原則的に同じ施設で亡くなるという点にある」と語る。
「日本の場合だと介護施設に入っても、病状が悪化すれば病院に搬送され、本人の意思にかかわらず治療と延命措置が施されます。施設と病院を行ったり来たりして最終的に病院で亡くなるケースがほとんどです。自宅で逝きたいと思っても、延命なしで看取ってくれる医師が少ない。
一方、スウェーデンではたとえ肺炎になっても内服薬が処方される程度で注射もしない。過剰な医療は施さず、住み慣れた家や施設で息を引き取るのが一番だというコンセンサスがあるのです」
介護する側もされる側も、寝たきりにならないように努力をする。それでもそのような状態に陥ってしまえば、それは死が近づいたサインだということで潔くあきらめる。それがスウェーデン流の死の迎え方なのだ。
このような介護体制を根底から支えているのは、充実した介護福祉の人材である。介護士は独居老人の家を頻繁に回り、短い場合は15分くらいの滞在時間でトイレを掃除し、ベッドメイクを済ませ、高齢者と会話をして帰るというようなことをくり返す。
日本では介護というと、どうしても医療からの発想になりがちで、手助けよりも治療という対処に傾きやすい。
スウェーデン福祉研究家の藤原瑠美氏は語る。
「日本の場合は病院経営をする医師などが主導権を持っているケースが多く、すぐ投薬・治療という方向になる。
しかし、スウェーデンの場合は介護士たちが大きな権限を与えられていて、認知症の場合には薬を使うよりも、本人がどんな助けを必要としているか汲みとることが重視されています。
例えば私が調査した3万人ほどの自治体では2300人の職員がおり、そのうち400人が介護福祉士でした。介護は重要な雇用創出の機会にもなっているのです」
日本では介護士というと薄給なわりにきつい仕事というイメージだが、スウェーデンでは安定した公務員で、経済的に困窮するようなこともない。
藤原氏によると、スウェーデンでは認知症の人のうち約半数が独居しているという。しかしそれで大きな問題が起きたこともない。
日本では'07年に認知症患者が徘徊して起こした鉄道事故で、監督責任を問われた遺族が鉄道会社から損害賠償を求められるという裁判があったが、このようなケースはスウェーデンでは考えられない。
「この国では、介護の負担はすべて国や自治体がします。『国は一つの大きな家族である』という発想が定着していて、家族が介護のために経済的負担を強いられるということもありません。
また、施設を訪れた家族が、食事や入浴の手伝いをすることもまずありません。家族は一緒に楽しい時間を過ごしてもらえばそれでいいのです」(前出のヨハンソンさん)
老後破産や孤独死、老老介護による共倒れなどがますます深刻化している日本の現状から見ると、まさに「北欧の楽園」だ。
後編では、このような「幸福国家」を支える社会システムに迫ろう。
→後編はこちら
「週刊現代」2015年9月26日・10月6日合併号より
以前どこかにも書いた記憶がありますが
大切なお話は 何度も何度も読んでみたいと思いました。
霧散して)
1年前 / 259リアクション /出典:imgfave-chat-herokuapp-com.global.ssl.fastly.net