ご近所を散歩していて偶然見つけました。
1.三井財閥総帥
團琢磨は14歳の明治4年に岩倉使節団と同行渡米し、7年後マサチューセッツ工科大学鉱山学科を卒業し帰国しました。
明治政府は全国から優秀な人材を募り、海外留学をさせたのですね。
帰国後は大阪専門学校から東京大学の助教授へ経て、1884年に明治政府工部省に入省し三池鉱山局技師となりますが、三池鉱山が政府から三井に売却された後三井に移ります。
三池鉱山で数々の業績を上げ利益は三井銀行を抜き三井物産と肩を並べるようになり、1909年に三井鉱山会長となります。
1914年には三井合名会社理事長に就任し、ついに三井財閥の総帥となります。
2.養子先は勘定奉行
古地図は上が南でお城に近く、養子先は上席の家柄だったとわかります。
3.静かな住宅地
現在は跡地にマンションが建設されていますが、周りは静かな住宅地です。
当時は武家屋敷が並び、この路地を少年の團琢磨が駆け抜けていたのでしょう。
撮影:CANON EOS M3
1.三井財閥総帥
團琢磨は14歳の明治4年に岩倉使節団と同行渡米し、7年後マサチューセッツ工科大学鉱山学科を卒業し帰国しました。
明治政府は全国から優秀な人材を募り、海外留学をさせたのですね。
帰国後は大阪専門学校から東京大学の助教授へ経て、1884年に明治政府工部省に入省し三池鉱山局技師となりますが、三池鉱山が政府から三井に売却された後三井に移ります。
三池鉱山で数々の業績を上げ利益は三井銀行を抜き三井物産と肩を並べるようになり、1909年に三井鉱山会長となります。
1914年には三井合名会社理事長に就任し、ついに三井財閥の総帥となります。
2.養子先は勘定奉行
古地図は上が南でお城に近く、養子先は上席の家柄だったとわかります。
3.静かな住宅地
現在は跡地にマンションが建設されていますが、周りは静かな住宅地です。
当時は武家屋敷が並び、この路地を少年の團琢磨が駆け抜けていたのでしょう。
撮影:CANON EOS M3
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