吉田松陰が城下の松本村に開いた私塾「松下村塾」は短い時期に大勢の塾生を育てました。
彼らは明治維新の原動力となり、明治維新後の政治的指導者となりました。
1.世界遺産「松下村塾」
松下村塾は叔父の玉木文之進が1842年に八畳一間の私塾を開いたのが始めで、少年だった松陰も入門し学びました。
長州藩の藩校明倫館の塾頭を務めていた松陰が現在の地に1857年より引き継ぎました。
2015年に世界遺産「明治日本の産業革命遺産」全国8エリアの内萩市5構成遺産の一つとして登録されました。
松陰神社の境内に旧宅に並んで保存されています。
2.松下村塾の説明
大正11年に掲示された説明板です。
3.松下村塾の講義室
小さな独立した家屋ですが、松陰の時代に約50名の塾生が学んだそうです。
4.松陰神社の鳥居
駐車場もあり、広い境内です。
5.松陰神社の由緒
明治23年に私祠として祀られましたが、明治40年に塾生伊藤博文らの出願により公的な神社として創建されました。
6.松陰神社の配置図
沢山の記念碑があります。
安政の大獄により江戸へ送られ処刑前に両親に送った「永訣の書」の歌は心を打たれます。
7.吉田松陰幽囚の旧宅
1854年にペリーが日米和親条約締結のため再航した際、旗艦ポーハタン号に小舟でこぎ寄せ米国への密航を企てましたが拒否されました。
松陰は下田奉行所に自首、危うく死罪となるところを助命され国許蟄居となり檻送されました。
1855年、萩の野山獄の出獄を許され、実家の杉家に幽閉の処分となります。
8.吉田松陰幽囚の旧宅説明
これも対大正11年の説明板です。
松陰は安政の大獄により再び江戸へ送られ刑死します。罪名は幕府老中の暗殺を計画した罪です。享年29歳。
9.吉田松陰歴史館
境内には立派な歴史館があります。
撮影:CANON EOS RP + RF24-105mm F4-7.1 IS STM
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます