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中国各地の都市にはほとんど「中山路」があり、台湾も含め大都市だけでも30か所以上になりますが、辛亥革命の指導者で国民党創始者、中華民国初代大統領の「孫中山」名からとられました。
最初にできたのは孫文の墓「中山陵」がある南京市だそうでです。
1.上海の「中山東一路」
上海は市中央部の内環状線に「中山路」の名がが割り当てられており、「中山東一・二路」「中山南・二路」「中山西路」「中山北・二路」があります。
(北と南は「一路」が無くて「二路」がありややこしいですが、後からできたので前の道路名を変えると混乱するのでしょうね。)
中山東路は「外灘」がある通りで、延安東路との交差点より北が「中山東一路」、南側が「中山二東路」になります。
上海の地名は英国租界とフランス境界の境界だった「延安路」が今でも基準となっています。
2.人名を持つ道路
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上海の地名は1998年に発効された「上海市地名管理条例」に従い決定するそうですが、その中に「国家指導者の氏名の使用禁止」条項が書かれています。
指導者の死後個人が偶像化されるのを避けたのは、数多くの王朝が勃興した歴史を持つ国家だからでしょうか。
中華人民共和国の指導者ではなかった「孫中山」の名前は例外なのでしょうかね。
3.孫中山の本名
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中国では「孫中山」が一般的のようですが、本名は「孫文」です。
彼が革命前の1897年頃「日本亡命中に使用した「中山樵:なかやま しょう」の偽名があまりにも有名になって、号のようになってしまった。」と
陳舜臣著の「孫文」にあります。
日本での支援者「宮崎滔天」と日比谷公園を散策中に立派な邸があり、表札に「中山」とあったので、
孫文が滔天に「中山と言う姓は日本では一般的ですか?」と尋ねたら、
滔天は「この邸は伯爵家だが、日本では乞食にもスリにも中山はいる」と答えたそうです。
「樵」はキコリの意味ですが、孫文は子供の頃キコリにあこがれていたそうです。
機密文書にも「中山樵」の署名を使用していたそうですが、有名になりすぎ1904年以後は「高野長雄」が用いられました。
医者でありながら国事に奔走した「高野長英」の姓名を一字だけ変え偽名に拝借したそうです。
撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS
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