1.ウオール・ペイント
旧フランス租界の老朽住宅。
中国語の「拆:chai」は取り壊す予定の建物に書かれたしるし。
まだまだ上海の再開発は進行中です。
2.人民路・河南南路付近
漢字が見えなければ中国の風景とは思われませんね。
3.超高層ビル
浦東の「のっぽビル」が完成間近です。
旧市街地に残る租界時代の洋館と、21世紀の建築物との対比が上海の風景の象徴ですね。
4.金融センター
上海が英国によって開港(1843年)されてから、今年で172年になりますが、当時27万人ほどの人口は、今では2500万人を超えます。
現在、浦東新区はアジアの金融センターとして超高層ビル次々が建設されていますが、租界時代には対岸の旧市街 「外灘」 こそがアジアの金融センターでした。
アヘン戦争に勝利し鎖国のドアをこじ開けた英国は、その後中国との貿易で莫大な利益を上げます。
1862年に発行された中国英字新聞の記事によれば、英国が毎年上海から吸い上げる富は対インド貿易で得られる収入の3倍、約1300万ポンドに達しました。
これは1852年の英国国家財政収入の半分以上を占めるものでしたが、そのうちの60%はアヘン貿易による収入でした。
英国が中国から輸入する膨大な量の茶葉の支払い代金を相殺させるのがインド産アヘンの輸出でした。
アヘンは合法的な外国製医薬品として輸入され、アヘンの喫煙は一種のファッションでした。
1907年に政府の禁止令が出されるまで、上海ではその喫煙所の数は喫茶店やレストランよりも多く1500か所以上ありました。
当時、上海から貿易収入を香港へ送るために開設されたのが香港上海銀行上海支店です。(外灘「上海浦東発展銀行」建物)
現在、世界最大級の金融グループHSBC(The Hongkong and Shanghai Banking Corporation Limited)の前身です。
アジアの最先端を走った過去の歴史は再現されるのでしょうか。上海の未来は。。。。
撮影:CANON Powershot S100
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