上海下町写真館2014

ブログを始めて18年目、今でも多くの皆様が訪問していただけるので、できるだけ続けていきたいと思っています。

「博多旧町名歴史散歩」第8章-奈良屋界隈:下市小路・萱堂町 

2014-09-19 06:00:00 | 故郷の風景
1.神屋町交差点付近
新しい町名では交差点西側の左側が奈良屋町、右側が神屋町です。

2.下市小路の碑


北から旧「下市小路」「中一小路」「上市小路」がありましたが、大博通りが拡幅され、ほとんど消滅しました。

3.魚腹地蔵


下市小路の碑の角を西に入ると、すぐ左手のビルの陰に大きな地蔵が祀ってありますが、長い説話が残されています。

平家が壇ノ浦で滅亡する頃、源氏一族の父が戦死した「六郎」と言う遺児が母親に連れられ博多に来ました。
母親は形見に銅鏡を渡し「東国へ行き父の志を継ぐように」と遺言しこの地で亡くなります。
六郎は銅鏡を改鋳し、観音像に仕立て海路を東へ向かいました。

小倉沖で海が荒れ、舟が転覆寸前になりましたが、その時大魚が現れ観音像を飲み込み海へ消えました。
その後嵐はおさまりましたが、観音像を失った六郎は途方に暮れ、厳島で七日間の願掛けをしました。
満願の日、天女のような美しい女が現れ「博多へ帰れ、鏡は必ず戻る」と告げました。

4.魚腹地蔵願王菩薩



博多へ戻ると近所の人は大喜びで無事帰郷を祝いました。六郎はお礼に大魚を買い料理をしたところ、その腹から観音像が出てきました。
喜んだ六郎はお堂を建て「魚腹観音」として祀りました。

5.旧萱堂町の碑



地蔵堂がある旧地名は「萱堂町」と呼ばれていました。

撮影:CANON EOS5DIII + EF24-105mmF4 L IS

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2 コメント

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haichaoluさんへ (上海・東京ベイビーのパパ)
2014-09-20 15:36:14
大博は、景観も良く、気持ちよくお散歩できそうですね。
ワクワクします。
そんな中にも、所々に歴史が残されていて、いいですね。
そもそも、地割そのものが歴史ですけど。

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上海・東京ベイビーのパパさん (haichaolu)
2014-09-21 08:58:23

古い街を歩くと、地元の方が歴史を大切にしていることがわかります。
強度を知り、強度を愛することが大切だと思います。
東京も江戸時代からの歴史がたくさん残っていますね。
街歩きをすると新しい発見があるかも。
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