の続き。
は不発に終わった模様。
要約すると
一、「歌舞音曲と飲み会に明け暮れる「芸術・文化」キリギリス連中 」の擁護
楽曲のダウンロード販売は今でもできるから、「文化・芸術」の需要家にとっては全く困らないのに……
二、独自概念「分人」の紹介。
石津謙介が晩年、何でもかんでも「アイビー」 と評していたかの如く。
三、皆よ、文章表現力を付けろ。
溺れている最中のトンカチに「泳げるようになれ」と言うが如く。
司法研修所くらいですよ、そんな道理が通用する局面は。
ていうか、このあたりの「共感力の欠如」は、村中璃子っぽい。
四、コロナ後「本や芸術、文化は必要不可欠 」
作家や芸術家、文化人は必要不可欠、と誤読させたいのでしょう。
『一、「歌舞音曲と飲み会に明け暮れる「芸術・文化」キリギリス連中 」の擁護』のために。ただ、前述のように、既存コンテンツがあれば十分。
日本の作家や芸術家、文化人である理由は何処にもない。そもそも、存命中の者である理由も、何処にもない。
日本の作家や芸術家、文化人である理由は何処にもない。そもそも、存命中の者である理由も、何処にもない。
コロナ特需狙いでしょう。
或いは、火事場泥棒狙い。
「本や芸術、文化は『金づるとして』必要不可欠」なのでしょう。
出版業界・芸術業界のゲスさが、平野の言葉からにじみ出ている。
五、『「自分さえよければ」という生き方では、最終的には社会が壊れてしまう。もう格差社会や自己責任論ではいよいよ立ち行かない 』
前述通り、平野の言葉自体に、平野の「自分さえよければ」が、にじみ出ている。
だから、平野の言葉は、白々しい。
だから、平野の言葉は、白々しい。
六、自力で稼げるようになろう。
失笑。
「自分さえよければ」の具現化だから。
……で、社会で信頼が壊れつつある事に、
平野はまるで気付いていない。
平野はまるで気付いていない。
気付いていないから、社会に信頼を取り戻すための
処方箋
を提示出来ない
作家失格じゃん、平野啓一郎。
(あっ、怒りのあまり結語を書き忘れていた)
「信頼」が壊れた先にある地平を歩くためには、
能率競争・節制・鍛錬あるのみ。
なので、能率競争・節制・鍛錬の邪魔となる、
非効率な事業者・怠惰・放漫の放逐が必要。
非効率な事業者・怠惰・放漫といえば、
「歌舞音曲と飲み会に明け暮れる「芸術・文化」キリギリス連中 」
であり、
連中の立ち寄る歓楽街、飲食店、ライブハウス等。
放逐の瀬戸際にあるキリギス連中と関連産業、
その擁護としても、平野啓一郎の記事は、落第。
「自分さえよければ」を諫める一方で、生き延びる糧を得ようは、
明らかな矛盾。
チェ・ゲバラも呆れ果てるだろう(理由は「チェ・ゲバラ名言集」を参照)。
「信頼」が壊れた先にある地平は、競争(力と力のぶつかり合い)だから。
まあ、振り返っても、競争(力と力のぶつかり合い)あるのみでしたけど……
この辺りは、あいちトリエンナーレ・表現の不自由展を巡る政治競争(大村秀章愛知県知事と河村たかし名古屋市長との、力と力のぶつかり合い)ともリンクする領域。
関連
関東方面を眺めると、
なぜか(高校生の頃に読んだ)「日蝕」を思い出します。陰鬱な雰囲気が……(漢字の質・量だけではない陰鬱さ。文体自体はとても読みやすかっただけに)。
平野啓一郎は職業作家である以上、創作系業界擁護・増進が避けられない事は承知しています(我が高校の大先輩も、創作系業界の擁護・増進に大いに貢献していましたし)。
ただ、擁護・増進するなら、「持てる技術を最大限駆使して」もっとさりげなくやれよ、と(プロパガンダの鬼才・ゲッベルスも呆れるであろう程の露骨さです)。