国連の安全保障理事会では世界の紛争の停戦も議論されています。第1次世界大戦の終結もスペイン風邪の影響が大きかった。 人間同士が戦争や紛争で殺し合う余裕さえなくなってきたし、「自分さえよければ」という生き方では、最終的には社会が壊れてしまう。もう格差社会や自己責任論ではいよいよ立ち行かないと思う。
白々しい、あゝ白々しい、白々しい
にて指摘したように、
新型コロナウィスルの影響で、裁判を受ける権利すら制限されている。
新型コロナウィスルの影響で、裁判を受ける権利すら制限されている。
その結果、自力救済に頼るしかない。
「自分さえよければ」は、
(裁判機能を含む)公共財の供給不全が起きているから、発生する。
民間部門(人民)主導の自発的・分権的な動き。
(裁判機能を含む)公共財の供給不全が起きているから、発生する。
民間部門(人民)主導の自発的・分権的な動き。
その具体例は、
こういう動きは、人権が個々人に帰属している証左であり、
米国合衆国憲法修正第二条
Amendment IIA well-regulated militia, being necessary to the security of a free state, the right of the people to keep and bear arms, shall not be infringed.
を人々が手放せない所以。
そもそも、公共財の供給不全は、起きやすい(ミクロ経済学のテキスト、特に「市場の失敗」政府の失敗」を参照)。
なのに、「自分さえよければ」を放棄せよは、
防護服なしで、新型コロナウィスルを扱え、
と要求するが如く。
踏み込んで申し上げると、
平野啓一郎の言葉は、
特攻を命ずる部隊長と大差ない。
特攻を命ずる部隊長と大差ない。
言葉の受け手に絶命を求める点に於いて。
そもそも、現代社会に於いて、
人間、特に弱い立場の人間は、存在感薄い。
人間、特に弱い立場の人間は、存在感薄い。
建物、機械、ソフトウェア等、非生物が
生産活動・社会活動の少なくない部分を担う時代、
落命一つ一つに一々、社会が構う理由など、何処にあろうか。
落命一つ一つで社会が崩壊する、は
落命一つ一つで社会が崩壊する、は
白々しい、あゝ白々しい、白々しい
でしかない。
新型コロナウィスルで、倒産と倒産起因の落命は、増える。
非効率な事業者・愚鈍な事業者が退場する分には、
社会にとって悪い話ではない。
むしろ、効率的な事業者が残ることで、社会を強くする。
社会にとって悪い話ではない。
むしろ、効率的な事業者が残ることで、社会を強くする。
ちなみに、日本の飲食業は、非効率な経営の代表格。
……ノアの方舟を作っている最中の様子について、創世記には記述がない。
ただ、人々(後に洪水に呑まれる)は、ノアによる途方もない「用意」に失笑はしていただろう。
新型コロナウィスルで生き残れない事業者たちも、ノアに対して失笑していた人々と同列だろう。経営危機に備えて、内部留保を積み増す事も、信用力強化のため金融機関との連絡を密にすることもせずに、、、
(経費は「第二の財布」ではない!)
創世記第六章に登場する洪水は、悪い人々を一掃した。
新型コロナウィスルも、悪い事業者・人々を一掃するだろう(夜の街絡みの感染例が「経路不明」としてぽつぽつと出てくる事は、象徴的)。
ついでに、歌舞音曲と飲み会に明け暮れる「芸術・文化」キリギリス連中も、一掃されるだろう。たとえ、キリギリス連中が居なくなっても、コンテンツを記録した電磁的記録があるから、社会にとって無問題。これ、機械が社会を支えている一例。
新型コロナウィスが去って、
オリーブの枝を掴める者は、そう多くはないでしょう。
オリーブの枝を掴める者は、そう多くはないでしょう。
それでも、社会は壊れることなく動き続けるでしょう。
社会にとって、人間の比重は年々低下しているから。
最後に、停戦云々は、
ロボット兵器が未だ最前線に浸透していないだけ、
ロボット兵器が未だ最前線に浸透していないだけ、
とも評することができる(AK-47が現役の紛争地帯は珍しくない)。
平野は、人間に価値を置き過ぎ。
(by 京大法卒)
つづきは
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