の続き。
「駐車場の契約書などの実用文が正しく読める教育が必要で文学は無駄である」だそうです。「こんなの無理すぎ!」と私の学生が知らせてくれました。学生だって心配してるぞ!
— 佐々木 中 (@AtaruSasaki) August 10, 2020
「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 https://t.co/wRcZEmpvNh
には隠れた前提がある。
「論理国語」と「文学国語」は二項対立にある、
という前提。しかも、この隠れた前提は間違っている。
実際には、
「論理国語」の上に、「文学国語」が乗っかている構図。
「論理国語」が親亀で、
「文学国語」が子亀。
親亀こけたら、子亀もこける
……これは最高裁判事がある判決にて書いた伝説的一文。
元凶を辿ると
『「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育』
に辿り着いた。
「論理国語」の出来ない人が書いた、誤謬の宝庫。
「小説を読むと地頭がよくなると、進学校はみなわかっている。
という一文は、
隠れた前提『小説の読解には、「論理国語」の素養が不可欠である。』
を看過している。
進学校の生徒たちは本をよく読み、読解力を身につけているため、実用文の勉強など改めてやる必要はないし、
ならば、クレジットカード会社や交通系ICカードの約款を読ませて、解かせてみろ。高校生が一読しても、なかなか読み解けるものではない。
「論理国語」の力が試される。
新しい学習指導要領に切り替わっても、私立進学校の生徒たちは、国語の授業や自分自身の趣味あるいは学習として小説も評論も積極的に読むだろう。
「私立」進学校と限定する意味が不明瞭。
「論理国語」が出来ていないから、こうなる。
今後は文学作品に触れることがほとんどない生徒たちが大量に出てくることが予想される。
だから、どうした?
数十年前はそんな感じだったよ。
幸田文は初期の随筆にて、区役所の下っ端は幸田露伴を知らず、課長(or課長補佐)は幸田露伴を知っていた旨を記している。。。
まさか、幸田文すら読まずに、文学語っているのか?
「論理国語」が身についていないと、
文学や評論に親しむ教養人と実用文しか読まない非教養人の二極化が進むに違いない。
という妄想に至りやすくなる。
書き手である榎本博明は
1955(昭和30)年東京都生まれ。心理学博士。東京大学教育心理学科卒業。東芝勤務後、東京都立大学大学院へ。大阪大学大学院助教授等を経てMP人間科学研究所代表
https://www.shinchosha.co.jp/writer/4627/
東京大学「教育学部」教育心理学科卒業とすら書けない残念な頭の持ち主。 (学歴詐称を疑われかねない記述です。)
「論理国語」すら出来ない者が、どうして「論理国語」を攻撃するのかて……同類が欲しいのでしょう。
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