私や慶應義塾大学の平石界教授、広島修道大学の中西大輔教授らの研究グループでは、今年3月から4月にかけて、日本、アメリカ、イギリス、中国、イタリアの5か国で、400人から500人規模の意識調査を行いました。
データサンプルが小さすぎる。日本国内だけで、その数倍は欲しい。
そして、データが古すぎる。
7月から8月にかけて再度、日本、アメリカ、イギリスで今度は1000人から1200人規模の調査を行いました。春とは別の方々を対象にし、対象者数も増やし、日本では性別と年代を人口比に合わせました。
サンプルがやはり小さい。
「感染は自業自得だと思うのか」という質問に、「そう思う」と答えた人の割合に大きな違いが現れました。アメリカで4.90%、イギリスで1.36%だったのに対し、日本では17.24%にのぼったのです。
で、その要因分析が雑。
報道の影響、宗教観の影響、教育水準の影響……ありとあらゆる要因が影響しうるのに、
「不確実性の回避」傾向
と決め打ち。
経済合理的に考えれば、「不確実性の回避」一択。
ならば、なぜ日本以外の他国では、「不確実性の回避」を回避しているのか。
経済合理性の観念が、他国では未熟とでも言いたいのだろうか。
「内在的公正推論」
に飛びつく異様さ。
ちなみに、
にある通り、
日本国内では「内在的公正推論」を生み出す要因について、未解明。
そんな強い規範意識をもっているために、辛抱強く感染予防行動を続けることができる人が多い一方で、「これだけ感染しないために色んなことを守れと言われているのに、感染したということは、感染者に問題があったんだ」と考える人も出てくるのかもしれません。
という暴論。
辛抱強く感染予防行動
という認識自体誤り。
新型コロナウィルスは、
初歩的な感染予防を履践し続けてさえいれば、
感染に至らない。
「辛抱強さ」など要らない。
裏を返せば、
新型コロナウィルスに感染する連中は、
初歩的な感染予防すら出来ない
愚か者
かつ
社会の敵。
「非常時には、他の人たちが政府の方針に従っているか、一人ひとりが見張るべきである」という質問
質問の設定がそもそも、失敗している。
もし当方ならば、
「非常時に他者に危害を加える言動を行っている者(社会の敵)を見つけたとき、あなたは見逃しますか、それとも、立ち向かいますか。なお、その社会の敵を制圧できる装備・体力が、あなたにあるとします。」
という設定をする。
自粛警察とは、
社会秩序に空白が生じているときに、自発的自律的に起きる社会の反応。
平石界・中西大輔らは、
自粛警察の本質を見誤っているがゆえに、
誤った質問を設定した。
そして、自粛警察では、
各人の出来る範囲内の事だけをする。
自粛警察絡みの死者が未だ、出ていない理由です。
では、どうして日本でも「自粛警察」が、あれほどあふれているように感じられたのでしょうか。
に対する見立ても謝り。
そもそも、
「自粛警察」は、情報収集・情報共有という前段階がなければ、成り立たない。
その情報収集・情報共有を、地域社会に根を張って生きている者は日々、こなしている。
情報収集・情報共有の過程で被疑者の存在が引っ掛かって、初めて「自粛警察」への動きが出てくる。
ちなみに、当方の耳にも、感染者の勤務先・居住地についての情報(勿論、オフレコ)は、耳に入ってきます。
そして、それらの情報の提供者には、医療従事者もいます(ていうか、当方が耳に入れている新型コロナウィルス感染者情報は主に、医療従事者経由)。
情報収集・情報共有の過程に於いて、
マスメディアやSNSの役割は小さい。
情報収集・情報共有は、
強い人的信頼の下に成り立っているから。
「一部の人」に振り回されないために
も間違い。
情報収集・情報共有の網から出てきた代表者たちが、「自粛警察」の任を自発的・自律的に買って出ているから。
思い込みで作り上げられた社会によって、
平石界・中西大輔らは、
平等かつ自律的な地域社会の実像をまるで理解していない。
そして、新型コロナウィルスが「秩序の空白」を生み出し続けている事も。
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