だから、
「妊婦や子連れ」を口実に、「他責」に走る連中
に対する暴行が相次ぐ。
「自力本願」と「他責」は、矛盾する関係性。
合理的に生きよう(矛盾を避けよう)とする限り、
「自力本願」と「他責」の併存は、放置できない。
なので
街中での妊婦への暴行相次ぐマタニティーマークにためらいもgooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-afr2006270022
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-afr2006270022
に登場する分析は、的外れ。
「妊婦や子連れ」を口実に自身の咎について、
言い逃れ
をしているに過ぎない。
記事に登場する
件は今年4月、札幌市中央区の路上で発生。子供2人と手をつないで歩いていた当時妊娠7カ月の20代の女性の後ろから歩いてきた男が「邪魔だ。どけ」と言い、女性の腹を右足で1回蹴ったとしている。
この事件の現場写真と仔細は、
に詳しい。
ただ、
左足を軸に右足で盛大に回し蹴りなのか、
それとも、
右足をリフティングの要領で上げて、つま先で小突いた程度なのか
は不明(この事件の要です。転倒や受傷がないので、おそらく後者かな)。
現場写真を見る限り、
「被害者」への同情は全く湧かない。
なぜならば、
交通ルールを順守する限り、
「加害者」は、「被害者」一家に道を塞がれた状態のまま。
これ、足の速い歩行者にとっては、かなりストレスが溜まる状態。
街中での妊婦への暴行相次ぐマタニティーマークにためらいもgooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-afr2006270022
https://news.goo.ne.jp/article/sankei/nation/sankei-afr2006270022
には、
大正大の田中俊之准教授(男性学)は「妊婦や子連れに限らず、社会の中にはいろいろなペースで行動する人が混在している
という記述がある。
「速いペースで行動する人を妨害する」権利を、
妊婦や子連れが持っている、
という道理など聞いたことがない。
妨害者は排除するしかない。
ちなみに、京都の狭い歩道を歩いていた三人子連れの女性は、当方に道を開けて下さった。その際、その女性は、股間を掻く子に対して英語で「そんなところ掻くな!」と叱りつけていました。
道を譲る
という社会生活上、(特に都市圏で)大切な所作を、
英語圏の者にできて、日本語圏の者にできないという道理も、ない。
によると、
札幌市中央区の歩道で7歳と5歳の子どもと手をつないで歩いていた20代女性
20代女性の倫理観・学識の乏しさが、垣間見える(おそらく大学は出ていないのでしょう)。
ていうか、四月の札幌は、新型コロナウィスルの流行のため厳戒態勢。
そもそも、なぜ妊婦が子連れで出歩く、という新型コロナウィスル対策上、ハイリスクな行動を取っていたのか。
『「妊婦や子連れ」を口実に自身の咎について言い逃れをする』権利は、誰にもない。
(カトリックでも、「他責」や「言い逃れ」に対しては、手厳しい。特に保守派)
左派には「自己批判」という概念がある。
「妊婦や子連れ」は、
『「妊婦や子連れ」を口実に自身の咎について言い逃れをする』権利にしがみ付く前に、
自己批判を一通りするべき。
「妊婦や子連れ」だから、
ではなく、
自身の言動が粗悪だから、
と気付けるだろう。
聖書であれ、仏典であれ、「自己批判」であれ、
自身を律することで社会は保たれる。
自身を律することすらできない者ばかりでは、社会は壊れる。
「妊婦や子連れ」を言い逃れに使える社会では、早晩壊れる。
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