といっても、
フォッサマグナのことではありません。
心理的な差です。
さて
短歌は大きなキャンバス。
俳号持ちの当方にとって、
5 7 5 7 7 は、
途方に暮れる程の大きさです。
せめて、短歌読みの
に力水を。
問題になっている私の「東大を出ても阿呆は阿呆にて〜」という短歌ですが、この短歌のどこが問題ですか?
東大を出ている人など今や掃いて捨てるほどいるのではないでしょうか?
東大さんの入学者数は
3127 人(令和4年4月1日現在)
2022年の18歳人口は
112.1万人
なので、単純に割れば、
400人に一人くらい。
微妙な割合。
(京大も大差ないです)
ちなみに、
共通テスト志願者数は直近で512581人。
なので、200人に一人くらい。
微妙な割合。
(京大も大差ないです)
さて、
阿呆という単語は、仏教由来。
ひろさちやさん@67期 (宗教評論家)
本名 増原良彦。
(1960年東京大学文学部インド哲学科卒業。
1965年同大学大学博士課程修了、気象大学校講師に就任。 )
1965年同大学大学博士課程修了、気象大学校講師に就任。 )
「問題を解決しようとして、それに失敗する人が馬鹿です。しかし、阿呆はあえて問題を解決しようとはしません。問題をかかえたまま、楽しく生きようとします。そういう阿呆になろうではありませんか。」
ちなみに、
阿呆を売りにしている
坂田利夫 師匠には、
無垢さ
が常に漂っています。
息の長い人気の一因でしょう。
ただ、
(当方を含む)西側にとっての阿呆
と
東側にとっての阿呆
とでは、
受け手側にとって、真逆のニュアンス。
京大を出ても阿呆は阿呆にて
花の宴と 笑い咲かせる
(舶匝)
参考画像
法学部のゼミでは大抵、
学究肌もいれば、
ムードメーカーも、
いるものです。
ムードメーカーな学生たち、
大抵は、
邪気・邪悪さに乏しかったです。
胡散臭さは満開でしたけど
このあたりの事情は東大さんも、
大差ないでしょう。
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