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京大サイドから見た「日本国史学会」 (奈良岡聰智京大教授を念頭に置きつつ)

2020-06-09 21:58:12 | 京都大学


日本国史学会とは
によると、

終戦直後、
日本の歴史学界には、占領下の中で、民主主義の名のもとに、マルクス主義経済史観が非常な勢いで入りこんできました。

日本の歴史学はその中で形成されたといっていいでしょう。

現在では直接「マルクス主義」という名を聞くことはまれになりましたが、その残滓は確実に残っております。
多くの学会の歴史観の基本となっており、そのため今の若手研究者でも、無意識のうちに、特定の方向性に導かれてしまっております。

したがって、それらと史観を異にする学会がつくられなければならない、
唯物論的な経済史観、階級闘争史観とは異なった日本史観による、あらたな日本の国史を形成し、議論する場としての学会をつくらなければならない、と強く感じ、「日本国史学会」を創設するに至った次第であります。
                  
日本国史学会 発起人
田中英道(東北大学名誉教授)
小堀桂一郎(東京大学名誉教授)
中西輝政(京都大学名誉教授)
竹田恒泰(皇学館大学講師)

中西輝政
の名は、学部生の頃、立て看板でよく見かけました。
中西輝政 講演会
(立て看板の存在はこういう意義もある)

ただ、
学部の頃に受講していた(唐渡さんの)「政治史」では既に、

マルクス史観と相反する事実を、
トントントンと並べて(この辺りは訴訟周りでも使える丁寧さ)、

マルクス史観、ちゃいますね

と暗に示していた。

歴史系の講座に(伊藤さんの)「日本法制史」もあった。
当方は単位のため受講した(高校では、世界史・地理選択だったのに)。

こちらも色々な事実を、
スパッスパッと並べて(この辺りは訴訟周りでも使える明快さ)、
検討されていた。

少なくとも、
当方が学部で習った歴史学は、
「唯物論的な経済史観、階級闘争史観」
とは無縁でした。

なので、日本国史学会の設立趣意に、
イマイチ、ピンとは来ないのです。

さて、
先程紹介した、
伊藤さん
もとい、
伊藤孝夫教授とは別に、

伊藤之雄教授(当時)という方が、
日本政治外交史的な講座を担当されていたそうです。
(他の科目と時間帯が被っていたためか、或いは、伊藤孝夫と同じ伊藤姓だったためか、印象が乏しい)。

奈良岡聰智教授がいます。
伊藤会の幹事を、奈良の大学で勤務していた頃から務めている人物です。
有信会会報巻末のゼミ会連絡先一覧で、奈良岡聰智教授の研究室が、連絡先として毎年掲載。
そのため、奈良岡聰智教授の名前を、当方はしっかり覚えています(まぁ、苗字の珍しさゆえ、妙に頭に残るのです)。
若めの学者さんという印象しかなかったのですけど……
実は、
奈良岡聰智教授は、
京大法の博士課程修了と同時に法学博士号を取得した稀有な人物です。
院修了で、いきなり助教授も珍しいです。
 (にしても、researchmapでここまで雑な記述も珍しい……)

で、奈良岡聰智教授は、
前述の日本国史学会で講演をしていたようです。

なので、


などと切り捨てるには、強い躊躇。
ちなみに、奈良岡聰智教授は、(憲法学京都学派の屋台骨)大石眞教授からも可愛がられていたようです。


最後に、奈良岡聰智教授へのインタビュー記事

「現在の生活や社会の在り方といったものは歴史に規定されています。そのため現状の問題点を考え、それを変えようとするならば、歴史に立ち返る必要があります。様々な可能性があったなかで現在があるという感覚をしっかりと持ち、現状を相対化する視点を持つこと。それが歴史観を磨くということです。これは、フェイクニュース、プロパガンダ、誇張、ねつ造といったものに対抗する力にもなります」

これの対極が、

「物論的な経済史観、階級闘争史観」

です。

……メディア・リテラシー?
「現状を相対化する視点」
の前では、フニャフニャなマットでしかない。

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