この通り、「知」の道具に、
複雑な道具は使われていない。
どれも辞書を引けば、一文ないし二文で紹介される程度には、単純な道具です。
ただ、これらを使いこなせる方は、決して多くはないです。
(当方、たまに道の本数を数え間違えます……たまに、です。)
これらの道具のうち
「異同比較」は、
京大東大の学部入試のうち、
地歴各科目の記述問題で出やすい出題形式です。
要するに、共通点と相違点を書き出すのです。
訓練すればできるようになります。
訓練しなければ、、、
(まぁ、訓練しなくても、サラッと解ける人はたまにいますけど……あと、二次試験の地理の問題は、楽ですよ。究極の地理好きたちにとっては。)
さて、
「知性」とは現実の複雑さから逃げないことだと思います。
— 村中璃子 RIKO MURANAKA (@rikomrnk) July 20, 2020
が、自分の不安に沿わないことは何でも現政権の批判に結び付け、データに基づいて、現実を見て考えを述べる人を御用呼ばわりしたりする人がたくさんいるようですね。 https://t.co/eL4TmOXZ8C
「知性」とは現実の複雑さから逃げない
の問題点を論じよ、
という小論文問題が作れそうですね。
「逃げ」という判断権者の心理的反応を、「知性」の表現に用いることは、
「物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力 」
という「知性」の辞書的意味と
明白に相反する(「矛盾発見」)。
また、「複雑」とは、「単純」の対義語であり、かつ、相対的概念である(「分類」)。
にもかかわらず、「複雑」か否かの判断基準を一切提示していない(「矛盾発見」)。
「複雑」はアプリオリに存在する、という書き手の誤謬が垣間見える。
さらに、「現実」に限定する意義も不明瞭。
のように、
偽書の分析にも、知性は大いに発揮されるから(「帰納」の応用)。
(ちなみに、究極の地理好きたちは、「架空地図」作りにて、知性を大いに発揮します。その昔、当方が作成していた「架空地図」の数々、手元に残していない事が残念です……)。
ていうか、村中璃子は辞書すら引かずに、
「知性」を語ろうとしている事に呆れる。
筆を使うならば、辞書は必須です。
現実を見て考えを述べる人を御用呼ばわり
「御用」は、偽書の分析でも使われる「知性」を用いることで、
得られた判断。
当方は、この判断に同意。
村中よ、
反論できる点があるならば、
「知性」を用いて反論してみろ。
ちなみに、
村中璃子の出身学部(自称)
「一橋大学社会学部」の前期二次試験にも、
地歴科目はありました。
そして、先程紹介した異同比較形式の記述問題は、
存在しました(赤本をチラ見した程度ですけど……)。
「知性」がないならば、無理する必要はないでしょうけど……
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