芸能人の東大受験、一次試験で全滅とは・・・

2007-02-26 | たわごと
しかし、本来東京大学は、日本の最高学府であります。

高校生活の3年間で身に着けた学問的素養に更にシステマティックに磨きをかけるために、学徒が集う場所。

学問の機会は平等であるべきである一方で、我々日本人が、世界に誇れる優秀な人材を育てる一機関として歴史ある教育システムは、歴史の記憶としてはあって欲しいものです。

そのような大学には、やはり受験での平均点を高くする高校生が多く挑みます。
普段じっくりと揺るがない学力を身につけた人間が有利なのは、そう願うところでしょう。その一方で、個人的には、センター試験本番で80%とる必要があるのは、ちょっとずれている部分もある気がします。二次試験のコストパフォーマンスを考えて、今のシステムを使っている。そのため、浪人生が発生するわけです。我々日本人の人生のコストパフォーマンスを考えると、この1年2年は非常にもったいないことかもしれません。それに、例えば、問題が簡単な年に、よく鍛えた受験生がそろい、最低90%取らないと2次試験の定員からもれることも十分ありえます。
試験というのは、しかし、どう見ても、そういうものです。どうしてもコストパフォーマンスが重要。もれた人の中に有望な人材が無駄な一年を費やそうが、そのロスを上回る十分な人材も確保できている確率も高い。

二次試験でいかに自信があっても、センター模試でいつも90%前後はとれる余裕がないと、一次でもれてしまう。それが、現実です。

それには、はっきり言って、仕事をしながら、何年ものブランクの後、一年の準備では無理だと思います。

センターによる1次選抜方式が、最も人類にとって理想的かどうかは別として、現状の試験のあり方と、難易度を考えると、これを余裕にこなすしかないです。

マスコミに入社するには、どうせ、SPIで90%解く余裕が必要です。そのくらいのトレーニングを普段から積む以外ありません。

大学に入ってから取り組むことが稔るかどうかは、このセンター方式的なテストと殆ど相関はないですが、二次試験レベルのテストでトップレベルを取る能力や、数学や理科で世界の高校生と競うレベルの実績とは、かなり高い相関があると感じます。

本当に、学問に取り組み、日本の最高学府に値する成果を残そうと思うのであれば、より高い目標をもって、センター方式レベルで泣くことのないレベルまで、よりいっそう学業に打ち込んで実績(数学オリンピック合格や、数検準1級や、論述記述型の模擬試験でのランキング入りなどの実績)を積んでくだされば最も理想的です。

問題は、出題者が時間内で解けるような、答えのあるものを用意されているので、正確に出題者の意図を読み取れる力があるかどうかが肝心です。学問に取り組む中、多くの文献・論文を理解し、知見を広げるためには、他の専門家が何を言いたいのか、言っていることは正しいかどうか、根拠は何か、といったことを自分自身で常に明らかにすることが、結局必要になります。
現実の世の中では、紙に書かれたものを理解したり、考えをまとめ、紙に書く作業の能力だけでは活躍できません。さまざまな場面における、高いレベルのコミュニケーション能力も必要です。
勉強ばかり10時間以上も大人が詰め込んで良いかどうか???
集中して3,4時間もあれば十分でしょう(それ以上は自分はできません:他のことがしたくなりますね・・・)。だらだらしても、結局、将来的な仕事能力も伸びません。それよりも、リラックスして集中。毎日継続。好きになること、さらには、愛することができればベストです。

カール・ポパーは彼の著書で書いてます・・・最近の現代版の科学に取り組む若手は、往々にして古典的な成果をないがしろにしていて、ケシカランと・・・もっと、古典的なものもしっかりと学び、愛さなくてはならないと。彼によると、科学だろうが、文藝だろうか、音楽だろうが、知への愛が土台である。
そこには哲学的思いがないとだめなんです・・・・(反省)
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