思考が主体の利益と関係なく実行されること

2009-01-10 | 自然科学
そんなことができるひとがいても、地球温暖化問題のように、
負の経済をもたらす社会の無意識的活動が存在する。
意図しないところで、想定外の効果が必ずでてくる。

そういうときこそ、人間が結束して協力して、
共感したり、信頼を気づいたりできるという考え方には
一理ある。

効率、成功だけだと、個人や組織の欲求を実現する為に
いくらでも突き進んでいるところに、同時に、
渋谷の派遣村のことを予想して、例えばパチンコの収益金や
勝利金の一部を寄付するというシステムを緊急に臨時構成する
などといったことはありえない・・・・

システムに矛盾や違和感が大きくなって初めてそれを
見直す。

はじめからおかしくなることが分かっているものなど
あったら、誰も突き進まない。
いや、たとえわかっていても、
「予想通りに不合理」(ダン・アリエリー著)早川書房
にある例のように、そのまま突き進むことが多い。

人間などわがままな面で、成功し、利益を膨らませている。
しかも同時に非常に不合理な活動をしている。

人間が人間らしく共感したり、信頼しあえるようになるのは、
むしろ、それらの成功や利益の矛盾が露わになって、
困惑、困窮するようになったときに初めて、
限界状況(誰か西洋の哲学者・・・ヤスパースが言っていたね)
において初めて人間となる。

今日の状況では、
K-20でも現れて、パチンコの売り上げの一部を
渋谷の派遣村に流すシステムをしばらくつくってくれたらいいのに。
それだと、負けても、そのお金が回りまわって自分に返ってくる
と考えることも可能だ。
いまのままだと、いったい何に使われるのだろう???

人間が試されるのは限界状況における行動によってであり、
個人や団体が成功する力においてではない。

そんな考えには一理あると思う。

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