私の中の私と向き合う

乳がん再発、双極性障害と夢遊病、首下がり症と腰分離すべり症、起立性調節障害を抱えながらも、前向きに一緒懸命生きています😃

神さまのお知らせ!

2022-05-22 17:32:37 | 日記
 先週、主人がノコギリで木を切っていて、左肩、腱板炎(腱板損傷)してしまった。「痛い。痛い。腕が上がらない。」とそれは、ぎゃーぎゃ₋大騒ぎだった。

 鍼灸整骨院の普段から通院してるので、そこで診てもらってわかった。整形外科にも通っている。急性期は、冷やすしかなくて、アイシングしている。痛みが引いたら、固まってしまうので、鍼灸整骨院と整形外科のリハビリが必要になってくる。
 私は、レイキできるので、主人にレイキしている。それと私はフラワーエッセンスの資格も持っているので、ケガ、痛みに効く「アルニカ」「セルフヒール」疲労困憊に効く「オリーブ」を飲んでもらっている。そのぐらいしかできない。

 主人は、先週は利き方の左肩が上がらないのと、痛みで仕事を1週間休んだ。在宅勤務でパソコンが仕事なので、影響を心配している。ひどければ、手術になるようだ。

 主人も、私も、生活・食事・精神・身体を見直しなさいというお知らせなのだと思う。主人は、65キロから90キロに増えた。散歩も運動もしていない。  
 寝ながら長時間、スマホ・マンガ、パソコンに明け暮れていた。私も、何度も注意したが、やめなかった。

 ノコギリが主な原因だと思うが、肩をちゃんと動かしていなかったり、無理な姿勢もあったのではないかと思う。

 6月に、主人と父と私で行く予定になっていた旅行もキャンセルで、父と私もガッカリしているが、仕方がない。今は、関係性の問題もあり、旅行を行くときではないというメッセージ、神さまのお知らせだと思った。

 私は、最近病気やケガ、事故などは何かのメッセージ、神さまのお知らせ、気をつけなさいと思うようになった。

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暴力、言葉の暴力、戦争絶対にいけない!!

2022-05-20 17:57:04 | 日記
 私は、58歳にして、やっとわかったことがある。

 私は、父、母、兄を通して、今まで怒り、恨み、悲しみしてきたのは、「絶対に暴力、言葉の暴力、戦争いけない」ということであった。

 父は、幼年学校に入り軍隊教育を受け、躾、教育と称して、殴る蹴るが当たり前だった。父のせいではなく、時代が、戦争がそうさせていたのだろうと、今は思う。
 でも、その暴力、言葉の暴力は母と兄に負の連鎖をもたらした。父の知らないところで、母と兄は、私に暴力、言葉の暴力を働いていた。

 私は、結婚して一度も、子供を欲しいと思ったことがなかった。親にされたことを、自分もしてしまうのではないかと、負の連鎖を私で止めなくてはいけないと本気で思っていた。

 私は、父とその話をどこまでできるかわからないけど、そろそろちゃんと話をしようかと思っている。92歳の父だが、生きてるうちに父とは本当の意味で話し合い、和解したいと思っている。
 今まで、父は見ないふり、臭いものにはフタをしてきたと思う。でも、私の回復のプロセスで、ここは向きあってもらいたい。言わば、父と対峙の時が来たように思う。

 6月11日、12日と、母とのZOOM面会もあり、父の住む実家に私は、泊りに行くことになっている。ちゃんと話する第1回目は、その時だと思う。

 私も、それまでに心の準備、話し合う準備しておかなくてはいけない。

 今日、勉強したのは、「身体の声を聴きなさい」のリズ・ブラボーのワークショップ・ウェビナーで、week1「怒りをよい経験するには?」である。
 そこで、私の根本的怒りは、「絶対に暴力、言葉の暴力、戦争はいけない!!」であることに気づいた。
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話を聞かない男、地図が読めない女

2022-05-18 14:59:37 | 日記
 先日は、父との関係で気づいたことあったが、今回は主人との間で気づいたことがある。

 昨日、ナチュラルコープ(生協)の宅配があり、主人と野菜や肉、魚など冷蔵庫にしまっていた時のことである。
 主人が急に「新聞取ってきて。」と私に言うので、仕方なく13階から1階まで降りて、ポストの新聞を取ってきた。おまけに、主人の頼んだデカい宅急便を2つ取ってきた。

 そしたら、「キャベツくるむ古新聞取ってという意味で言ったのに、下まで取りに行って、普通わかるだろう?バカじゃないの?」と主人に言われた。
 今までの私なら、私が悪いと思って黙っていた。だけど今回は、「新聞取ってきてと言われたから新聞取ってきた。古新聞がほしいのなら、古新聞取ってと言われないと私はわからない。」と私は言い返した。

 それに、主人の普通はレベル高くて、他の人、私の普通とは明らかに違っていた。主人基準の普通は、普通の人(平均的という意味)や私とは違っていて言葉にしてくれないとわからないと思った。主人はそれをわかっていないが、私はその違いわかっているから、「バカにつける薬がない。」と言われるが、そんなことないと思っている(笑)

 まるで、頭の脳の構造が違うようだ。昔、「話を聞かない男、地図が読めない女」を読んだことを思い出す。
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まりあの気づき(父親編)

2022-05-16 15:52:27 | 日記
 昨日は、予約してあったメンタルヘルスクリニックに主人と行ってきた。

 父、母、兄との間で起きた最近のことを話した。時折、過去にフラッシュバックしながら一生懸命話した。昨日は、気が高ぶって眠れなかったことも話した。

 30分は話しただろうか?主治医の先生は、私の話を珍しく真剣に聞いてくれて、カルテに手書きで一生懸命書き込みしていた。

 話し終わって、「家族とは絶対に接触しないでください。ZOOM面会も、旅行も、電話もやめてください。あなた、今フラッシュバックが起きていて目が座ってなくて、危険です。ドクターストップです。」と厳しく言われた。

 ZOOM面会は、家族4人で月1回。父からの電話は毎日だった。旅行は6月下旬に2泊3日、伊豆高原のコテージを予約していて、父と主人と私の3人で行く予定だった。「どれもやめなさい。」と言われた。「今入院しますか?それほど危険です。」とも言われた。

 入院は何とか免れたけれど、2週間後に診察受けることになった。(ホッ!)

 帰ってきて、電話カウンセリングで私は今までの話をして、めったに泣かない私が大泣きしてしまった。がんの告知でも泣くことなかったのに・・・でも主治医の先生やカウンセリングで感情を吐き出したら、すっきりするものがあった。主人は父のことを怒っているが・・・

 私は禁止されている父からの電話を取った。そして父は「この間は言葉が足りなくて、まりあを不愉快な思いさせて悪かった。」と言ってきた。私は「言葉が足りないだけでなく、言葉が悪いよ。直らないね。」と言った。父は「そんな親だと思ってあきらめてください。」と言った。

 そうなんです。92歳の父を変えることはできないんです。言葉に毒がある毒親なんですね。ずっと毒親ではないけど、時々毒親なんですね。そう思ってあきらめるしかないんですね。

 父は、昔、幼年学校に合格して、軍隊出身で軍隊の教育受けてました。だから教育、躾と称して子供の兄と私を殴る蹴るのものすごい暴力もありました。私には短大まで父は手を上げてました。そして、言葉にものすごい毒がありました。

 昔、過去はその毒親の部分で、私まともに傷ついて落ち込んでひっくり返っていたのです。でも、今回の件で、風穴が通った気がします。私は、そんな父の毒親の部分、言い返したり、怒ったりできるようになったんですね。

 主治医の先生と主人は、父との旅行は反対するけど、92歳の父にとっては、多分最後の旅行になるかもしれません。伊豆に行って、城ヶ崎海岸のつりばりを自力で渡って、ワニ公園、ステンドグラス美術館、神祇大社行って…と父は楽しみにしているんです。さすがに中止できません。

 でも、2週間後の診察と夫婦カウンセリングが入っているので、まず私が心身ともに健康を取り戻してから決断しようと思っています。

 

 
 
 

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連帯保証人の話

2022-05-15 19:39:03 | 日記
 もう10年前の話である。

 私の5歳年上の兄の娘さん、姪っ子が4年生のある私立大学に入学した時のことである。姪っ子から電話があって、私に「奨学金を借りたいので、連帯保証人になってもらえますか?」と言われた。慌てて主人に電話すると、「そんなの無理だよ。」と主人は姪っ子に断った。  

 兄夫婦は共稼ぎで、兄は某一流企業の部長さんしているし、子供二人とも中学受験して、私立中・高通っていて、自宅通学でそんなにお金に困っているようにはとても思えなかった。姪っ子は、「連帯保証人」の意味も分かっていなかった。

 兄がどういうつもりでいたのかはわからない、私は短大の時父に「奨学金を借りたい。」と言ったところ猛反対された。「女の子が奨学金を借りたら、借金背負ってお嫁にいけない。」と言われた。そして私は奨学金借りずに無事短大卒業した。そして、主人と結婚して主人がやはり某一流大学院卒業するのに、奨学金借りていて、後から返すのに本当に苦労した。やっぱり、結婚するときに女の子が奨学金借りてることは、あまりよくないことなんだと思った。
 連帯保証人にはならなくて、姪っ子は主人を避けていが、なぜ連帯保証人断ったかいつか話できる機会に話をちゃんとしようと思う。説明しようと思っている。

 結局、姪っ子が就学金借りたのかは聞いてはいない。でも、大学時代アルバイトしていたので借りていないように思う。私は、それでよかったと勝手に思っている。でも、内心わだかまりがあった。

 そんなこんなで、兄家族とは、必要最低限しかお付き合いしていない。いや、必要最低限もしていない。
 
 でも、95歳の認知症の母が施設に入所したり、92歳の父はパーキンソン病と糖尿病を抱えて、それでも実家で一人で頑張ってくれている。兄は、3週間に一回父の病院のつき添いと、話を聞いてくれている。それもなかなかできないことである。兄には感謝している。でも私は、自分の病気でいっぱいいっぱいでなにもできてなかった。どうしても負い目がある。でもどうすることもできなかった。

 兄妹でも、親でも通じないことはたくさんある(笑)どのうちも親子間、兄弟間うまくいっている話あまりは聞かない。うちだけでなくみんな大なり小なりあることもわかってきた。

 できれば生きているうちに和解しておきたいと以前から思っているが、言いにくい話を伝えることはとてもむずかしい。

 でも一人で、メモ書いたり、ブログ書いたり、ノートに書いたりして、毎日自分の気持ちを書けるようにもなってきた。しかしちゃんと感情的にはならずに、どう受け止めて、お話していくかは、まだ時間かかりそうである。

 

 
 









 

 

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