オレンジ色の家庭

こころ温まる日々の出来事を発信したい。

想定外はいつも起こる

2012-01-01 00:00:00 | 震災

    3月11日の震災から思いもかけないことが続き
    想定外なことはいつでも起こりえるということを
    強く自覚させられた年でした。

      去年今年貫く棒の如きもの    虚子

    一本の棒が去年と今年の間に貫いている
    というようなものではないような気がします。
    今年は浮足たった自分に
    人間の原点に戻って足を踏ん張りなさいと
    言われているような気がします。
    29日30日31日で一年の大掃除を済まそうとしましたが
    甘かったです
    来年こそ11月から準備をしなくては・・・
    小さな旅、子ども家族 孫とのふれあい,
       種を育てる喜び、収穫する喜び、
    小さな喜びを増やしていきたいと思います。
    ブログも途切れがちですが見ていただいてありがとう。
    時々日にちが前後することもありますが

     本年もよろしくお願いいたします。

      

      
 

 

      

 

 


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夏の思い出

2011-09-29 21:50:45 | 震災

   

 

   

 

 

 隅田川の花火が不謹慎という意見に押されて予定を
 大幅に遅らせて行われました
 震災の慰霊のために花火は奇をてらわず地味に行われました
 静かに万感の思いをこめて鑑賞しました 

 

 
 家でも花火をしました
 来年もまたしようね


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下町大空襲 炎に包まれた日

2011-09-23 18:58:10 | 震災

                  

     

 

    

下町大空襲

 炎に包まれた日を読んで

 

江東区大島に生まれ育ち、昭和20年3月10日の空襲を被災した人たちの記録です。その時、4、5歳の子供でしたが鮮烈に記憶していているのです。

戦争体験記を有志が作りたいと言ったとき高根さんの娘さんがぜひ「あの日」を知りたいという思いで引き受けられました。
あまり家でも語られなかった記録、せきを切ったように16人の生きた言葉の体験記ができました。

 読めば読むほどすごい記録になりました。

体験した人しかわからない説得力を秘めています。

「今や沼地はすべて埋めたてられて住宅地になり、死体が埋められた公園には桜の花が咲きあふれている」に感慨深い思いがしました。私は26年に引っ越してきました。焼け跡の中で建売がどんどん建てられ人が急に増えました。学校も追いつかず2部授業でした。

こんな悲しい現実を考える間もなくその上に家を建て生活してきたのです。Fさんの叔父さんの書かれた手記、地図で町の様子がわかります。
その当時から羅漢寺はありました。お釈迦様の日には甘茶をもらいました。鳥長では朝炊き出しをしたと書いてありました。その鳥長も今年閉店をし、長い歴史を閉じました。
悲しい現実の上になにか空恐ろしいエネルギーが漲っていた町でした。

それは100万人以上の犠牲者が私たちに力を貸してくれたのかもしれません。
今の自分たちがあることを感謝したいと思います。  

                                合掌

    

コメント (2)
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液状化

2011-04-26 23:27:58 | 震災

       隣りの町でおこっている液状化、
       事態はとても深刻です。
       同じ埋め立てでも地質の養生を
       行ったところはおきていないそうです
       災害ボランテアの方々が震災の翌日
       道路上にたまった砂を処分しているところです。
       必ずいい方法があるはずです。
       諦めずに家を残す方法を模索して下さい。
      

       

                          

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