はなはな横丁

毎日の暮らしの中で見たり聞いたりしたことをつぶやいています。

特攻の母

2010-10-06 09:59:51 | 日記
 かの有名な特攻の母「鳥濱トメ」さんの話

鳥濱トメさんの「冨屋食堂」は、知覧分教所が開校されて以来、
軍の指定食堂となっていました。

特攻隊員として知覧飛行場にきた隊員達は、
「鳥濱トメ」さんのことをいつしか「おかあさん」と呼ぶようになったそうです。

昭和20年3月沖縄方面に対する特攻作戦が始まってからは、
鳥濱トメさんは家財道具を売ってまでも、
最後の思い出にと冨屋食堂を訪れてくる特攻隊員をもてなしたといわれています。

現在の冨屋食堂はその当時のままを、
もちろん、食堂はされていませんが展示場として復元されて残っています




トメさんと特攻隊員との悲しい思い出が写真・手紙・遺書・遺詠・等が、
食堂の一階、2階にかず多く展示されています。
おかあさんと慕われたトメさんには、永久に残したい遺品です。

数々ある隊員との思い出の中でも、「宮川三郎少尉」のことが印象的でした。

知覧の特攻隊員「宮川三郎少慰」が出撃の前夜、トメさんに挨拶に来られ、
「明日わたしは沖縄に行き、敵艦をやっつけてくるから、帰ってきたときには、
宮川、帰ってきたかと喜んで下さい」といわれたそうです。
「どんなにして帰ってくるの?」と尋ねたら、
「ホタルになって帰ってくる」と答えたそうです。

そしたら、約束の時間に「ホタル」がやってきたのだそうです。

その当時、冨屋食堂の裏に小川が流れていて、
そこに、一匹の大きな「ホタル」がやってきて、
白い花にとまったそうです。

トメさんは思わず、みんなに、
「このホタルは、宮川サブちゃんですよ」といったそうです。
そして、そのホタルを見ながら、みんなで「同期の桜」歌ったのこと・・・。

この話が「高倉 健・吉永小百合さん主演」の映画「ホタル」が、
撮影され放映されました。

こんな話、あんな話をトメさんは、ビデオに残し
知覧を訪れる人々に切々と語っています。



心にのこる鳥濱トメさんのことば

「散るために
        咲いてくれたか
                 さくら 花 
 ちるほど ものの
           みごとなりけり」




「なぜ生きのこったのか
          考えなさい
  何か
    あなたに   
        しなければ
            ならない ことがあって
                 生かされたのだから」
     

二つの言葉が残されています。

散っても、生きても 勇士であり、意義がある ということでしょうか。

今回も、戦争の悲惨さを、しみじみ感じた一日でした。