本当に遠い昔昭和30年から40年あたりは東京オリンピックを経てすべてがいいほうに、
向かっていた時代でラーメン屋もそれまでは街にそんなに見かけなかったです。
昭和40年を過ぎたころからラーメン屋だけではなくあらゆる商売が増えました。
麺や食堂も出前を中心に頑張っていた。
最盛期にはホンダスーパーカブを4台使って配達をしていた。
昭和35年にスーパカブ第一号を買って翌年には2代目を買って出前をしていました。
50ccは免許証ではなくて住民票と写真をもっていけば運転許可証をくれました。
それも14歳で交付されスーパーカブが乗れたのです。
片手運転で今なら無謀運転で捕まりますね。あの当時は警察も見て見ぬふりでした。
アクセルが右手で操作しますが、出前用は左にアクセルを映して右手に出前箱をもって配達をしてました。
一度にラーメン10杯まで配達できました。あの頃は信号があまりなくて結構早くお客様の家に配達でき
多のですが、脇道は舗装ができていませんでしたから、穴ぼこだらけの道路で飛ばせないのです。
その当時配達で走行距離は80キロが最高です。ほとんどエンジンはかけっぱなしでした。
配達でそれだけ走っていると、胃下垂になりますね。
カブもタイヤがよく減りました。ブレーキシユウも良く減りました。
ラーメンどんぶりは出前をしてましたから、店に最高250個ありました。
1年で100個ぐらいに減ります。割れたり 下げ忘れたり(そのまま紛失)
ですから毎年100個買い足します。昭和30年ごろ使っていた丼が今も少し残っています。
なんだか古き良き時代の名残ですか?その丼を見ると好いことより辛かった事を思い出します。