少子化支援こそ未来への公共投資 5月23日

少子化社会対策専門委員会で、猪口邦子大臣と有識者らとの間で論点の隔たりがあるのは、猪口大臣の思いこみバラマキ施策の連発がわざわいしている。出産の無料化や0歳から3歳までの乳幼児手当ては、決して無意味とは言わないが、しかし、それが抜本的改革を促すものとは到底言い難い。経済的支援を充実させたい猪口大臣だが、思いばかりで、その財源についてはまったくの白紙だ。更に、安倍晋三官房長官が主宰する政府の少子化社会対策推進会議が、「育児保険」や「子育て基金」を提案しても、具体的な中身はなく、行動の指針さえ出ていない。猪口大臣の少子化対策は、残念ながら小手先だけの思いつきメニューとの感をぬぐえないのである。

猪口大臣にとって最悪だったのは、シンガポールを真似してなのか、政府の責任で「お見合いパーティ」を開催するよう閣内打診していたことだ。結婚できる能力がありさえすれば、国に面倒を見てもらわなくてもみんなさっさと結婚する。結婚しない大きな理由は、格差が拡大し、多くの若者に結婚し子どもを育てるだけの経済力がなくなったからだ。国が責任を持つべきことは、お見合いなどではない。格差社会の是正と、何よりも子育てに対する社会的評価の裏づけなのだ。「国営のお見合い」を言い出す猪口大臣に、他の専門委員もすなおに従う気分にはならないだろう。何を思いつくのも猪口大臣の自由だが、それが政策として成立し得る内容なのか否かの吟味だけは、きちんとしてもらわなくてはならない。

猪口大臣に対立する少子化社会専門委員有識者らの主張は、経済的支援よりむしろ、働き方の見直しや、地域や家族の多様な子育て支援について重きを置いたものだが、職場環境の整備や地域のネットワークの構築は勿論必要なファクターではあるが、一朝一夕に片付く問題ではない。様々な職業がある中で、子育て世代が安心して子育てに取り組める保障を、政治がどういう形で提供できるかが最大の鍵になる。

子育てを応援する上で最も重要なことは、子育てに対して、十分な社会的評価を与えることだ。理念と同時に、子育てに対する十分な対価を、国の責任として子育て世帯に提供することが必要なのだ。児童手当の拡充や子育て支援税制の導入などと小出しにするのではなく、子ども一人につき月額5万円を支給することを、政治は決断すべきだ。仮に子どもを3人育てるなら、その世帯は自動的に月額15万円の収入を得ることになるのだ。こうすることによって、子育てが具体的に社会的評価の対象となり、「子育て」がれっきとした「仕事」になる。猪口大臣のような思いつきのメニューでは、持続性がなくバラマキにしかならないが、経済的支援は、やはり重要なファクターだ。

高速道路やダムの建設に替わる、21世紀型の公共投資が「子育て支援」なのだ。不必要な道路やダムに何兆円もかけるよりも、子育てに投資することのほうが、より発展性がある。子育て投資こそ、まさに、未来への公共投資そのものなのだ。2004年の出生数の合計は、約111万人。仮に18歳まで支給するとして単純計算しても、111万×18年×12ヵ月×5万円=11兆9,880億円となる。膨大な数字だが、環境破壊型のムダな公共事業を削減し、消費税を基礎年金財源に限定することによって、年間240万人にものぼる団塊の世代の基礎年金引当金を確保しつつ、同時に、年金世代の自然減少も考慮していけば、いずれは基礎年金財源と子育て財源とは均衡し、子育て財源の確保は十分に可能となるはずだ。子育て世帯が、社会からのバックアップを実感できるよう、子育てを「仕事」として認め、評価の証として十分な対価を得ることが出来るように、国が責任を持つことが重要なのだ。
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