よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

一陽来復(母の介護、看取りを振り返る)

2019年12月22日 | 日記
本日は冬至。一陽来復。陰の気が陽の気に切り替わる、畢竟、悪いことが終焉を迎え
吉方に向けて動き出すという、誠に縁起の良い日である。



高幡不動尊では、冬至の17時に星祭りが行われる。
参加しようか逡巡の上、今日は静かに過ごすことに決めた。概ね毎日、静かに過ごしているが。
11月にゐのこ大祭(上野徳大寺摩利支天)で祈祷していただいたし
昨日、知人の宮司さんあてに「厄除人形祓」をお願いしたばかりなので
神仏頼みはこのあたりでとどめておく。

人形祓は、形代の紙人形に願意を書き、身体中をこすって穢れを移し、
最後に息を吹きかけて、今年の厄災を移す。それを納めて祈祷してもらうものだ。

昨年の12月は母の介護に明け暮れ、今年の春に母を見送った。かなり多難な一年を
よく乗り越えたものだ。母のことをブログに書いてみようかと思いつつ、
やはり前向きな記事のほうが、私は好きだなと思って躊躇している。


運は、増減する。最近はそれを実感する。
母は強運なひとだったが、なぜか晩年は人の好意を煩わしがる傾向にあった。
それが認知症の症状だったかは判然としない。もともと好き嫌いの激しい性格だ。

人付き合いは如才なくこなしていたが、実際は疎んじていたようだ。
感謝の念はあまりないように思われた。多分、それが運を目減りさせたのだろう。

あまり良い医者にも巡り会えず、病状がひどくなるまで露見せず、
転倒してから1か月で会話がおぼつかなくなり、歩くこともままならなくなり、
その1か月後には要介護5になった。

骨にも脳にも転移した後に、発生元が乳がんだとわかったのだ。手遅れだった。

看病の間、しばしば「なぜガンと認知症の両方に見舞われたのだろう」と不運を
嘆いたこともあったが、最近は「いや、そう運は悪くないな」と思い直すようになった。

ガンだけなら、母は痛みや恐怖と戦わなければならなかっただろう。
認知症だけなら、数年も介護が続き、もっと双方が疲弊していたかもしれない。

親は最期に最高の教育をする、という言葉がある。朽ちていくさまを見ることにより、
私も弟も旅立ちに向かう覚悟ができたように思う。

今は、物事や人を悪いように受け止めないこと、感謝を忘れないこと、身体を動かすこと――
そのように心がけて暮らしている。

運気が底打ちのように感じられても、何かしらの学びがある。
闇の中でも光を探すことをやめなければ、絶対に曙光は差し込むはずだ。


冬至は、新たな始まり。運気をこれまで以上に、ますます強くしていこうと思う。
柔らかい心と、感謝と、前向きな気持ち。どんな出来事からも、立ち直れる強さ。
そういったものを、大事に育てていきたいと思う。


柚子湯・金柑・小豆を楽しんだ。

冬至前にゾロ目ラッシュに遭う。

2019年12月21日 | 日記
明日は冬至。一年で最も太陽の差す時間が短い日だ。少しワクワクする。
夏至のほうがほんの少し悲しみをおぼえる。明るさが目減りする、そんな寂しさを感じるからだ。
冬至。ここが、闇の底。これからどんどん日が長くなる。光がのびる。そう思うから、心が安らぐ。

先日、瞑想会に参加した。セミナーなど、人の多い場所は避けてきたのだが、今回はとても良かった。
参加者の皆さんの波動というかオーラが、やんわりとしているのだ。これは結構重要だ。
パワースポットめぐりという概念があるが、私はいつも少しよそ見をしている。集まる人を観ている。
感じがいい人、雰囲気のいい人、品位のある人が多い場合、概ねそこは磁場がよい。

小網神社と高幡不動尊が好きな理由のひとつも、それだ。
小網神社は品位のある参拝者が多く、高幡不動尊は和やかな参詣者が多い。

人の中で休まると感じたのは久しぶり。波長が穏やかな人たちの中にいると、こんなにも
リラックスできるのだと、はじめて目から鱗が落ちた。

満員電車を皆が嫌うのは、やはりイライラの波長が蔓延しているからではないか、
そんなふうに連想してみた。


今日は随分、ぞろ目ナンバーの車を見た気がする。
一番すごかったのが、8888の車の後ろに同じく8888がついていて、その横を8888が通り過ぎた瞬間だ。
一度に同じゾロ目3台は、確率的にかなり珍しい。
8888は金銭的な豊かさを表すというなあ、と思って歩いた先に、宝くじ売り場があった。

呼び込みの女性(60歳くらい)が声を張り上げ、自分の口上に自分で吹き出している。面白い人だった。
今日は大安で、発売最終日なんだそうだ。
これもご縁かもしれないと、数枚ほど年末ジャンボを買ってみた。暮れの小さな楽しみができた。


22日は柚子湯が楽しみ。

旅するスペイン語

2019年12月19日 | 日記
10月からEテレの「旅するスペイン語」を視聴している。
もともとスペイン語のリズムが好きなのだが(でも20年前に検定6級を取ってそれっきり)
今回、このシリーズを視聴しているのはふたつの理由がある。

〇アルゼンチンの文化や風俗が楽しい
〇旅人のシシド・カフカさんが美しい



見て楽しい、聞いて楽しい。これは動画の基本。

シシド・カフカさんは、常盤貴子さんにちょっと似ているなと思ったら
ネットでもそういうふうに感じている人が多いようだ。笑うとよく似ている。
スタイルがいいし、媚びない雰囲気なのに、笑うと目元がふんわり柔らかくなるところがまた素敵。

相方のサンティアゴさんも、瞳が明るくて陽気な雰囲気で好き。

途中で挫折するかと思いきや、3か月きちんと継続することができた。自分を褒めてあげる。
1月から、また旅する地域が変わるらしいので、楽しみだ。

今、手元に『まるごと覚えようNHKスタンダード40スペイン語』がある。
もう一度、読み返そうかなと考え中。これを暗記しただけで、スペイン旅行が何とかなった記憶あり。


勉強は楽しく。

更年期の物忘れか?天然なのか。

2019年12月17日 | 健康・ダイエット
最近、ますます物忘れがひどくなった。何かを取ろうと立ち上がり、次に何をするんだっけ?は日常茶飯事。
昨日は最寄り駅を間違えた。出勤する場合はT駅を、遊びに行く場合はM駅を使うのだが、仕事に行くはずが
M駅の階段を降りていて、途中で気づいて、慌てて人の波を逆走するはめになった。
ちなみに自宅からT駅の間にM駅はあるので、それほど時間をロスしなかったのが救いだったが。



私は不眠症なので、クリニックで「認知症じゃありませんか」と聞いたところ
「そうは見えません」と言下に否定された。
「では更年期でしょうか」と追加質問を投げたところ「年齢的にいろいろ不調が出るかもしれませんね。
でも55歳以降の女性は皆さんお元気ですよ」と断言を避け、背中を押すことばをかけていただいた。

私はずばり「更年期です」と言ってもらっても、全く差し支えない人間なのだが
どこの診療科でもやわらかく明言を避ける気がする。

多分、嫌がる女性のほうが多いからだろう。

物忘れに加え、頭痛、ふらつき、身体中の筋肉の痛み、寝起きの手指の曲がりにくさ、
体重増加など、困った状態が続いている。各種検査を受けたものの、これといった
異常はみられなかったので、私の中では更年期のせいと、片づけることにした。


頭はしっかりさせておきたい

お金は単なるエネルギーである。

2019年12月16日 | コラム


お仕事中のランチは節約してお弁当にしていますが、たまには贅沢をと外に出ました。

お隣の席に70歳前後の女性がふたり。
「私、月のお小遣いは20万円くらい」
「ええ?何にそんなに使うの?」
「美味しいものを食べたいの。ひとりでウナギとビールとか、ステーキとかね。
 だって溜め込んでも勿体ないでしょ。持っていけないんだから」

横で聞いていて、うんうんと頷きました(心の中で)。

溜めることばかりに血道を上げると、今度は使えなくなる。
使ってばかりだと、今度は貯まらない。

使いつつ、貯める。循環させることが大事なのです。

お金とお水はとても似ています。
どちらも溜めているだけでは、澱んで腐敗する。あるいはいつの間にか蒸発する。
うまく流して、まわす。

収支管理をしっかりして、気持ちよく使うこと。これがコツです。
「使えば使うほど増える」ことはありませんが、「貯めれば貯めるほど豊かになる」というのも誤りです。

お金は単なるエネルギー。昔はお金といえば「紙幣と硬貨」のイメージでしたが
キャッシュレス時代になり、いよいよ実体のないものをやりとりしているという
確信が強まりました。

あらゆるものは、目に見える・見えないの区別なく、エネルギーに過ぎないという考え方も
私の中では腑に落ちつつあります。


好循環が金運アップの大前提