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hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

風の洞穴

2014年02月13日 | 散文詩
闇の中で、顔に細かな雨が当たる。 冷たいものが何故温かく感じられるのだろう
瞼の中で目がゆっくりと水になって、仄暗い坑道を下っていく
いつか来たことのある洞穴。 朧に幹と樹冠が連なり、微かに風が吹いている

いつも頭を締め付けている輪がある。 後ろから蟀谷まで、時には額まで
目を閉じて居ると、後ろにごつごつした幹が当たって、菱形の葉枕が並んで居るのが判る
闇に拳を突き出して居ると、鼓動も彼方此方へ突き出して、全身が堅く覆われ、
身体が鱗木の一部になって、中空に飛び出している
地上数十メートル。 今、一体どの辺りに居るのだろうか。 地面は何処に在るだろうか

幽かに雨の響く階段で坐って居ると、昔其処に在った鱗木がそっと頭の後ろに触れる
締めつける輪がずっと上まで繋がっていて、水を曳き揚げて居るのが解る
空の高い処では、踏み荒らされていない記憶が風の中に洞穴をつくっている
そこではごつごつした皮に鎖され、毛の逆立つような冷たさが、遠くの足指のような
温かさの裡から伝い上って来る。 次第にそれは高く昇って、締め付ける輪から、
星のように花開いて滴り落ちる

コンピュータの陰になっている細い窓に手を突くと、針のように落ちる雨の跡が見える
いつの間にか睫に水滴がついて、視野の一部が鳥の目のように、不意に大きくなったりする
音を聴く為には、非常扉を解除して、裏返しのような階段を昇る
暫く出口の傍で佇んでいるとサーサーと響く音がする。 輪が廻っている音かもしれない

鱗木に止まって、小さな歯を煌かせている始祖鳥。 最初に飛べると思ったのはどの眸だろうか
半眼に鎖された大きな目は、濁っているように見えて、遠くの雨を映している
瞼の下で、風に冷たく睫がそよいでいる。 羽毛に覆われた薄い胸が、静かに上下している

鱗木は羊歯植物で、石炭紀に地上数十メートルに達する大森林をつくった
始祖鳥は、それより百年程後のジュラ紀に顕れた。 爬虫類に近く、地面を走ったり
転んだりしている裡に、鱗が羽毛になったともいわれている。 そうだろうか

テレビで、南米の波打つ短剣に似た角を頭に生やしたナナフシが、枯れ枝に擬態する前に
ゆったりと踊るのを見た。 腕を差し伸べ一頻り踊ると、畳んでそれきり動かない。 踊る訳
は知られていないというが、木の律動に合わせ節々を解しながら、仮居に溶け込む間合いを
計って居るのだろう。 そうでなければ二度と動けなくなる。 獲物が来ても。 焔や嵐が来ても

最後の鱗木は、石炭紀から百年程後迄残り、最初の始祖鳥は、ジュラ紀より百年程前には
未だ蜥蜴で、高い木の上で、葉枕に身体を擦り付けながら風に吹かれて居たかもしれない
葉枕と葉柄から成る、鱗木の鎖された目は、昔は葉だった
葉は天辺で樹冠をつくり、空へと高く差し伸ばされる。 もっと高く伸びる為に、葉が落ちて、
無くなると目になる。 空を夢見て、固く鎖された目に

硬い瞼に雨が伝っている。 下のほうの目が一つ、二つ開いた。 雨を見て、周りの鎖された
目を牽き連れ、上へ登っていった。 蜥蜴になって。 天辺に着くと風にそよいで居る葉が在った
目はそれを見て、葉だった頃を思い出す。 眠ったまま曳き摺られてきた目が夢の中で
鱗から柔らかな瞼に戻り、長く睫を伸ばして羽になった

肋骨が籠のように発達していなくて、胸骨も残っていないから、羽搏いて飛ぶことは出来ない
前肢の爪で高く攀じ登り、風に吹かれてやがて左右の翼を広げ、尾を伸ばして滑空した
墜ちていく雨と、伸びていく葉の間を

誰でも夢を解き放つ力がある。 雨となって滴り落ち、木となって限りなく伸びていった夢が、
半眼の爬虫類へと通じたように。 同じ夢、空と、大地の夢。 夢を肌から解き放つために、
幹に寄り掛かる。 半眼で遠くを見つめていると、ふと頭を締め付けて居た輪が
冷たい雫を滴らせながら離れていき、星の渦となって耀くのを見る

地上数十メートルの窓から、夜更けに鱗木の夢を辿る。 空から還れなくなった飛行士たちも
居た。 輪を喰い込ませたままの頭蓋骨は、深い霧に包まれて、静かに記憶の枝の分れ目に
凭れている。 眸は流れ去ってしまった。 ガラスに細かな滴が伝っている
下まで行き着けるだろうか。 何処かで自分を見失わず

始祖鳥は世界で十体見つかっている。 最初の一つは、羽一枚の跡だけ。 よく知られた
大天使のような二体は完全で羽も揃っている。 目はとても大きい。 石になって地上近くに
留まった。 頭を締め付けて居た輪はもう無い。 夢を運んで、空へ還った

空の高みで鱗木の堅い腕が、大気の波の上にぽっかりと拳を突き出す。 ずっと下のほうでは
雨が降っている。 硬く鎖された葉枕が一つ、二つ目を開く。 星々を見返しても破れない、
透き通った柔らかな、大きな瞳を持って居る。 ゆっくりと息を吐くような視線の先に、
壊れた衛星が漂っている。 もう、皆眠ってしまった。 まどろんで居た輪が、鼓動のように
耀きを弱めていく

廃坑のような、深い川床を歩いていた。 雨が止んで、地上を弓なりに横切っている空に
星が一つ、二つ浮かんだような気がしたが、暗過ぎて判らない。 額に廻る明りは
弱くなって、時々しか辺りを照らさない。 一面にごつごつした壁のような幹がある
高過ぎるのか低過ぎるのかも、もう判らなくなった

古くなった空気の中で、まどろんで居る飛行士の顔に灰色の髯がぽやぽやと伸びて、
奇妙な陰が、弾力のない肌を這い進んでいく。 涙が流れずに跡だけが刻まれる

何かが開く音がした。 照らし出されたのは、羽の生えた木。 振り返って大きな目で見つめ、
踊るような仕草で羽と尾を広げ、飛んだ。 鱗と爪の付いた指が薄明るい夜空に差し延ばされ、
仄光る輪がずっと付いていった

高い処へ攀じ登っていき、一息ついて眠ってしまう前に、薄く羽のそよぐ両腕を広げ、空を蹴って
滑る。 鎖された堅い瞼の上を、指を喰い込ませてずっと攀じ登って来た。 震えを抑えていると、
最後の鱗木と最初の始祖鳥の間に、風の洞穴が開かれていく。 木々の記憶の中を、
雲梯を辿るように、何処までも。 夢は羽搏かずに、そっと息を潜めて滑空する