hazar  言の葉の林を抜けて、有明の道  風の音

細々と書きためたまま放置していた散文を、少しずつ書き上げ、楽しみにしてくれていた母に届けたい

実方

2014年02月18日 | 散文詩
暗い道を急いでいた。 木の間に懸かる夕空が青昏く解け、年の瀬の眸が閉ざされていく
何処にも辿り着けず、何処へ向かえばよいかも最早判らず。 朽ちかけた夢に
纏わりつく妄想を薙ぎ払っていくと、夕闇に烟る社へ出た

笑止。 願いは子宝でなく都へ戻り詠い暮らす事にて、と呟くと、森閑と薄明るくなり、
時が刻まれるのが鈍く、大いなる掌の間で圧し潰されていくように鼓動が重くなった
漆黒の翼が頭上を覆い、忘れられた骨の山を投げ落とす。 鬣を逆立て首を捻じ曲げ、
泡巻く歯を剥き馬は永劫の一瞬顧みたかと思うと、棹立ちになり真逆様に墜ちた

薄日が差し、遠い頂の梢から松毬が落ちる。 彼方より群れ成す炎がどよもす
回りながら小さな羽が実を離れ、ゆっくりと昇っていく。 風に乗り、煌めいて空谷を渡る
砕けた身と心の絡まる茨の高い枝先に、赤い実が膨らんで、滲むように朧に小鳥が啄みに来る
その羽音について行き、初めの夢に手を伸ばす

初夏の暮れ方。 晩夏の暁。 澄んだ風に孕まれ、言の葉の林に分け入り、
薄明の下生えを飛び移る、色の失せた鳥の影となり、飛び去った後の透き通った葉蔭で
微かに開いたまま薄れていく嘴。 林の翳に綴られる淡い迷路を辿り、消えゆく風の川を渡る
明星から滴り嘯く声が夜明けを波打たせ、一条の光が暗闇の集く下生えを吹き消して、
幽かに明かるむ露を宿した莟が揺らめく。 涸れ谷から仰ぐ、射干玉の虚空に尾を曳く
流星の残り香。 闇夜の炎芯で葉が揺れ、羽音がどよもし、水底で光が泡立つ
立ち去って久しい跫に耳を澄まし、仄かな翳に彩られ、門が消えていく
開きつつ閉じつつ、鼓動のように

担ぎ込まれた深更、切れ切れの眠りの波間に、舟端を掴む幼い拳に飛沫が白く、
浮かぶ眸は逆巻く浪裏を抜けて、目眩く切り立った嶺を、重い実を負い攀じ登る背を映し出す
未だ面貌のない顔が振り向けられ、岩角の痕の刻まれた幼い指を広げて、別れを告げる

灼熱の雫が凍りつき、古びた松毬を着て、頬の白い雀になり、よく知った苑へ舞い降りた
鏡の奥の暗がりで、子らが鳥達といる野に流れが仄光る。 震える息で縁が曇ってゆく

やがて視線の掻き分ける文字と文字の間が、微かに日の光を帯びて耀き、
房々と雪のこびりついた若松の枝となって左右に垂れ、揺れ動く。 霧が立ち籠めている
幻日が左右に凝然と凍り、彼方に視線と声だけが辿り着ける岸がある

海松貝で作られた沓が舟に、松の羽に託された消息が帆に、
うねり流れる時空の薄明を、杳として流離い、瞼を鎖し風と星の唄を聴く
母が呼んでいる 

身を浸し渡る川中、白髪振り乱したる身を映し嘆きつつ、探し当て弔ってくれた
娘が呼んでいる
松籟已んで照葉の黙の奥つ城に、羽搏き囀る声が寄せては返す岸近く、
沓を脱ぎ、光の羽を深く内へ畳んで、身が千々に切り裂かれると、
絶え間なく届かぬ視線の、最早聴き取れぬ声の、緩き螺旋の橋となり、臥して待つ
子らが渡り終え、鳥が遍く飛び過ぎるまで。 光と翳、風と黙で編まれた階梯
幼い指が丹念に解いていく。 曳き起こされ、手を引かれ、自らを渡る時まで

渡り切るその刹那、眸が開き、声が迸る。 涙は流れず、息が漂う
身は灰と掻き消え、歌だけが星明かりの葉蔭と風に散り敷く
夜半舞い散る桜の花びらに映り流れて浮き沈み、雨降り霽て風吹いて、星の消えゆく明け方、
雫が詠っている。 日暮しと杜鵑が歌い初める前と黙して後に聴こえる、その歌

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3 コメント

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実方 (alterd)
2014-02-18 18:39:32
日本史は苦手ですので知りませんでしたが
実方は天皇の前で、歌に関する議論の末
暴挙に及び左遷されたそうですね。

私もジャズ喫茶等で良く口論になりましたので
苦笑しました。

また、左遷された話は歴史では良くありますね。
とっさに浮かんだのは
中島敦の「山月記」でした。
もっとも、李徴は左遷では無かったようですが。

まぁ、どう転んでも、芸術を愛する者は
俗世間とは相容れないでしょうね。
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入内雀 (hazar)
2014-02-19 01:09:17
行成に皮肉られたという歌は、残っているものは後世の模作のようで、左程印象に残らないものですが、実方作として知られている歌は掛け言葉 等も多く、当時としては普通でも自分の好みではやや凝り過ぎの観もあって、気位の高い、感情の起伏も激しい、繊細で傷つきやすい人となりではなかったかと拝察されます。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/sanekata.html
京から陸奥の国への下向は 「歌枕を見て参れ」 という一条天皇の御言葉から感ぜられる ( … 自分だけかな … ) 程、楽なものではなかったようで、天候や地理的な不案内や、土地の風俗風習 等への無頓着が、不運と重なり、四年の任期満了を目前に、出羽の 「阿古屋の松」 を訪ねて果たせず、その帰り道、名取の笠島道祖神の前を騎馬で通過しようとして ( … 神前では下馬する … ) 落馬し、間もなく四十余年の生涯を閉じたとされます。
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/04miya04.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A5%E5%86%85%E9%9B%80
鳥山 石燕 の百鬼シリーズの 「入内雀」 には、道端にへたり込んだ実方らしき旅姿の男性の口から群れ雀が飛び立っていく様が描かれていますが、陸奥に葬られた実方の魂が、この頬に暗色の紋がないニュウナイスズメと化して都へ飛来し、清涼殿の飯を啄むと藤原家の学び舎である勧学院 (現、更雀寺) で息絶えたという伝説も生じたそうです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A6%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%BA%E3%83%A1
実際に、このニュウナイスズメは東南アジアからサハリン、日本に広く分布していて、北の林で繁殖して、秋にスズメの群れに交じって田畑に飛来し、農作物を荒らすそうで、特に桜の花の蜜が好きで、春にも大群でやって来て、花をむしり取っては蜜を吸うことで知られるそうで、そんな姿も実方を思わせたのかもしれないと …
http://pub.ne.jp/Yoshi_beautiful/?cat_id=58187
この鳥の画像を検索中に、桜の花の枝に居るニュウナイスズメの写真を見たのが、YOSHI WORLD 様 の鳥たちの素晴らしい御写真を知ったきっかけでした … alterd 様 も、きっと実際に御覧になられたことがあるのでは …
「阿古屋の松」 の物語もなかなかに面白く、また哀しいのですが、特に此方の最後に出ていた実方の息女の姫君の話が …
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/06yama04.htm
西行や芭蕉も、陸奥の国への旅すがら、実方の足跡を訪ねようとしているのですが、世阿弥の能 「実方」 では、陸奥を旅する西行の夢に実方の霊が現れ、若き日を忍んで舞うが、やがて雷鳴とともに消え失せ塚ばかりが残る、というものだったようです。
長く演じられておらず、88年に金春流が、93年に観世流が復曲試演されたようですが、宝生流はされておられず …
http://www.noh-kyogen.com/story/sa/sanekata.html
何となく、ギリシャ神話のナルシスを思い起こさせる不思議な逸話ですが、 「融」 のようでもあり、東川 様 ならどう舞われるか観たい処でもあります …
http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_044.html
http://www.tazae.com/stuff/stuff_higasikawa_profile.htm
世阿弥は大学の美学で此方の先生に習って初めて知り、例えば老人を演ずる時に、いかにも老人らしくよぼよぼ、よたよたと演ずるのではなく、若い者に交じって若い者の動作をより派手に大仰にして、それでいて一拍ずつ遅れていくように演ずればよい、と書かれているのを知って、酷いじゃないか、自分が年を取ったら哀しくならないのか、と憤慨したものの、若い者に負けるか、という意地や、自分のほうが巧くできる、という自負心、そして自分だけは老いて病んだり衰えたり死んだりはしない、という愚かな信念の綯い交ぜになった、老いの哀しさを、こんなに若い頃からよく判って … と、何か虚を突かれる思いでした …
http://tamagawa.hondana.jp/book/b27619.html
http://tamagawa.hondana.jp/book/b27620.html
自由な心で音楽と絵画を愛し、短気を堪えつつ (頭の回転の速いかたには、いらいらさせられることばかりが多く … 申し訳ないことです … ) 思い遣りに溢れ、颯爽と歩かれる alterd 様 は、 小 在原 業平 朝臣と言われ、 光源氏 のモデルの一人といわれた 中将 実方 朝臣 の生れ変りではないかという気もしてきましたが、飛行機や馬や自動車には滅多に乗られないとのことで安心です …
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転落 (alterd)
2014-02-19 09:37:27
まぁ、ちょっとした失言や醜態で
一気に転落することは、ままありますよね。
「口は災いの元」とかは、その類いでしょう。

入内雀は残念ながら見たことありません。
てっきり北海道でしか見られないと思ってました。
別名「実方雀」とも言うそうですね。
入内が内裏に入ることだと言うのも
面白いです。

まぁ、義経や道真なんかもそうですが
日本人の「判官贔屓」の現れでしょうか。

世阿弥の老人の描写については
「100分de名著」でも言ってました。
誰だったか忘れましたが
縛り首の情景をスケッチしてた芸術家が
いましたが
一流の芸術家の観察眼の鋭さを示す例ですね。

負けん気と言えば
私も滅茶苦茶強いですが
人生、一発勝負であり
死ぬ時に「これで良し」と思えた人間が
勝ちだと思ってますので
途中経過の勝ち負けには一切こだわりません。

ですので、やたら負けん気が全面に出てる人は鬱陶しいだけです(笑)

大体、超一流の人間に限って
往々にして謙虚だったりしますので
お前ら二流以下が何偉そうにしてるんだと
思います(笑)
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