思いつくままに書くブログ

基本旅行記と日本ハムファイターズの事しか書きません。そして忖度なくものを言う。いいものはいい悪いのは悪いと。

八幡浜→別府 宇和島運輸フェリー れいめい丸乗船記

2022-08-03 06:08:20 | 2022年の旅行記(国内旅行)
それではいよいよ宇和島運輸フェリーのれいめい丸に乗船です。



まずは自分の陣地を確保、なんとこの船の2等室はじゅうたんではなく畳なんですよ。というのもれいめい丸は和モダンといいますか、昔々に宇和島から別府を経由して大阪まで運航してた時代の貨客船をイメージしているんです。その時代は畳の部屋にぎゅうぎゅう詰めで二晩かけて乗っていたと思われます。愛媛県は鉄道の敷設が遅く、松山に国鉄が達したのは昭和2年、宇和島に至っては終戦間際の昭和20年でした、なのでどこへ行くにも船しかなかったはずです。ということで
ここをキャンプ地とする



リクライニングシートもあります左舷右舷上下二層に4か所に分かれていたと記憶します。こういう椅子席は桟敷が埋まってから混みだすのが常ですが意外に利用者多くて、すぐにリクライニング最大に倒して寝ている人も。



下層に案内所と売店、残念ですが飲食コーナーはありません。短距離航路なので缶ビールなどは扱っていません、飲酒運転防止のためで徒歩客で必要ならさっきの道の駅で買うといいでしょう。お土産用の焼酎は棚に並んでた。



自販機はアイス、ジュース、カップ麺。市価よりは若干高いかな。



ささやかなゲームコーナー、スロットで遊ぶトラックドライバーでも当て込んでいるのかな?





上層に進みましょう。こちらにも畳の2等室に椅子席はあります。





このようなロビーも左舷右舷、上層下層にありますよ。左右対称にしているのかな。



そして前方には個室エリア、1等室が4室で特等が1室。おそらくは「さてさて」と始まるYouTuberがいずれ乗って撮影するんだろうなと。



外部の最上部は天気のいい日ならここで過ごすのもありかもしれません。私は遠慮しておきますが…。そうこうしていると出航時間、いつもなら風景を見届けるところですが暑いし、ロビーのテレビ前が空いておりテーブルがあったので、お茶飲みながら相撲中継を見つつのパソコン作業。この航路なら全区間でテザリングで接続できるでしょう。そんな感じで30分ほど没頭し。





デッキに出ると日が少し傾いてきた、目の前は三崎半島(佐田岬半島)。



この煙突見て気づいたアナタは凄い!最近の船のファンネルのとは雰囲気を変えて、貨客船時代の直立するのを再現したそうで、後ろを見ると遅れて出航した臼杵行きのあけぼの丸がついてきます。そろそろ「キャンプ地」に戻ろう。



横になると床下からエンジンの突き上げ振動がちょっと強いかな、このクラスならこんなものかな。そして海峡部に差し掛かると揺れますね、窓の外をみてもそれほど波は高く見えずせいぜい1.5メートル程度。弱い人なら気持ち悪いかもしれないけど私はぜんぜんこんなもの屁でもない。





再び外部デッキに出た。窓越しの桟敷席で家族連れが持ち込みの弁当で夕食、邪魔してはいけません。



以前行った佐賀関ですね。



大分港、大在でしょうか。こうしているうちにだんだん暗くなってきた、明るく見えるけどもう19時なんです。別府まで1時間弱。



ということで真っ暗になり下船放送が流れ、外を見ると別府港に入港するところ。大阪南港へ向かうさんふらわあを見損ねた。



大分と言えば麦焼酎、いいちこ、二階堂、吉四六…。吉四六で思い出すのは1998年春の乗り継ぎで、種村直樹氏が日出駅降りたときに吉四六の看板を見て団体で行けば見学させてもらえるに違いない、試飲もあるかもと言い出して幹事が工場の門前で見学できるか交渉したんだっけ。事前予約のない見学は無理ですと断られ面白くない顔をするものの、お金持っている組は城下カレイ食べに行き、私のほうなカネ無い組は三々五々…、どうしたか記憶が全くない。あるのはその夜に〈ムーンライト九州〉に岡山まで乗ったのだが車内で大声出す爺がいて、曰く「福山へ行こうとして乗ったのに止まらないってどういうことだ!」ってずっと。そもそも指定券どうなっていたのかな?車掌が来て夜行列車ですお静かにと言っても黙らずに、結局は広島で運転停車中に鉄道警察に引き渡したのは覚えている。よってほとんど眠れず。ちなみに乗り継ぎ本隊は夜行バスじゃなかったかな?





タラップが近づいてきて接続。



定刻より早くに下船開始です。



脚の悪い爺さんがいて階段が降りれないとかなんとかぼやいていたが、フェリー会社も機転利かせて車両甲板から降ろせばいいのにと思った、エレベータあるからね。ってタラップの横に車いす用のエレベータくっついているじゃん。



別府のターミナルは古いままでしかもうす暗かったのですが。



これいつの時代?といいたくなるほどの航路案内図あります。甲浦や高知にフェリー航路があり、丸亀~下津井があり、広島付近の色が違うのは広別汽船ですね、昔は宇和島運輸の子会社だったそう。北九州も門司ではなく小倉砂津にすべて行っているようです。恐らく1970年代ではないでしょうか。



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