元伊勢繋がりで今回は天橋立を渡った突き当りに鎮座する籠神社(このじんじゃ)の紹介となります。
こちらと後日報告する摂社の真名井神社へは、2007年8月と2012年1月に、二度ほど訪れていますが新たな発見があったり後から気づいて結局見落としがあったりと、興味の尽きない一社です。
天橋立遊歩道より国道178号を渡ってすぐの場所に鎮座しています。
一の鳥居、二の鳥居共に西日本では数少ない靖国鳥居です。
重要文化財 狛犬阿吽一対
魂が籠った狛犬が天橋立に飛び出して参拝客を驚かせたと言うエピソード なかなか興味深いです。
拝殿
古式にならった神明造りの本殿
五色の座玉(すえたま) 本殿の高欄に付いている宝珠部分
特に高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉(すえたま)は、伊勢神宮御正殿と当社以外には拝せられないもので、神社建築史上特に貴重なものとされています。これは山陰道一之大社として、古来の御神徳・社格を象徴するものであります。(公式HPより)
祭祀:彦火明命
相殿: 豊受大神・天照大神・海神・天水分神(ハヤアキツヒコ・ハヤアキツヒメ両神の子)
由緒:
神代と呼ばれる遠くはるかな昔から奥宮の地眞名井原に匏宮(よさのみや)と申して豊受大神をお祀りして来ました。その御縁故によって第十代崇神天皇の御代に天照大神が倭国笠縫邑からお遷りになり、天照大神と豊受大神を吉佐宮(よさのみや)という宮号で四年間ご一緒にお祀り申し上げました。その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。その故事により当社は伊勢神宮内宮の元宮、更に外宮の元宮という意味で「元伊勢」と呼ばれております。両大神が伊勢にお遷りの後、養老三年に本宮を奥宮眞名井神社(吉佐宮)の地から、現今の籠神社の地へとお遷して、社名を吉佐宮から籠宮(このみや)と改め、天孫彦火明命を主祭神としてお祀りしました。旧社名の匏宮の「匏(よさ)」と吉佐宮の「吉佐(よさ)」という宮号は現在も郡名(与謝郡)や海の名称(与謝の海)となって継承されて来ております。(公式HPより)
境内社 猿田彦社、春日社、天照大神和魂社
真名井稲荷
倭宿禰命像 籠神社の神職を司る海部家四代目の祖先 浦島太郎のモデルとも言われています。
神武天皇東遷の途次、明石海峡(速吸門)に亀に乗って現れ、神武天皇を先導して浪速、河内、大和へと進み、幾多の献策により天皇を無事に大和へと導いた大和建国第一の功労者として、神武天皇から「倭宿禰」の称号を賜りました。倭宿禰命(やまとすくねのみこと)は倭国造であり、大倭国造の祖・大倭直の祖でもあります。
古代御生(みあれ)の庭
続いてここから北へ10分ほど歩いた奥宮の位置づけとなる真名井神社の紹介となりますが、境内の奥に鎮まる多くの磐座は、現在拝殿から左右に続く玉垣が設置されたため禁足地となっています。
訪れた当時は、自由に散策出来ましたので貴重な写真となりますが次回の投稿をお楽しみに。
(撮影:2007-8・2012-1)
お断り:2012年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますで訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
お断り:2012年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますで訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
全国に60ヶ所以上あると言われている元伊勢ですが、一之宮巡礼のように「元伊勢」だけに絞って巡礼されている方たちもいらっしゃるのですね。記事にしていて知りました。
なかなか首都圏からです遠い場所にある一社ですが、眞名井神社と共に訪れる価値は十分あります。